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2010年01月31日

高校における特別支援教育の充実について②

 高校における特別支援教育は、いわゆる特別支援学校では充実しており、おおむね生徒2~3人あたりの先生の数が1名配置されています。
 特に、埼玉県でも発達障害者を主に対象とした特別支援学校もできてきており、私の知り合いのお子さんもその学校を今年の3月に卒業予定であり、無事就職先も決定したようです。

 しかし、そういった特別支援学校は定員も場所も限られており、また、大学への進学と就職を迷っている場合などには、そういった特別の配慮のない一般高校への進学となります。

 埼玉県では「高校においても、発達障害を含む特別な教育的支援を必要としている生徒が在籍していると考えられるにもかかわらず、平成20年9月1日現在、県公立高等学校における校内委員会の設置率は68.8%、特別支援教育コーディネーターの指名状況は63.0%」(今後の埼玉における特別支援教育の推進の方向性について 平成21年3月30日 今後の埼玉の特別支援教育の在り方検討会議より)という状況です。

 平成19年に教育基本法の改正に伴い改正された学校教育法第81条でも「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び中等教育学校においては、次項各号のいずれかに該当する幼児、児童及び生徒その他教育上特別の支援を必要とする幼児、児童及び生徒に対し、文部科学大臣の定めるところにより、障害による学習上又は生活上の困難を克服するための教育を行うものとする。」

 事項には「六  その他障害のある者で、特別支援学級において教育を行うことが適当なもの 」と定義され、「その他障害のある者」に発達障害が含まれました。

 この学校教育法第81条 および 発達障害者支援法 第8条  国及び地方公共団体は、発達障害児(十八歳以上の発達障害者であって高等学校、中等教育学校及び特別支援学校に在学する者を含む。)がその障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるようにするため、適切な教育的支援、支援体制の整備その他必要な措置を講じるものとする。

 によって、高等学校でも特別な配慮を受けられることが法的には担保されているのですが、どうしても、義務教育ではないために、その対応は遅れがちになります。

 いずれにせよ、法律的には保障されているのですから、その条文を現実化させていくためには、「権利のための闘争」(イェーリング)を進めなくてはなりません。

2010年01月30日

高校における特別支援教育の充実について①

 小中学校での学習障害、注意欠陥多動性障害、高機能自閉症などの発達障害を対象にした特別支援教育については所沢市教育委員会でも充実してきている。たとえば、すこやか輝き支援室による個別支援、発達支援コーディネーターの全校配置、発達障害者支援チームの発足、発達障害への小学校の通級指導教教室などである。
 私も、これまで、一般質問で発達障害者支援については何度も取り上げてきている。

 ところが、中学校を卒業して高校へ進む段階になると、支援が届きにくくなる。所沢市としては、18歳までもこどもの支援を総合的に行うこども未来部を創設したこともあって、申し出があればその後の支援はできるようだが、肝心の高校側からの依頼がなくては、動きがとれない。

 最近では、私の身近なケースで、発達障害で、小学校時代から所沢市教育委員会の支援を受けて高校生について、県内でも初めてのケースということで、専門家の先生が本人のアセスメントを行い、たまたまその先生が、所沢市教育委員会に所属する臨床心理士で、本人を知っている方と知り合いだったため、それまでの個別支援内容なども情報交換ができたようだ。

 また、近くの特別支援高校の先生も支援に加わっていただき、本人向けの個別の指導方針を本人を担当する高校の先生方に伝えていただく、学校図書館に特別支援教育の書籍を充実するなどの配慮をさrたという。
 しかし、こういうケースは稀なケースである。

 つづく

2010年01月29日

二元代表制がなくなる?

 2010年01月11日付けのくわけんブログ中の「議員の身分を維持したまま、執行部に登用(中略) この最大のメリットは、議員も財源に責任を持つ議論が基軸となること」について、ある熱心な市民の方から、「執行部に参加し なければ財源に責任が持てないとは、どうも納得がいきません」「(議員が行政に参加することで)行政を監視するという本来的な責務があいまいなものになって しまい、折角の二元代表制が意味を失うのでは」
 というご意見をいただきました。

 ご指摘に対して
 「この点については、おっしゃる通りで、今回の案は地方議会を二元代表制から、議院内閣制に改めるものです。つまり議会内与党が、一定程度執行権を持つという仕組みになります。実はそうなると、私のような無所属議員が居場所がなくなるのも事実です。
そして、民主党の狙いは、地方議会においても、民主党の覇権を拡大しようという意図が見え隠れしています。」

 「実際に、今の私には不利な制度でありますが、正直なところ、現実の政治状況の中で、議員もそれなりに財源に責任を持たせる意味では悪くない制度だと私は考えているので、ご指摘のような発言になりました。」
 
 「私が地方議員をやっているのは少しでも世の中がよりましな方向に向かうことを求めてやっているので、自分が不利になる制度であっても、それが世の中のために良くなることであればそれは進めるべきだというのが私の立場です。」

 と回答いたしました。

 実際は、二元代表制は言葉そのものが出てくるわけではないのですが、日本国憲法で規定されているので、本格的に二元代表制を止めるということは憲法改正にもつながるのでそこまで本格的な改革は行われないとは思いますが、部分的に、議員内閣制的な要素を地方議会にも取り入れていこうということだと思います。
 しつこくて恐縮ですが、やはりオランダのティルブルグ市でも、私がインタビューした議員は、議員として優秀だったために、日本でいうところの副市長的な役割をになわされているようでした。

 先日の議会基本条例を斬るという勉強会では、「これから地方自治法の大改正があるので、それを待ってから議会基本条例を制定してもよいのではないか」という質問があったようですが、いずれにせよ、自分たちの議会のあり方については、国がどうあれ、自己決定をする意欲がないということは、国に好きにしてもらっていいですよと言っているに等しい行為であるということに気づいていただきたいです。

 


 

2010年01月28日

議会基本条例プレゼン最新版です。

 所沢市議会に視察に見えた方々に見ていただいているプレゼン資料です。
 写真を入れると重くなるので、省いてあります。

 所沢市議会基本条例についてプレゼンテーション

 また、全般的な資料については

 所沢市議会議会基本条例

 をご参照ください。」

2010年01月27日

改めて公立病院改革を考える

 昨日は人間ドックで、所沢市民医療センターへ行ってきました。
 今年は、バリウムを飲んでの胃の検査で、放射線技師の方が、「口にためないでごくりと飲んじゃいましょう」という言葉通りにやってみたら、スムーズに飲めました。

 その後、市民医療センターの職員の方々と、先日お話を伺った、神戸市の病院改革のお話をもとに意見交換をさせていただきました。

 すぐに結論のでる話ではないのですが、所沢市民医療センターの場合、病床規模からいっても、内科と小児科に特化している点からいっても、やはり政策医療中心での対応、つまり、地域の医療の安全網として、無理な黒字化を考えるのではなく、市からの一定の補助を前提とした運営となるだろうとなりました。

 神戸市が、一般独立行政法人化を目指した、最大のメリットは、毎年改定される診療報酬制度(2年んに一度大改正)への機動的な対応が可能になる点です。病院の黒字化を目指すには、猫の目のように変わる医療報酬に俊敏に対応していかなくてはいけないようです。
 そのためには、人員の配置を柔軟に行えなくてはいけません。最近の改定では、2006年度の改正での、看護師と患者との割合「7対1以上」への配置によって報酬が上がる改定が有名です。この改定でどの病院も看護師確保にやっきとなりました。
 
 単年度予算に縛られる地方公営企業としての公立病院では、やはり全部適用になったとしても、職員は公務員ですから、診療報酬改定になったから、すぐ看護師を雇用しようとしても、どうしても1年遅れになってしまい、看護師確保が後手に回ってしまう可能性が高くなります。

 また、公立病院にとっての最大の阻害要因の一つは地方議員ということが多いこともわかってきました。所沢市ではそういうことはありませんが、ある市では、たとえば、病院の納入業者を紹介しようとする、社会的入院に移行しそうな入院患者を紹介しようとする、一部の医師と結託して病院改革を妨害する、医療制度や診療報酬制度への無理解から、現場の医師や看護師のやる気をなくさせる、などといった事例があるようです。
 
 所沢市の場合、完全黒字化は無理にしても、より一層の財務体質向上のためには、独立行政法人化というのは、選択肢の一つではあるようです。

 
 

2010年01月26日

ニセ議会基本条例を斬る Ⅱ を聴講して ② 福嶋氏の論点 地方議員の代表制について

 前我孫子市長の福嶋浩彦氏からのコメントは大変参考になりました。そうはいいながら、今回のお話を聞くのは実は3度目になります。さすがに3度聞くと、いくら理解力の乏しい私でも、福嶋氏の言わんとしていることがようやくわかってきました。

 福嶋氏の話を要約してみます。

 日本国憲法前文において、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とあるように、国会議員は国民の代表として独占的な地位を占めている。
 また、「第五十一条【議員の発言・票決の無責任】 として、両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」とされている。つまり、国民は、本人が辞さない限り一旦選んだ国会議員を辞めさせることはできない。
 気に入らなければ、次回の選挙で代表として選ばないという選択しかない。

 一方で、地方議員や首長はそうではない。地方自治第5章直接請求 第76条には、選挙権を有する者による議会解散請求権が、第80条には議員の解職請求権が、第81条には首長の解職請求権が認められている。
 このことは、制度上、もし議会や首長が有権者の意に沿わない場合は、住民が辞めさせることができる権利が保障されている。つまり、議員や首長は独占的な唯一の代表ではないということである。
 付け加えれば、同じ地方自治法第5章 第74条では条例の制定改廃を請求する権利(ところが、地方税の賦課徴収並びに分担金、使用料及び手数料の徴収に関するものは除かれています)が規定されている。
 住民も直接権力行使ができる道が制度的に保障されている。
 つまり、地方自治は、直接民主主義と間接民主主義の組み合わせである。 

 以上の点を前提として考えるならば、たとえば議会基本条例の制定過程においても、あるいは通常の地方議会の審議過程においても、有権者の意見を聞くのは当たり前のことである。

 なるほど、そうだな、と改めて思いました。

 ただ、現実の実態論からすれば、直接請求は、自治体の規模が大きくなればばるほど、現在の地方自治法上の規定に沿えば、ハードルは高くなるわけで、制度的な保障はあるが、現実には行使しにくい権利といえるでしょう。
 一方で、第94条では、町村は議会を置かずに、直接民主主義で決定を行う、町村総会のしくみも用意されています。一方で、東京都を除く政令市の特別区では、区ごとの選挙区で市議会議員も決められます。こうなってくると、より国会議員に近い代表制を実態としてもってくるような印象もあります。

 しかし、敢えて何点か、反論するとすれば、地方議員や首長の解職請求は憲法上保障された規定ではないこと。また、憲法第93条では、「その議事機関として議会を設置する」と必置機関とされています。ですから、独占的な代表権は確かにないが、憲法上は、議事機関としては唯一の存在であることも確かです。

 現実は法理と実態との中間点に、それぞれの自治体がグラデーションのように配置されていると見るのが自然です。

 私としては、福嶋氏の議論によって、市民の意見を聞くことを理論づけるより、日本国憲法第15条にあるように、「すべて公務員は全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。 」と規定されていることを前提に市民の意見を聞くことを理論づけるほうが個人的には好きです。

 それにしても、いまだに議員が自由に議論できないからといって、委員会から傍聴を排除する理論だけはよくわかりません。はっきりいって法律違反です。地方自治法第115条では「普通地方公共団体の議会の会議は、これを公開する。」となっており、特例として秘密会を認めています。特例が常態化することはあってはならないはずです。

2010年01月25日

 ニセ議会基本条例を斬る Ⅱ を聴講して ① 自由討議について

 東京財団主催の「ニセ議会基本条例を斬る Ⅱ」を聴講してまいりました。
 わが所沢市議会からは私を含めて3名の参加でした。

 3名とも、議会報告会をどのように進めるか検討する作業部会のメンバーです。

 前回の、ニセ議会基本条例を斬る も大変勉強になりましたが、今回も参考になりました。
 何回かに分けて、感想や報告をさせていただきます。

 まずは、所沢市議会 議会基本条例が斬られなくてホッとしています。

 今回は、3つの必須条件が示されてその3つに該当するかしないかを問われました。
 あらかじめ、東京財団から事務局に、照会がきていたので、3つの条件は知ってはいたのですが、とりあえずは満たしていたので、斬られなかったということです。

 3つの条件とは、
 1.議会報告会 2.請願・陳情者の意見陳述 3.議員間の自由討議
 でした。

 1が○ 2が△ 3が◎でした。義務規定だと◎ 努力規定だと○ できる規定だと△で、実際に行われているかどうかの実態も加味しているそうです。
 所沢市議会に照会が来た時点では、2 請願・陳情者の意見陳述については、慣例的に、委員会を休憩にして、意見陳述をやっていただいてることを紹介しましたが、△はくつがえらなかったようです。
 条文上に規定があることも確かに大事ですが、議会基本条例制定過程において、実際に行われていることは、一つの慣習法として機能しているのだから、あまり強く表現しなくてもよいのではないか、むしろ実際に実行していく上で障害が大きそうなものについて義務規定にするべきではないかという判断があっただけに、ちょっと残念でした。
 確かに議会改革の成果を条例化するというスタンスでいえば、義務規定にするべきでしたが、所沢市議会は、議会基本条例の制定を通じて議会改革を目指していたので、できていないことを義務規定としてその実現を図るという条例の作り方をしました。

 自由討議については、◎をいただいたのですが、所沢市議会では、運用実態もしっかりあります。
 私たちもこれは規定には盛り込んだのだけどどうやってやればいいのかわからなかったので、前栗山町議会事務局長の中尾氏に以前、別の会合でお聞きしたところ、「栗山町では自由討議を希望する場合、議長なり、委員が動議を行ってそれから実施しますよ」とアドバイスいただきました。
 それで、所沢市議会でも早速、私が自分の所属する教育福祉常任委員会で動議をかけてお願いしたところ、委員長から許可いただき、委員会で自由討議を行いました。
 その後、議会運営委員会で、この方法を追認していただき、現在では3常任委員会ですでに実施済みです。
 自由討議は、コロンブスの卵のようなもので、「なぜこんないいものをもっと早くからやらなかったのだろう」という印象です。
 
 今回の勉強会では、どちらかの制定中の議会の方が「自由討議どうやればいいのかわからない」「それでなくても長い会期がますます長くなるから心配」という質問をされていたのですが、それほど悩ましいものでもありませんし、自由討議にそれほど時間がかかるものでもありません。
 自由討議のメリットとしては、1)議事録に残る 2)執行部の返答よりも詳しく知っている議員がそのことを別の議員に伝えることができる 3)論点が整理できる などでしょうか。

 これまでも所沢市議会では、特に請願の採択にあたっては協議会に移行して、(もちろんその場合は、傍聴者や執行部もいったん退出)やってはいたのですが、いかんせん議事録には残りません。それに、傍聴者を追い出すというのも何か変です。議事録に残って議論できるのは大変重要なことです。

 ちなみに、所沢市議会では、委員会議事録は要点筆記で、全て、インターネット上に公開が昨年12月議会から実現しました。
 所沢市議会常任委員会のページ(ここに議事録が掲載されています)
 市民環境常任委員会では12月議会で、自由討議をやっていますので6pから記載されていますので見てみてください。

 以外に重要なのが、2)執行部の返答よりも詳しく知っている議員がそのことを別の議員に伝えることができる です。今、ご紹介した市民環境常任委員会でも自由討議でも同様の議論が展開されています。また、その後自由討議終結後も自由討議の内容を受けた形で、議員が執行部に質問をしています。ですから、自由討議の最中も執行部に退席してもらう必要はないし、むしろ問題を共有していただくほうがいいでしょう。

 つづく

 
 
 

2010年01月24日

特別委員会設置と法令の自主解釈権

 先日、ある市議会の方が議会基本条例について視察にお見えになりました。
 ご承知のように、所沢市議会では、議会基本条例制定に関する特別委員会を設けて、条例案づくりを行いました。
 ところが、その市の議会事務局は、議会基本条例を作ることを目的とした特別委員会の設置はできないといわれ、特別委員会の設置は断念し、議会運営委員会で素案作りを行うこととなったそうです。

 しかし、現状では特別委員会を設置して議会基本条例制定に取り組んでいる地方議会の例はあまたあり、たとえば、埼玉県さいたま市議会は、「議会改革推進特別委員会」を、愛知県豊田市も「議会基本条例検討特別委員会」、千葉県流山市も「議会基本条例策定特別委員会」を設置していました。

 その議会の方が議会事務局から示されたとされる資料X(出典不明)と、地方自治法の該当箇所を参照すると、
 地方自治法第百九条の二 4  議会運営委員会は、次に掲げる事項に関する調査を行い、議案、陳情等を審査する。
一  議会の運営に関する事項
二  議会の会議規則、委員会に関する条例等に関する事項
三  議長の諮問に関する事項

 とあります。

 その出典不明の資料Xには「議会運営委員会の所管の一部を議会の議決で特別委員会に付託することはできない。」と断言してあります。

 また、標準会議規則(全国都道府県議長会が制定したもので市町村も準じている)においても「ただし常任委員会に係る事件は、議会の議決で特別委員会に付託することができる」と規定しているので、この文章を根拠に、「議会運営委員会の担任事務の一部を特別委員会に任せることになると、議会運営委員会が複数できることになり混乱を招きかねないので、特別委員会に付託できるのは常任委員会の所管に限定したものである」といっています。

 一方で、この資料Xでは、文章の前段で、「現在の議会運営委員会は、本来、常任委員会として設置すべきものであるから」と言っています。

 ちなみに、所沢市の所沢市議会会議規則も、(議案等の説明、質疑及び委員会付託)第36条で、「ただし、常任委員会に係る事件は、議会の議決で特別委員会に付託することができる。」となっています。

 さて、ここで、論点を整理すると、まず、議会基本条例は、先ほどの議会運営委員会の3項目に該当するかどうかという点です。この解釈は分かれると思います。大事なのはこの地方自治法第百九条の二 4項の解釈権がどこにあるかということです。

 地方分権一括法以前であれば、総務省(自治省)にお伺いを立てて、その可否を判断することになるのでしょうが、以後は、法令の自主解釈権があるのですから、地方議会独自の判断ということになります。

 この資料Xは、平成18年の地方自治法改正に言及していますから、ここまで断定的に言いきってしまえるというのはよくわかりませんが、現実運用において、「混乱」は起こらず、むしろ、議会運営委員会から切り離すことで、条例制定がスムーズに行ったのは間違いありません。

 むしろ、議会運営委員会の通常の審議事項に加え、条例制定についての審議も重なってしまうと、議会運営委員会の負担は相当なものになってしまったことでしょう。

 続いての論点としては、標準会議規則の、「常任委員会に係る事件は、議会の議決で特別委員会に付託することができる」という文章です。資料Xの観点では、暗に「常任委員会に係らない事件は、議会の議決で特別委員会に付託することができない」ということを言いたいのでしょう。これは論理的に間違っています。あくまでも、素直に規則を読めば、付託することができるのであって、できないとは規則のどこにも書いていません。この規則の解釈権も当然、地方議会に解釈権があるわけです。

 ましてや、この資料Xでも議会運営委員会は「本来、常任委員会として設置すべきもの」と言っているのですから、自主解釈権によって、議会運営委員会を常任委員会とみなせば、この部分もクリアできます。

 まったく、こういうわけのわからん文書を持ち出してきて説得するというのも、地域主権は遠いなという思いがしますが、いちいちこういったことにも論理的に反駁していくことが、議員にも求められるということです。もちろん、自主解釈の結果の結論であればそれは尊重しますけれど。

 kずれにせよ、せっかくの自主解釈権を有効に活用しましょうね。
 

 


 
 

2010年01月23日

 細川元首相の「私の履歴書」を読んで

 日本経済新聞 平成22年1月の「私の履歴書」は細川元首相が取り上げられている。本人が書いているのか記者がかいているのかはわからないが、当初の期待とははずれてあまりおもしろくない。

 そもそも、細川元首相は、もうこういう場所には出てこずに、陶芸と農業に専念するのかと思っていた。それが、いまさらながらに登場して、じゃあ、もう最後の遺言とばかりに、「本当の話」をしてくれるのかと思ったら、意外な話はほとんどなく、新聞や雑誌に載っていた話をたんたんとなぞるばかりだ。

 いよいよ政権交代も実現して、かつての政権交代で、予算を仕上げないままに、ずるずると自民党の政権復帰を許してしまった過去もこれで精算されて禊が済んだということなのだろうか。
 それとも、日経として、細川元首相を「私の履歴書」として連載することで、それまで私から見れば政権与党よりだった日経が、現政権のご機嫌を取るための人身御供としての連載なのか。

 確かに、現場で政治家からコメントを取る日経の記者にとってみれば、民主党の特に期数を重ねた議員との会話の糸口をつかむには「私の履歴書みていただけましたか」とか「今度、連載まとめてお持ちします」とか、近づく口実にはなるのかもしれない。
 
 文中にもやたら小沢幹事長のことが出てくるのが気にかかる。当然、悪く書かれてはいない。どちらかといえば武村元大蔵大臣や村山元首相が批判的に書かれている。

 それにしても笑ってしまったのは、あのボールペンをさす写真を再録したことだ。本当にあの姿が新しい政治を象徴しているとでも本気で思っていたのだろうか。

 政治から引退して、晴耕雨読、陶芸の日々を送り、政治的な発言を一切しないことにそれなりの好感をもっていたのだが、今ここにきて、このタイミングで登場するのはどういうことなのだろうか?

 民草には理解しにくい人だという印象を改めて抱いた。

2010年01月22日

「史」と「野」

 論語の雍也第六 16 に次の一節があります。

 子(し)曰(いわ)く、質(しつ)、文(ぶん)に勝(か)てば則(すなわ)ち野(や)、
 文(ぶん)、質(しつ)に勝(か)てば則(すなわ)ち史(し)なり。
 文質(ぶんしつ)彬彬(ひんぴん)として、然(しか)る後(のち)に君子(くんし)なり。

 諸橋轍次先生の中国古典名言事典によれば、「文は養って身につけたもの、すなわち後天的な修養で あり、質は天性の質朴誠実で飾りけのないものである。」

 史とは、今でいうインテリで、まあ、一種理性が本能に勝っている感じでしょうか。
 逆に野は、理性より本能が勝っているということになりましょうか。

 史は都会人、野は田舎者ともいえましょう。現実に、現在は田舎であっても田舎者は少なくなってきました。山形の山奥の集落でも子どもたちは携帯ゲームをしながら友人と歩いています。

 安岡正篤先生の「朝の論語」という書物の第6講に、この一節を解説した文章が載っています。
 安岡先生によれば、「文・質に勝って軽薄になるよりは、質・文に勝つほうが確かに望ましいことであります。」と述べられています。

 官僚はあきらかに「史」であります。一方で、政治家はやはり「野」でなくてはいけないと私は考えています。なぜなら政治家は決断をするのが仕事で、決断は論理的に積み上げていっても最後には「エイヤ」と決めなくてはならないからです。「エイヤ」と決めるのに必要になるのが直感力でしょう。直感力の源泉は質から来るものでしょう。

 もちろん一番いいのはその両者がミックスしていることだと孔子は述べているのですが。
 大変失礼ながら、党首討論をみていて、谷垣さんは大変優秀な「史」ではあるのだけど、「野」が少し不足気味かなと思い、かつて感銘を受けたこの一節を思い出したのでした。

 ちなみに、私が楽しみにしている日経ビジネスオンラインの特集「歴史を見る目の作り方」の今日のタイトルがふるっています。
 「アタマの良さより「ど根性」が、歴史を見るには必要です」

 「ど根性」 つまり 「野」ですね。歴史だけでなく政治家も「ど根性」ある人には勝てませんね。

 

2010年01月21日

なぜ所沢市には私立高校がないのか?

 この時期は、私立高校の受験シーズンです。
 今年は、我が家も受験シーズンにひっかかっていますので、てんてこ舞いです。
 それにしても、不思議なのが、所沢市には私立高校が一校もないことです。

 埼玉県立の高校は6校あります。

 ちなみに近隣で最も私立高校が多いのが川越市で、8校。入間市が3校、狭山市が2校、東村山市に2校、飯能に1校あります。

 さらに、川越市には、所沢市にはない私立中学が、4校あります。

 以前も、国勢調査データをご紹介したように、高校生以上では、所沢市から市外に通学者数と、市外から所沢市に通学者数を比べると、圧倒的に前者が多いのです。

 この辺の原因というのは、改めて精査する必要がありますが、私立学校の誘致にあまり積極的ではなかったということなのでしょうか。それとも、交通の便でしょうか?川越は、JR、西武、東武と3路線が乗り入れています。しかし、私立高校は、駅から遠くにあるケースも多いので、そればかりでもないでしょうし。

 当然、学校が多いということは、それだけ、域内で消費される額も増えるのですから、所沢市も、機会があればこれからは積極的に私立高校の誘致に努める必要があります。

 さらに言えば、企業の支店数も正式に比べたわけではないのですが、所沢は川越支店の管轄になっている場合が多いような気がします。

 戦略的な対応が求められる課題です。

 

2010年01月20日

くわけん白書Ⅱ① 「市民保養施設利用補助金交付事業」

 いよいよ2期目もあと1年3ケ月を残すばかりになってきました。そこで、前回も行ったのですが、今期、どんな質問をしてその後どうなったかの検証を行いたいと思います。

 記念すべき第1回は、本年1月15日付けで当摩市長から秋田議長に廃止の報告があった「所沢市指定市民保養所施設利用補助金交付事業」についてです。

 市民保養施設事業は、元々所沢市の保養施設として蓼科山荘があり、利用率の低下などがありまして、平成4年に廃止。その代替事業として、この事業が創設されました。

 くわけんは、この事業に関しては、再三その無意味さを指摘してきました。

 平成17年 12月 定例会(第4回)において以下のように指摘してゼロ予算化(事業は残すが、予算をかけない事業)を提案しました。

 くわけん
 「(市民保養施設利用補助金交付事業に)1,100万円かけているんです。・・・指定宿泊業者にしてみれば、自分の流通コスト、顧客を開拓するチャネル、流通チャネルを市が代替して行っているわけです。要するに市は代理事業をやっているわけです。普通であれば、代理で紹介しているわけですから、お金を払うどころか、もらってもいい。そういう話なんですよね。ところが、それにさらにお金をつけてあげていると。これはカモネギ状態になっているわけですね。
 ですから、本来であれば、そういう流通チャネルを提供しているという、あまたある宿泊業者の中からセレクトして、所沢市民に、所沢市の広報を使い、職員を使ってやっているわけですから、むしろそれはある程度の費用というものをいただく。あるいは、今 3,000円補助しているわけですけれども、 3,000円分の補助ではなくて、それを圧縮して、それでサービスは 3,000円ぐらいしてもらえると。
 もっと言えば、私は、よく皆さんスーパーとかのレジを入れる台のところに、温泉で6,800 円とか 8,800円というふうに割引券ありますよね。あれだって、そこのスーパーがあれを買うためにお金払っているわけではないわけです。あれは安くなるというふうになっているけれども、それはそこに置いてもらうことによって、スーパーはお客様に対してそういうサービスをやっていますよと。業者の方も、それによって自分の旅館を使ってくれる機会がふえると。こういうことなんですから、私は、これはゼロ予算化事業にしてもいいのではないかな、こういうふうに思っています。その辺についての御見解をお聞かせください。」

 齊藤市民経済部長 
 「市民保養所についてでございますが、・・・平成16年度におきましては、大人が3,278 人、子供が 370人の合計 3,648人の市民の方々に御利用をいただいております。
  今後につきましても、経費の節減と一層の市民サービスの向上を図る観点から、時期をみまして見直しを進めてまいりたいと考えております。そういった中で議員御提案につきましても検討させていただきたいと思います。」

 私の提案を受けて平成20年から導入されたのが、ゼロ予算事業である「あったか湯・遊・楽(ゆーらく)事業」です。
 この事業は、「所沢市民が四万温泉又は水上温泉に宿泊する際、市が発行する所沢パスポート券を提示することにより宿泊料金の割引き(10%)が受けられる事業」です。
 もちろん、四万温泉や水上温泉には一切市の予算はでていません。せいぜいパスポート券の作製費用程度です。

 平成20年12月定例会でも、


 くわけん 
 市民保養施設利用補助事業は来年度、廃止するのか?行政評価では、平成24年度まで廃止としているが、来年度の歳入をみれば、来年度即刻廃止するべきではないか?

 大舘市民経済部長 
 当初は平成23年度の廃止を考えていたが、アンケート調査等でも、大方の施設からあったか湯・遊・楽事業への参加、あるいは関心が示されたということで、今年度で廃止して、22年度からはあったか湯・遊・楽事業へ切り替えていければと思っている。

 と質問いたしました。

 ちなみに、平成20年度の市民保養所施設利用補助金交付事業の予算額が732万円、決算額が622万円でした。
 平成21年度市民保養施設利用事業 事務事業評価表 
平成20年度市民保養施設利用事業 事務事業評価表

 この事業の廃止によって、約600万円の削減効果があったとみてよいでしょう。
 事業の廃止は、ゼロ予算事業である、あったか湯・遊・楽(ゆーらく)事業の創設も寄与しているものとおもわれます。

 総体的に評価した場合、私以外にこの事業の問題点や新たな提案をした議員がいないこともありますので、成果としては、◎(くわけんの質問をきっかけとして廃止が実現)といたしたいと思います。

 

 

 

2010年01月19日

増税なき財政再建は可能なのか?

 日本の公的債務が天文学的な数字につみあがっていく中、増税をせずして本当に財政再建が可能なのか?そんなことを考えていたら、次の一文を目にした。
 集英社新書 「オバマ・ショック」という本で、越智道雄氏と町山智浩氏という米国に詳しいお二人の対談である。49p。
 以下 引用

 町山 クリントンは赤字を埋めるために増税をしなかった。議会は共和党に支配されてるし、社会全体もニューディールの時代じゃないから
 越智 AFCD(扶養自動手当)の改革に着手したりして、「福祉は労働の対価だ」という方針を打ち出した。民主党政権としては画期的なことです。そうしてクリントンは任期満了時には莫大な財政黒字を残した。

 クリントン元大統領は、どれぐらい残して、どのようにやったのか。

 そのことを紹介している記事を、今度は日経ビジネスオンラインから

 公務員の“改善訓練”で16兆円のコスト削減に成功した国 副題は、統計学的思考で税金の無駄遣いはもっと削減できる。
 
 著者は統計学者の吉田耕作氏

 記事の概要は、さきほどの対談にもあったように、クリントンとゴア副大統領が「2000年には約24兆円の黒字を出すのに成功した」「1995年に民間の業務改善の最良の方法を取り入れるためにNational Performance Review(NPR)が設立され」「NPRは5年間に1770億ドルにのぼる個々のコスト削減を提案し」たそうだ。その背景には、米国のIT革命が同時期に進行していたこともよりコスト削減と税収増を進める要因になったという。

 所沢でも、年間6億円以上のIT投資を行いながら、それによる人員削減効果はほとんどみられないことは市役所の職員の定数がそれほど減っていないことからみてもあきらかです。そういう趣旨の質問をすると帰ってくる答えは、「行政の仕事が増えて、増えた分をIT化で対応しているのです。もし、ITがなければもっと職員が必要になります」ですって。

 やっぱり日本は増税しかないのか?

 

 

2010年01月18日

松下幸之助さんは憲法を大変大事に考えていた(神戸視察)

 今日は、松下政経塾出身者の地方議員の会研修会で神戸に来ています。
 神戸市立病院改革について、「人と自然との共生ゾーンの指定等に関する条例」についてご担当の方から説明を受けました。

 要点だけご紹介すると、病院改革については、神戸市では 1)地方公営企業法全部適用 2)独立行政法人化 の2つの選択肢があり、(この時点で、横浜市が実施した、指定管理者が省かれている)より柔軟な経営ができる2)の方式を選んだとのことでした。なぜ2)かといえば、複数年度契約が可能なことが理由のひとつとして挙げられていました。
 経営がうまくいっている民間病院と公立病院のコスト差の違いは、まずは看護師や、放射線技師などの人件費、事務部門の人件費、そして、医薬品や医療需要品の調達コストの違いが大きいといわれています。複数年契約になれば、この医薬品、需要品調達コストが引き下げられます。
 また、独立行政法人化すれば、特に一般独立行政法人になった場合職員の身分が公務員でなくなります。さらに、これが指定管理者になれば雇用継続の義務も無くなるので、それが理由でさすがに神戸市は指定管理者という選択肢はとれなかったようです。
 
 「人と自然との共生ゾーンの指定等に関する条例」は、市街化調整区域の中の特に、農業振興地域を地域住民が里づくり協議会という組織を形成して、農家も非農家も一緒になって、地域の利用計画を作成できるしくみです。
 上位法には都市計画法、農地法などがありますが、例えば、この条例で駐車場や廃棄物処理場などゾーニングを開発の容易なゾーニングに指定すれば、羈束(自由裁量がほとんどない)に近い形で開発許可が得られるという可能性が高くなるそうです。
 こういった制度を利用して、逆に開発圧力が強まるのではないかという問いに対しては、計画策定の中で本来の条例趣旨(産業としての農業の振興、農村景観の保全など)にあわない計画は、いくら住民の過半数の同意を経ても計画を許可しないとのことでした。
 所沢市でもなんらかの形でこういった条例が必要になるでしょう。

 今回は、神戸市議会議長となられた松下政経塾1期生でもある吉田謙治先輩に、様々にご準備をいただきました。私たち政経塾出身者にとって、1期生は特別な存在です。最も高い倍率を経て入塾していますし、松下幸之助塾主が精魂を傾けて選抜されたすばらしい方ばかりで、なんとなく他の期と雰囲気が違います。現在、岡山県議会議員でもある1期生、内山登先輩も駆けつけてくださいました。
 
 夜の懇親会には、前塾長の関さんも駆けつけてくださいました。いろいろとここには書けないおもしろいお話をお聞きしました。関さんは9年間にわたって塾長を勤められたのですが、塾に来て改めて松下幸之助さんは日本国憲法というものを非常に重要に考えていたし、よく読まれていたということでした。

 日本国憲法の中には、権利という言葉は本文中に21回、義務は3回と権利と義務とのバランスが悪いことを気にしていたそうです。そういった意味も含めてやはり憲法については再検討すべきだというお考えだったのではないかとのことでした。

 なるほど、9条ではなく、そういった権利義務に視点が行く点がやはり幸之助さんらしいなと思いました。 また、聖徳太子と聖徳太子が作られた17条の憲法を大変尊敬し評価していたようです。

 
 

2010年01月17日

民族・政治体制・政権

 ある会合で、君が代斉唱の際に起立しない議員がいることについて議論となりました。
 そのことについて文句もよく言われます。別に、わたしが起立しないからということではなく、子供たちが見ているのに、ルールを守らない人がいると教育上良くないということのようです。

 なぜ起立しないのか少し考えてみたいと思います。

 たとえば、なぜ私が起立するかといえば、私は、政治体制として立憲君主制を擁護する立場にあるからです。つまり、天皇制には賛成の立場なので君が代に抵抗感もありません。
 実際に、英国やオランダ、スゥエーデン、デンマークなど、西欧においても立憲君主制の国は多くあります。君主を廃止する共和制や大統領制には反対の立場です。
 君主制のメリットとしては権威と権力のすみ分けができる点にあります。よって政治が安定します。政権の交代ごとに前政権のトップが必ず逮捕されるという状態は私はあまり好きではありません。

 一方、起立しない議員の方々の党派綱領は、議会制民主主義を是認しながらも終局的には別の政治体制を目指しています。
 つまり、現状の政治体制については弁証法的に否定の立場をとっているのです。よく内心の自由を保障するという観点からの説明や説得がなされますが、本来的には、国旗や国歌は、基本的には政治体制を象徴するものですので、現状の政治体制に否定的であるとするなら、起立しないという選択肢はあるでしょう。

 政治体制が変われば、国旗や国歌はかわることが多いです。
 ところが、多くの日本人は、この民族、政治体制、政権の3重構造を理解していない人が多いので、いきおい起立しないことについて疑問を呈します。

 なぜなら、日本は、日本語を主に話す日本民族が、資本主義、自由主義、議会制民主主義に基づく立憲君主国という政治体制で、日本国として成立しているからです。
 ですから、政権交代とは、あくまでも同じ政治体制下における政権の交代にすぎません。

 お隣の朝鮮半島では、同じ民族でありながら、南と北で政治体制が違います。ですから国旗も国歌も違います。つまり、同じ民族であっても、政治体制が違うという選択肢があるということです。
 
 米国や英国などでは、政権交代はあっても、党派として政治体制の変換を訴える党派は議会内に存在していません。
 米国などは最近はそうでないようですが、かつては入国審査の際に、ある党派は入国できないと明記されていました。
 しかし一方でおもしろいのは、憲法上、国民に政府を転覆させる権利(抵抗権)があることを認めていることです。 そのことから民兵(ミリシア)や銃の保持が認められています。

 以上のような観点から、起立しないという行為は政治的な立場からいえば、抵抗権の行使ということになるのだろうかなと分析しています。

 

2010年01月16日

人はなぜ学校で学ぶのか?

 ある同僚議員とお話をしてこの話題になりました。その議員のお知り合いの方が、いわれなきことで行政から被害を受けているということでした。

 その中身については語ることができないのですが、お話をお聞きした範囲でいえば、やはり、世の中のしくみ、というものについての理解が浅いと、被害者になってしまうということでした。

 もちろん、そうしたことが起こらないように世の中の制度を整えていくのが重要なのですが、それ以上に私たちも、よく世の中のしくみというものを勉強しておかなくてはいけません。
 つまり、騙されないように学ぶということが大事なのです。
 
 「砂と霧の家」というアメリカ映画の秀作があります。女性主人公が、税金の滞納を理に住んでいた家を追われ、それによって大きな不幸につながっていきます。

 この主人公が、もし行政のしくみについて理解が深ければ、その先の不幸が防げた可能性があります。そういう時には弁護士に頼めばよいという方もいるかもしれませんが、そもそも、それほど弁護士と接触する機会がない人間が初めて仕事を依頼する場合に、弁護士の良しあしを簡単に判断できません。

 「行政が間違いを起こさないだろう」「弁護士はあんなに難しい試験を受けて合格したのだから誰にお願いしても間違いないだろう」などという安易な考えでは、痛い目にあってしまうこともあります。

 司法とは正義の味方だ、という印象は、さまざまな冤罪事件を通じて必ずしもそうでもなさそうなことが理解されてきたと思うのですが、なかなか自分自身がトラブルに巻き込まれないとわからないとは思います。

 先ほどの映画でも、やはり弁護士に頼むのですがうまくいきません。しかも、苦境に陥っているときには、弁護士費用がなけなしのお金ということになり、さらに状況が深刻化していきます。

 本来であれば、弁護士も、医者のように、民事科 刑事科 行政科 のようにわかれているといいのですが、その弁護士さんにも得意分野があるようです。医者も難しい試験を経ていますが、やはり専門分野があるように、弁護士さんもオールマイティということはあり得ないはずです。

 いずれにせよ、やはり自分の身は自分で守るためにも、勉強はしっかりとしたほうがいいです。いや、学校ではそんなことについて直接学んだことはないぞ、といわれるかもしれませんが、たとえば、国語の授業で、しっかりと本を読む基礎を学べば、多くの知識が本からも得られます。
 
 日本の司法制度や裁判についての実態、本音を垣間見るには、副島隆彦氏と山口宏氏共著の「法律の秘密」「裁判の秘密」がお勧めです。

 勉強は、立身出世、つまりより高い社会的地位を目指すためのものと一面的にとらえられることもありますが、やはり「騙されないために」学ぶということを理解していただきたいです。もちろん、いいかげんなことを言っている政治家に騙されないためにもです。

 以前にもお話したことがあるかもしれませんが、ある勉強が嫌いだという女性と一緒に仕事をさせていただいたことがあり、その方に「勉強は人にだまされないためにするんだよ」と聞いてすごくびっくりされたことがあります。その後、その方は、その言葉で、初めて勉強する意味がわかったといきなり猛勉強をはじめて、さらに上の学校に自ら進学され、無事就職もされました。

 しかし、本来的には、社会が正直者がばかをみないようなしくみになっていることが、一番重要なのではありますが。
 

2010年01月15日

独立変数都市と従属変数都市

 本日は、今年第一回の全員協議会が開催されました。
 
 議題は、現在執行部で素案作りが進んでいる、第5次所沢市総合計画について と (仮称)まちづくり基本条例についてでした。

 いずれも素々案ですので、まだホームページにアップしてされていないので、なかなか細部まで紹介できないのですが、第5次所沢市総合計画についていくつか質問しました。

 まず質問したのは「第5次所沢市総合計画 策定スケジュール」についてです。
 計画案では、8月に基本構想・前期基本計画原案をつくり、9月に「冊子製本のための作業」、10月は「市議会提案の準備」、12月に「市議会提案」という提案でした。

 くわけんの質問は、「なぜ8月に原案ができるのに、9月議会に上程しないのか?議会提案前になぜ冊子製本してしまうのか?」。
 答えは「特に他意はない」」とのことでしたが、議会でもじっくりと議論をしたいので、やはり9月上程に向けてがんばっていただきたいです。

 用語として、「地方分権の視点」という表現がなされていました。しかし、最近は「地方分権」ではなくて、「地域主権」というのが主流になりつつなあるので、「その点について議論はなかったか」質問しました。

 また、将来都市像として、「自立都市構想」ということをうたっていたので、「その自立というのはどういう意味か」と問いました。説明文書を見る限り、行政の国からの自立という側面にしか着目していなかったようだったからです。

 今回の素々案の記述の中にも、昼間人口比率が85%、つまり、15%の人が昼間市外に通勤・通学などで、出ていることがあげられていました。

 やはり、自立というのならこの差が極力100%になるように努力する必要があります。
 具体的には、市内での雇用創出と、高校や大学などの定員増加策です。

 川越市と所沢市を平成20年度国勢調査で比較した場合、15歳以上の通学者で所沢市から川越市へ通っている生徒数と、川越市から所沢の学校に通っている生徒数を比べると、前者が432人。後者が971人。 昼夜間人口比率は、川越市が96.5%です。

 所沢市は、東京あっての所沢市であり、西武鉄道あっての所沢です。もし、鉄道路線がなくなったら人口は一気に減少するでしょう。路線がなくならないまでも、運転本数の減少は所沢市の利便性を著しく低めてしまいます。

 逆にいえば東京を中心とする首都圏に人口が集まっている間は所沢市も安泰ですが、今のように東京の従属変数都市である以上、もし、東京を中心とする首都圏への人口集中が逆転し始めたとき、所沢市も人口減少が起こります。

 そういった観点も含めての自立都市ということを言いたいのか。
 もう一度まとめますと、所沢市にとっては、鉄道路線の利便性や輸送能力、そして、所沢市へ通勤通学者が増えることが、自立都市を目指す上で大変重要だということです。
 まあ、そこまでは考えていないというような回答でしたが。

 私的に表現すると、自立都市とは、従属変数都市からより独立変数都市へとシフトチェンジしていくことだといえます。

2010年01月14日

リニアの部分開業(相模原~甲府)から所沢の成長戦略を考える②

 藤沢市と所沢市の人口について平成2年(1990年)から現在までで比較すると、

 藤沢市 平成2年 350,330 →平成21年 407,700 増加数 57,370 増加率 1.16 
 所沢市 平成2年 302,386 →平成21年 341,865 増加数 39,479 増加率 1.13

 増加率については、それほどの違いはないようですが増加数は18,000人ほどの差があります。
 新駅の開業もこの20年でありませんが、1999年に、湘南台駅に、それまでの小田急江ノ島線に加えて
相鉄線、横浜市営地下鉄ブルーラインが接続しました。
 詳細なデータを持ち合わせていないのですが、この新規接続が、18,000人の違いを生みだしたのでしょうか。

 平成12年に答申された運輸政策審議会「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」に関係する個所は、
 所沢市 <18>東京12号線の建設及び延伸 都庁前―光が丘━大泉学園町⇒武蔵野線方面
 藤沢市 <4>相模鉄道いずみ野線の延伸 二俣川―湘南台⇒相模線方面

 今後整備について検討すべき方向を示す場合は「⇒」ですので、目標年次までに整備ないしは着工にももれている路線ということになります。

 ちなみに、旧運輸政策審議会(現在は交通政策審議会)の交通網整備についての答申は15年に1回しか出されません。現在の計画年度が2000年から2015年です。

 所沢市も藤沢市も一応、東京12号線の延伸、相模鉄道いずみ野線の延伸が答申されてはいますが、いずれも着工の予定すら立っていない状況です。

 こうしてみると、所沢市も藤沢市もあまり違いがないように見えますが、藤沢市のほうが私からみるとより積極的な人口増加策をとっているようです。

 まずは、JR東海道線辻堂駅周辺の再開発。名称を湘南C-X(シークロス)といいます。
 北口にあった関東特殊製鋼本社工場跡地を利用転換し、辻堂駅北口を中心とした多様な機能を持つ都市拠点の形成を目的に整備が進められている。面積約25haに移住人口2,300人、就業人口1万人を想定。事業主体は都市再生機構。(湘南C-X wikiより)

 また、現在は新幹線の新横浜~小田原間の新駅誘致にも積極的に取り組んでいる。
 東海道新幹線神奈川新駅誘致について
 駅そのものは藤沢市にはないが、藤沢市にとっても開業インパクトは大きい。
 
 現状では新駅の設置は厳しいが、実際にリニア開業が進めば、新幹線の在来線化によって、新駅開業の可能性も高くなってきます。

 所沢の場合は、新幹線も通過していないので、そういった新駅の可能性も低い。

 現実的可能性が高いのは、やはり地下鉄12号線の東所沢駅延伸でしょう。
 また、旧車両工場跡地開発も人口増加のためには重要です。湘南CーXのような就労人口増加と定住人口増加の双方を狙える地域開発が重要です。

 また、よくいわれる上北台からのモノレールの所沢方面への延伸ですが、地図でみると、西武球場前は一直線ですから、そこまでは地権者も東京都が中心になるでしょうから、なんとか実現できないものですかね。実際には、運輸政策審議会答申では、上北台から箱根ヶ崎駅方面へのルートで答申されてますからそうとう難しいとは思いますが。

 いずれにせよ、来年度へ向けて策定する総合計画でどれだけ交通体系の整備を盛り込むことができるのか、そして、次回の計画年度2016年~2030年の交通政策審議会へ向けて所沢市がどのように12号線延伸をアピールしていくかが重要になってくるというのが今年ですので、私も所沢市の鉄道交通こそが成長戦略のカギをにぎるので、今年は研究提言を積極的におこなっていきます。
 

2010年01月13日

お金の使い方は正しくなければいけないけれど

 先日、非営利団体のお金の集め方や使い道をどこまで厳密に処理すべきかという議論になりました。
私も常々、市の補助団体に対する厳正な対応を求めてきています。

 例えば、市から100万円単位の補助が出ている団体については会計報告などをしっかり行っていただく必要があります。
 しかし、全体の予算規模が10万以下の団体における、お金の使い道は、あまり厳正に処理しすぎると、会計担当者の負担が重くなり、かえってやる気をそいでしまうケースもあります。

 その辺の金額がいくらぐらいかは議論の残るところですが、たとえば、消耗品なども、市からの補助金が出ている場合は、いちいち1円単位で個別に領収書を取らなくてはいけません。
 間違って、まとめ買いした場合は、領収書を取りなおさなくてはなりません。いきおい、自腹でとなってしまうこともあるそうです。

 地方自治法第12条14項では、最小の経費で最大の成果を挙げることがうたわれていますが、時間も経費だとすると、領収書を取る手間を考えるなら、一定程度渡し切りにする場合が最小の経費で最大の成果かもしれません。

 あまり、結論のでている話でもないのですが、支出する側の事情もある程度理解しているだけに悩ましい問題です。

2010年01月12日

日本も「神風」を期待したが、ドイツも「奇跡」を期待していたとは

 昨年(平成22年)12月19日(土)に、池袋ジュンク堂で開催された、佐藤優氏の講演会に参加した。佐藤優氏の本は大抵読んでいる私としては、生の著者に会えるということで大変楽しみにしていた。
 
 やはり書かれている内容も重要だが、どんな声をしているかを確認するというのが重要な作業である。特にテレビメディアにはほとんど佐藤氏は登場しないし、講演もそれほど頻繁になされていないようなので、声をチェックする機会がなかったからだ。

 声の判断基準は、声の質と同時にしゃべり方のクセのようなものも含めてのものだ。
 想像ではもっと低音な声かと思ったが意外に甲高い声であった。

 生著者の声を聞くと、その後同じ著者の文書を読んでも、印象が違ってくることもあるが、今回はあまりそういうことはなかった。  

 このプラチナチケットは、友人がわざわざ確保してくれたものだ。この場を借りて感謝申し上げます。

 さて、その時の講演内容であるが、文藝春秋 2010年2月号に佐藤氏が書かれた内容を枕に話が進んだ。ちょうど原稿を執筆中の講演だったのだろうか。
 当然ながら、講演は、さらに神学との関連について話が展開したので、その記事がそのまま講演内容と重なるということではない。

 佐藤氏から紹介があったのは、ティモシー・ライバック著 「ヒトラーの秘密蔵書」という本で、ヒトラーの蔵書から、その思想遍歴や人物像をとらえようとする著作だ。
 解説を佐藤氏が文藝春秋に執筆している。
 この本の要約も掲載されている。要約によれば、ヒトラーは、ロシアからの攻撃に耐え抜き、ロシアのエリザベータ女王の急死によって停戦を勝ち取ったフリードリッヒ大王の伝記を敗戦が濃厚になってからむさぼり読んだそうだ。
 そして、米国大統領ルーズベルトの死去により、「ついに奇跡が起こった」と大喜びした。しかし、フリードリッヒ大王のような奇跡は起こらなかったのはご承知のとおりである。

 日本も終戦末期、蒙古襲来になぞらえて「神風」が吹くことを期待したが結局吹かなかった。
 ドイツでもそのような期待があったことを初めて知った。

 私たちは謙虚に歴史から学ばなくてはいけないが、歴史に期待してはいけないということなのだろう。
 
 

2010年01月11日

地方自治法抜本改正?

 本日付け日本経済新聞社の記事によれば、地方自治法の抜本改正がおこなわれるとのこと。
 ニュースソースがはっきりしないので、こういう方向性に誘導させたいという意図をもった記事と思われます。
 しかし、書かれている中身については、私としては歓迎する内容。っていうかもう欧米では!常識であり、何をいまさらの感もあります。
 抜本改正の柱は、なんといっても議会からも、執行部に人を送ること。私が、以前視察で訪れたオランダティルブルグ市でも、予算だけでなく、日常業務の決済権が、議会の委員会にあるようでした。議員が月曜日に役所にでかけて、決済をするのです。

 オランダ ティルブルグ市視察報告はこちら

 日本でも一部には、議員からかつての助役いまの副市長ですが、選任するケースがあったようです。どちらかというと、議会のお目付け役として執行部に取り込むという例が多かったような気もしますが。
 今回の法制度化では、これまでだと一旦議員を辞めないと執行部側の職員になれなかったのですが、議員の身分を維持したまま、執行部に登用されるということです。
 副市長ばかりでなく、部局のトップ、たとえば部長などにも議員から登用されるようです。
 この最大のメリットは、議員も財源に責任を持つ議論が基軸となることです。また、行政にかかわりたい優秀な人物が、議会に増える可能性もあります。
 デメリットは、政治的な思惑や配慮で適材適所の人材が登用されないと、行政が混乱することです。 

 日経の記事で気になったのが、新制度導入によって、「地方議会も2大政党化が進む」というくだりです。それによって、活発な議論につながる。この辺は疑問符です。
 しかし、活発な議論が行われていなかったのも事実なので、その点は大いに反省すべきでしょう。
 わたしなども、一問一答になってからますます張り切ってやっています。当然、がんばってるねとおほめの言葉もいただくのですが、議場は裁判所ではないといわれることもあります。
 
 活発な議論と簡単に言いますが、それぞれ市民の方のイメージもありますから、法制度化したからすぐ何かが変わるということにはならないでしょう。しくみを変えたからすぐ内実は変わるというものではないのです。

 いずれにせよ、地方議会自らが自己変革をしていかないと、結局、地域主権と言いながら国のというより、政権与党のいいように、地方制度も変えられてしまいます。
 所沢市議会も、更なる自己改革を目指していかなくてはいけないと新たに決意した次第です。

 


 


 
 

2010年01月10日

キャリア官僚が中学校長に

 本日付朝日新聞に、文部科学省キャリア官僚から東京都品川区立大崎中学校校長に転身した 浅田和伸さんのことが紹介されていた。
 御本人は、官僚をやめてではなく出向の形での赴任だそうだ。それでも、こうしたキャリア官僚の方が教育行政ではなく現場に出向かれるというのは大いに結構なことだと思います。

 また、こうした人を受け入れられる品川区教育委員会も大したものです。

 そのインタビュー記事で最も目を引いたのが以下の個所です。

 40人学級について
 「霞が関の人たちにそう言うと、よく「オレたちの頃は60人だった」とか「オレが通っていた私立○○中学では50人学級だったが、問題なかった」といわれる。中央省庁は中高一貫の私学出身者が多く(そして国立中高も多い:筆者注)現在の公立校の状況をあまり知らないんじゃないかと感じることもある」

 そうですね。このコメントに今の公教育の問題が凝縮しているような気がしますね。

 私も松下政経塾に入ったとき、労働体験ということで、広島県府中市の自動車部品を作る鋳物工場で2ヶ月お世話になりました。
 松下政経塾は、設立当初から、労働体験がカリキュラムにあり、当初は松下電器で工場実習と販売店実習がカリキュラムにありました。
 
 現場を知っていることが日本企業や社会の強みでしたし、メーカーなどは、大学卒の新入社員を現場で働かせることで、通過儀礼としていたのですが、最近はそうでもないんでしょうね。

  話が違う方向に行ってしまいましたが、自分は安全圏にいて人にはいやなことをやらせる人が増える社会は確実にダメな社会であることは声を大にして言いたいと思います。

2010年01月09日

リニアの部分開業(相模原~甲府)から所沢の成長戦略を考える①

 本日付時事通信によれば、「JR東海 は8日、名同社が東京―名古屋間で2025年に営業運転開始を目指すリニア中央新幹線について、神奈川―山梨の一部区間を前倒しで開業させる可能性を明らかにした。」ということだそうだ。
 リニア事業の在り方についてはここでは言及しないが、いずれにせよ相模原も甲府も新たな路線と鉄道駅ができるというのは、地域の発展にとってはプラス材料となるだろう。

 明治維新以来、鉄道駅を得るかどうかでその地域の発展に違いが生まれてきた。
 町の中心部を避けて駅を建設したために、既存の中心部が衰退したといういのはよく聞く話しだ。
 
 最近の例でいえば、長野新幹線の駅ができた佐久平と、駅が遠のいた小諸。佐久平駅周辺は発展し、小諸駅は発展の機会を逃した。
 武蔵野線越谷レイクタウン駅の開業も大きなインパクトを与えた。
 また、つくばエクスプレス開業により沿線開発が進み、沿線人口も着実に増加しつつある。

 翻って、わが所沢市。1987年(昭和62年)航空公園駅開業以来新駅は建設されていない。新所沢~入曾間の駅の構想も潰えたようだ。相変わらず、西武新宿線は、かろうじて国分寺直通運転ができたものの、そこからJR線に乗り入れるという話はあまりないようだ。始発と終点が他線と接続していないのだ。

 対前年度人口増加率も、航空公園駅開業の1987年(昭和62年)以降に、102を切り、平成7年以降は100を超えることはない。

 (ちなみに、埼玉県和光市では、対前年度人口増加率が、平成6年が103、平成7年が104をピークに平成5年以降、平成16年、19年を除き、常に101以上を維持している。)

 一方、財政規模も人口規模も近い神奈川県藤沢市との比較をみてみよう。
 

 ②へつづく 

 

2010年01月08日

戦前と戦後の官僚機構の連続性について

以前紹介した、松下圭一法学論集「国会内閣制の基礎理論」(岩波書店)まえがきに、以下のように記述されています。

 「敗戦後、ドイツでの直接占領方式とは異なり、戦前日本の行政機構・官僚組織を解体せず、これをつかいこなそうとしたアメリカ占領軍の間接占領方式のため、日本の戦争責任問題がアイマイになっただけではなく、日本国憲法制定後もいわゆる「戦後民主主義」の(外装〉にかくされて、戦前型の官僚内閣制は持続してしまった。」

 この文章にふむふむと思っていたところ、今日の日経ビジネスオンライン「歴史の見る目のつくりかた」という記事での加藤陽子東大教授とノンフィクション作家山岡 淳一郎氏との対談でも同じような趣旨の発言があった。
 
 以下引用

 「山岡 ひょっとすると日本政府の中枢には、戦前からずっと同じ意識がつながっているんじゃないだろうか、ということです。我々はつい1945年、敗戦の年が1つの区切りになって、新しい体制ができたと思いがちですが、政府の中枢には、「重要な情報は、自分たちが握っておく。依らしむべし、知らしむべからず」という意識が連綿と続いていたのかなと」
 これに対して
 「加藤 その官僚という視点で切ると、田中角栄の「新しい人」ぶりがよく分かります。佐藤や岸や吉田がすべて戦前のエリート、外務官僚や通産官僚、満州国の官僚ですね。そういう人がやっているときに、彼は一からよじ登ってきた。彼が首相に就く1970年代まで、がっちりと日本の中枢を握っていたのは、やっぱり戦前からの総力戦体制官僚だった。 」
 さらに
 「山岡 そうですね。極端な言い方をすると、確かに軍隊はなくなった、天皇制も変わった、しかし官僚は生き続けたという。 」

 結局、今回の政権交代の歴史的意義は、ここにおいてようやく戦前からの官僚機構の解体がやっと行われるということになるのでしょうかね。しかも、それが、田中角栄の一番弟子である、小沢一郎氏によって成し遂げられるという点に、歴史というものの凄味を感じざるをえません。

 

2010年01月07日

エネファームの話で盛り上がる

今日は、消防団員でもあり、ガス会社にお勤めのDさんと、エネファームの話で盛り上がりました。

私は、どちからというとガス派で、家の暖房も風呂もすべてガスです。
なぜなら、ガスは原油に比べ埋蔵量が多いことと、埋蔵量が約200年分ある石炭からも生産が可能なことなど、ゆくゆくはガスが中心になると考えているからです。

エネファームとは、ガスから水素を取り出し 酸素と反応させて発電するシステムで、発電時の排熱を給湯に利用できるコージェネレーションシステムのことである。(出典はいつもながらwikiです)

エネファームについてはこちら

ちょうど、昨日のテレビ東京ワールドビジネスサテライトでも、日本の技術力の素晴らしさの例としてエネファームが取り上げられていた。異なる企業同士が、立場を超えて協力しあい、それまでコストが約1000万円かかっていたものを350万円まで値下げしたというものです。

私は公団の団地住まいですから、エネファームを設置することはちょっと厳しいようですが、国からも補助が上限140万円ですが出ますし、所沢市でもエネファームに補助もでますので(1万円ですけど)、二酸化炭素排出抑制のためにもおすすめです。

 25%二酸化炭素排出削減のためには、産業部門の効率化は世界トップクラスですから、家庭部門の二酸化炭素排出抑制をメインにすすめるしかありません。
 
 日経新聞によれば、「欧州連合(EU)は2021年以降に新築する住宅やオフィスビルなどについて原則として、二酸化炭素(CO2)を実質的に排出しない「エコ建築物」とするよう義務付ける規制を導入する。建築物はEU域内のCO2排出量の約4割を占め、抜本策が不可欠と判断した。」とのことです。

 家庭部門の二酸化炭素排出抑制に関連する産業が発展すれば、同時に世界的な産業競争力も高まり新市場も生まれるのですから、ダムなど土木建設関連への投資から、即刻家庭エネルギー効率化へ投資を切り替えていく必要があります。

 所沢市でも上限1万円というのはちょっと足りない気がします。埼玉県戸田市では上限20万円だそうですから、財政厳しい折ですが、補助額値上げを実現できるといいのですが。


 

2010年01月06日

電気自動車の時代はやってくるのか?

 今年に入ってからのメディアの話題はやはり電気自動車のようです。昨日もTV東京「ガイアの夜明け」では電気自動車特集でしたし、今週(1月12日号)の週刊SPAの神足祐司のニュースコラム「これは事件だ」でも、電気自動車について紹介していました。
 電気自動車は当分先で、まずはハイブリッド車、そして水素燃料電池車、最後に電気自動車かと思っていましたが、神足氏の記事によれば、インタビューに答えているモータージャーナリストの舘内が「その水素は分子が非常に小さいから、金属の中にまで侵入し、水素脆性を起こす・・・水素ステーションは1基3億円、3年でパイプ交換」などの事実を羅列し、「水素は23世紀まで無理」とのことだそうです。
 ガイアの夜明けでも、三菱の「i・MiEV」を採用しているタクシー会社の社長さんが、「もうこれからは電気自動車しか導入しない」「燃費がLPGの10分の1」と答えていましたし。先ほどの舘内氏も「EV(電気自動車)は夜間電力で1㎞=1円。大阪まで走って600円。気体水素の場合9,192円、ガソリンでも6,600円」とのことです。
 どうやら、移動に伴うコストは10分の1というのは、あながち間違っていないようです。
 重い荷物を運ぶ場合には、電気自動車の限界があるのかもしれませんが、人間を乗せて近距離を移動する分には、どうやら電気自動車に分があるようです。
 さらに、ガソリンエンジンの致命的な欠点は、やはり排気ガスに様々な化学物質が含まれていることでしょう。不完全燃焼を起こした場合は、事態はさらに深刻です。

 では、なぜこれほど優位性のある電気自動車が普及してこなかったかといえば、答えは電池がそれだけの性能がなかったということにつきるのでしょう。
 「ハイブリッド」 (文春新書) 木野 龍逸 著を読みますと、やはり電池の開発が難航したことが語られています。
 私も、一度おもしろがってH社のハイブリッドカーをレンタカーで借りたことがあります。家族の評判はさんざんで、それというのも、ちょうど後部座席の真ん中の席が電池収納スペースの上部にあるため、一段高くなっていて頭が天井にくっつきそうで、座り心地が大変悪かったのです。気のせいかもしれませんが、運転が長時間にわたると、なんとなくシートが電池の放熱のせいか暖かくなりました。

 電池製造は、意外とローテクなところがあって、基本的には粉体を加工して作成します。私も土壌を扱った経験があるのでなんとなくわかるのですが、粉体は成分を均一にするのが難しいんです。粉体技術の進歩=電池の進歩なんでしょうね。
 
 残念ながら、私のように、団地に住んでいると、駐車場と家が離れてますし、駐車場には充電設備もないので、生ゴミ処理のコンポスターと電気自動車は導入できないのですが。
 
 
 

2010年01月05日

官僚内閣制から国会内閣制へ

 昨年10月に出版された、法政大学名誉教授で政治学者の松下圭一氏の「国会内閣制の基礎理論」(岩波書店)をこの正月に読んだ。(全部じゃないよ)
 本の帯には、「官僚内閣制から国会内閣制へ」とかかれている。
 内容は、これまでに松下先生がおっしゃっていたことが中心となっている。
 「まえがき」がおもしろい。松下先生が唱えてきた官僚内閣制の転換が政権交代によって、その端緒についたことを受けて、その期待とよろこびと熱狂が文章にみなぎっている。

 最近では、官僚内閣制という言葉は、馴染み深い言葉となっている。たとえば、本日の朝日新聞2面、福嶋我孫子前市長のコメントでも「国政は政権交代でかわりつつある。議員が官僚と結びついた官僚内閣制から、国民の意思を反映させる本来の議員内閣制に近づこうとしている」と現状を分析しながら、述べている。
 やはり昨日の小沢一郎氏をゲストに迎えたTV番組、カンブリア宮殿でもしかり。まさに、官僚内閣制の打倒こそが、「無血革命」(昨日の同TV番組での小沢氏の発言)だったのだ。

 私も知らなかったが、この官僚内閣制という言葉を造語したのは、松下圭一先生だという。
 同書まえがきから、少し長いが引用しよう。「今日ではひろく使われている≪官僚内閣制≫という言葉を造語して、一九九八年、本書第8論考「官僚内閣制から国会内閣制へ」を書いた。時代の新しい課題は新しい言葉を必要とするからである。その後一〇年を経て、この予測はようやく≪政権交替≫をチャンスとしながら、(中略)日本の政治現実にのぼってきた。」
 
 ちなみに、所沢市だって、これまでは、議員と執行部との関係もプチ官僚内閣制であったといえなくもない。一番象徴的なのは、議場における議論である。
 議会制民主主義の本来の姿からすれば、特に本会議場での議論は、選挙で選ばれた市長と、議員のみのはずで、せいぜい議会の同意人事である、副市長や水道事業管理者までで、本来部長などは、地方自治法でいうところの市長の、補助機関にすぎない。(ちなみに日本国憲法でいうところの公務員というのも、公選職が前提である。)
 本来であれば、そういう意味からいっても、多少コストはかかっても副市長は3名ぐらいいてもいいと思う。しかも、地方自治法の改正(第153条、第167条)で、市長が権限委譲すれば副市長が最終的な責任者と位置づけることが可能になった。
 
 所沢市の姉妹都市である、韓国安養(アニャン)市も、部長席は、市長と議員に対して垂直に配置されていた。
 また、一般質問や議案質疑にしても、事前の意見交換は否定しないが、予定調和的な質問と答弁も改めていくべきであろう。やはり、特に本会議場においては、議員同士も含めて、政治家と政治家とのひたむきな議論がもっとなければならない。

 国政における、官僚内閣制から国会内閣制への移行に伴い、地方議会もますます執行部との関係をたとえば、議場における答弁の在り方を含めて変えていかなくてはいけない。

 

2010年01月04日

みんながお客さんになってしまう社会

 今日、あるお店に行ったら、そこのお店の公衆電話で怖い顔をした男の方が、公衆電話に向かって、「責任者を出せ」とどなっていた。
 「ああ、またか」と思いました。最近はこういう方が多い。
 事情がわからないのでなんとも言えないが、きっとその方もどなたが相手かはわかりませんが、あまりにもお粗末な対応にブチ切れてしまったのだと思う。
 こういった場合、まず責任者は出てこない。いちいち責任者が出てくるほど、責任者もヒマではない。
 それぐらい苦情は多いし、手違いやミスも多い。私も本当にびっくりするような手違いやミスに遭遇することが多い。10年ぐらい前までは、「何を教育しているんだ、お宅の会社は」などと、私もどなってみたりしたが、最近はそもそも、ミスをした人も、ミスの対応者もその会社の正社員でもないことも多いらしいことがわかっているし、教育にもお金をかけていないだろうから、怒ったところで意味もないし、むしろ「安い時給でたいへんだなあ」と同情が沸き起こる程度である。
 それほどまでに日本の社会の基礎的な部分がすっかり弱ってきている。
 
 こういったどぎついクレームが、お金のやり取りの関係のある、生産者、サービス供給者と消費者間でなされるならまだわかるが、びっくりするのが、お金のやり取りではない関係でも、消費者の立場にたってクレームをつけられてしまうことである。たとえば、学校と、生徒、学校と、保護者との関係。こうした場面にもサービスの供給者と消費者の関係を持ち込んでしまう。

 確かに、学校教育も一種の行政サービスと言えなくもない。「税金も払っているのだから当たり前だ」という議論も成り立つ。
 しかし、実は、所沢市の場合でも、納税額より、受けている教育サービスの金額のほうが大きいご家庭が大半である。払っている以上の対価を得ているのが義務教育である。このことは、たとえば、私立高校や私立大学の授業料を考えてみれば容易に理解いただけると思う。

 平成18年度「子どもの学習費調査」(文部科学省)によれば、私立高校の授業料と学校納付金等を足し合わせると、約54万円。ここから類推して、義務教育も一人当たりこれぐらいのコストがかかっているとしましょう。さらに、ここに、義務教育の場合は給食費補助も加わります。給食代はほぼ原材料費見合でしか支払っていませんが、実は1食に換算すると700円ぐらいの補助が市から出ています。年間約200日として、約14万円が給食費としてかかっているので、約59万円。
 
 所沢市の世帯当たりの年間納税額(社会保険や消費税はここではいちおう除きますよ)は、平成20年度市税概要によれば、個人市民税が21万6千円。固定資産税が15万円。これに所得税や県民税を加えても、50万円には達しません。おそらく、子育て世代は、扶養控除もあるので、世帯納税額も平均より低いはず。さらに、2人以上のお子さんを義務教育で育てている世帯は、明らかに、払っている以上の教育サービスを受けていることは間違いありません。

 もちろん、税金は、教育以外にも使われています。つまり、払っている以上のサービスを受けていることを理解してください。まあ、あまりこういった何でもお金に換算して考えること自体があまりよろしくないことだと思いますが。
 そして、何といっても、教育は、教師と生徒が対等ではあり得ない。モノやサービスの供給者と消費者との関係は、消費者が優位となる垂直の関係ですが、教育は、教師と生徒との関係において先生が優位(別に先生がいばるということではありませんよ)に立っていなければそもそも教育は成り立たない。
 また、忘れてはいけないのは、教育を受ける権利と受けさせる義務があるということ。ということは、親や生徒が、単なる教育サービスの受け手として、受け身であってはいけないということ。親も生徒も学校を先生と一緒になって盛りたてていく義務があるということ。
 私の場合は、PTAや花壇整備の活動などでささやかに協力してきた。PTAでびっくりするのは、たとえば体育祭の際の自転車整理や、音楽祭の会場整理などで、お客さん気分で見に来る保護者が散見される。注意するとキレられたり、対応がなっていないと苦情が出たりする。PTAも、別に保護者に金銭をいただいてサービスしているわけではなく、あくまでボランティアなのだ。
 それでもPTAなどは、年に数回だが、こんな感じで、先生達はさまざまな苦情対応に疲れきっているのではないかと、容易に想像がつく。

 世の中をよくする一つの方法は、少なくとも義務教育の場である学校を保護者や生徒もお客さん気分ではなくいっしょになって、良くしていくこと。ここから始めなくてどこから始めるというのだろう。

 
 

 

2010年01月03日

医薬品開発の現場から

 昨日の続きです。今度は、私の小中高大の友人、O氏との会話からです。O氏とは大学の学部、といっても私の卒業した大学では学類というのですが、そこも一緒ということです。ちなみに彼は現役合格で私は1年浪人したので、大学では先輩でした。

 O氏は、薬の研究開発者で、骨粗鬆症の薬剤の開発に従事していました。そのかたわら、薬剤開発に伴う実験動物の倫理というテーマで博士号をとっています。私にとっては、特に生物学全般の先生です。

 くわけん 日本は、ES細胞(やiPS細胞)の研究では先行しているようだけど
 O氏   当初はそうだったけど、米国は人間への応用のための実験をしているので、この分野も山中先生が頑張っているけど、結局米国の後塵を拝することになると思うよ。

 くわけん 日本が科学技術で生きていくためにはどうすればいいかな
 O氏    やっぱり、大学院の授業は基本的に英語にしないとまずいね。それで、世界から優秀な人材を呼び込まないと。

 くわけん 医薬品の開発は今後どのように進むのかな?
 O氏   ヒトの遺伝子の解明がすすめば、それぞれのヒトにとって効く薬と効かない薬がはっきりするケースが増えてきているよ。たとえば肺がんの治療薬であるイレッサは、効果のある人が限定されているから。最近では、抗がん剤などで、遺伝子検査を経た後に投薬するというケースが増えてきている。この技術が進歩すれば、医療費の削減にもつながっていくだろうね。

 くわけん 医薬品の後発品(ジェネリック)はどうなの。
 O氏   ほとんど大丈夫だと思うけど、製品の品質管理に投じてている金額が違うので、確率的には不良品に当たる確率は高いとはいえるね。結局正規品が高い理由のひとつに、品質管理にコストをかけていることもあるんだ。

 ということで、本当はもっとおもしろいお話も聞いたのですが、オフレコの話も多かったのでこのへんで。
 

 
 

2010年01月02日

スリランカ和平は武力によって成し遂げられたのか?

年末、私の小中高大の友人であり医薬品研究開発者のO氏と、二人の共通の知人である、O君と3人で久しぶりに会いました。O氏の話もいつもながら難しいことをわかりやすく説明していただきました。この話はのちに譲るとして、今日は、長年スリランカ和平にかかわってきたO君とのやりとりからご紹介します。(O君は日本人です)

注 スリランカは、国内多数派のシンハラと、少数派で、南部インドからのちに英国によって連れてこられたタミルとで内戦が起っていた。さまざまなNGO、NPOがこの二者の和平を目指して活動していたが、最終的には、現在のスリランカ政権が北部のタミル拠点を軍事占拠し、最高指導者の死亡により、事実上内戦終結宣言が出される。(スリランカについてのwikiはこちら

 くわけん 結局、スリランカの内戦終結は、武力によって成し遂げられたということか?
 O君   結果的にはそうなりますね。
 くわけん いろんな国際NGO、NPO(以下NGO)が平和的な話し合いによる和平実現を目指していったんは合意したはずなのにね。そして、多くのNGOが、言い方はわるいけど、和平をネタに、先進国からお金を集めていたよね。そういうNGOは今後は、たいへんだね。
 O君   そうですね。
 くわけん なぜ、今になってスリランカ政府軍はこんなに武力を増強することができたの?
 O君   中国の軍事援助といわれています。
 くわけん なるほど、インド包囲網の一環として、中国はスリランカに目を向けたということか。
 O君   スリランカに中国は万人単位の人を送って、インフラ整備などを支援しているようですよ。
 くわけん 大国のパワーゲームの変化(つまり中国の台頭)がスリランカに和平をもらたしたということか。何とも残念かつ皮肉なことだね。国家にも、数学的に言うと、独立変数国家(つまり、自国の運命をある程度自己決定できる国)と従属変数国家があるということかな。日本はどっちなんだろう。「普通の国」を目指すということは、従属変数国家から独立変数国家を目指すということなのかな?

 私も、1990年にスリランカを訪問したことがあります。スリランカは、大変きれいな国で、2000年前に、つまり我々がまだ、弥生時代だったころに、すでにダムとダム湖で灌漑をおこなっていた国です。
 上座部仏教(いわゆる小乗仏教)はインドからスリランカを経由して、世界に伝わったといわれています。かつてはスリランカも、大乗仏教と併存していた時代がありましたが、いまは、大乗仏教は廃れてしまったようです。
 
 ちなみに、独立変数国家と従属変数国家ですが、国家としては独立変数国家のほうが、いいような気もしますが、独立変数国家の国民の幸せの平均値は、従属変数国家に比べて必ずしも高くなさそうだというのが悩ましい点です。
 

2010年01月01日

自治基本条例は所沢のマグナカルタたり得るか?

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくご指導お願い申し上げます。

 さて、下記の文章は、日刊新民報に寄稿した文章です。
 テーマは自治基本条例についてです。
 今年は、自治基本条例と、総合計画の基本構想+基本計画が議決事項として
 議会に上程されます。

 以下 本文です。

今年は、順調にすすめば所沢市では(仮称)まち
づくり基本条例(以下自治基本条例)が制定されます。先日も私の近所の公民館でパブリックインボルブメントが行われていました。ちょうど、同じ時間に別の行事も控えており、その行事の主催者の一人でもあったので、開始前のわずかな時間に旧知の市民委員をされている方とお話をさせていただきました。

 率直にいって、これまで、自治基本条例については、自分なりにどうあるべきかという像が描けていなかったので、議会内で議論が行われていた際にもあまり積極的ではありませんでした。反省しています。
 しかし、昨年来の議会基本条例の制定に特別委員長として関わり、その後、議会基本条例について、所沢市に視察にこられる方々への説明、あるいは、全国市議会議長会研究フォーラムなどでの発表などを通じて、基本条例いかにあるべきか、について必要に迫られ重ねて勉強をしていくなかで、自治基本条例についてもいかにあるべきかという点がおぼろげながらに見えてきました。

 基本的には、本年9月に予定されている、議会への上程を待って議論をすべきでありますが、自分の考えをまとめる意味でも、自治基本条例がいかにあるべきかについて広く市民の皆様にも一緒にお考えいただきたいと思い、先日少し話し足りなかった点も踏まえて、書かせていただきます。
ただし、今回は、現状の議論をあまり踏まえずに書かせていただきましたので、既にそういった議論がなされているのでしたら、ご容赦ください。

基本条例の最大の役割は、徴税権力の抑制にあり

 いまなぜ自治基本条例が必要かを、2000年の地方分権改革に貢献した行政学者の方々の見解にしたがって整理すると、「国からの団体自治は、機関委任事務の廃止や、国地方等紛争処理委員会の創設などにより分権改革でほぼ成し遂げた。残るのは住民自治である。
 この住民自治は、住民が主体的に取り組んで欲しい。住民自治を本格的に実現するには、自治基本条例で自治のあり方を住民によって再定義して欲しい。」ということだと私は理解しています。しかし、一方で自治基本条例は、自治体の憲法ともいわれています。そうであるなら、行政学者の見解を超えて「憲法とは何か」から考えていく必要があります。
では、憲法は何のためにあるのか。通説に従えば、憲法とは、「憲法によって政治権力を拘束する」ものといわれています。その立場に立つなら、所沢市自治基本条例も、所沢市という地方公共団体(以下、所沢市という)の権力を抑制するということが、第一に重要な論点と思われます。 
なかでも一番抑制すべきは、税金を徴収する権力、つまり徴税権力です。日本に限らず徴税権力は強大です。ご承知の通り、国税徴収法により税金の取り立ては、民事とは違い、裁判によらず直接執行できることになっています。アル・カポネを刑務所に送り込
んだのも殺人などではなく、脱税の罪でした。ですから、脱税をした脳科学者は本来公共放送では即座にレギュラー司会者を降りなくてはいけないはずなのです。
1215年に王の権力を抑制する目的で英国で制定され、憲法の起源とされているマグナカルタ(大憲章)でも、第12条で王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができないと徴税権の抑制が定められています。第38条では、自由なイングランドの民は国法か裁判によらなければ自由や生命、財産をおかされないとしています。(ウイキペディア「マグナカルタ」より)  
マグナカルタでは、徴税権の抑制と並んで、個人の財産権の保障が憲法の重要なテーマとなっています。個人の財産権は、日本国憲法第29条にも保障されているところです。
 

経常比率制限条項を

住民による徴税権の抑制の例としてよく知られているのが、カリフォルニア州の州民が住民提案で成し遂げた「提案13号(プロポジション13)」と呼ばれるカリフォルニア州憲法改正提案です。ここではその詳細をご紹介することはできませんが、「固定資産税の最高額は時価の1%を超えてはならない、不動産に関しては、いかなる新税も認められない、市町村などの地方政府は地区有権者の2/3の承認がなければ特別の税を課することができない」などが提案されており、カリフォルニア州民の直接住民投票により特票率64.8%、得票総数400万票以上という圧倒的多数で可決されました。
 このカリフォルニアの例は極端ですし、日本では地方公共団体の課税自主権は制約されていますので、実際の自治基本条例では、徴税権力の抑制より、無駄遣いをさせない条項や、財政規律を所沢市に課するための条項の方が現実的でしょう。
 例えば、流山市の自治基本条例では、第23条5項(財政運営)に「市長は、歳入における市税の2割を超える地方債を発行する事業を実施する場合は、市民投票などの多様な方法によって必ず市民に意見を求め、その結果を尊重しなければなりません」と数値目標も掲げています。
 具体的には、流山市のように市債発行制限条項や、「歳出予算の経常経費比率が8割を超えてはならない」、といった条項を加えてもいいでしょう。どうしても所沢市に限らず行政は、施設の建設でも、維持管理コストを考慮しない体質が身にしみついています。本年竣工する中央公民館も図書館などと合わせ、なんと年間約5,000万円の維持費がかかることが議会で明らかにされました。これも建設にあたって、維持管理コストについての配慮があまりなされていなかったことの証左でしょう。
経常経費の抑制条項があれば、まさに経常経費の代表ともいえる、維持管理費にもより一層注意を払うようになるのではないでしょうか。
基本条例ということなので、8割という具体的数字は抜いて、経常経費比率を抑制することにつとめるものとする、といった表現でもかまいませんが。いずれにせよ、なんらかの経常経費に関する歳出抑制の条文は必要になるのではないでしょうか。

予算を伴う事業はすべからく条例にもとづくべきか

 もう一つの論点が、条例制定についての原則です。例えば、国の場合は米軍へのおもいやり予算を別として、一応法律の裏付けにもとづき予算が支出されています。
 ところが所沢市の場合、条例の裏付けのない予算事業が結構あります。例えば、高齢者介護をなさっている家族に対する手当は、条例に基づかず要綱によって支出しています。
これまでの代表的な考え方としては、市民に支出を求める、義務を課す、不利益となる、権利を制限する行為については条例を制定すべきであるということでした(侵害留保説)。
 本来的な意味での住民自治を求めるなら、権利制限以外についても条例化を図っていく方が行政の透明性が図られることになります。もっとも、予算事業すべてに条例の裏付けを求めるとなると、行政の機動性が失われる可能性も指摘できます。条例の量が増大して、どこに何が書かれているか探すのが大変になります。
 残念ながら、議会も通年議会ではありませんので、緊急な予算の執行のために、条例をいちいち可決して同時に予算を可決するというのでは、ちょっと大変です。
総合計画に位置づけられていない予算も多くあります。一般会計歳出の830億円のうち、総合計画に基づく支出が約300億円しかないことが議会で明らかにされました。
 ですから、「予算支出にあたっては、条例もしくは総合計画に基づくこと」という条項は検討されてもいいかもしれません。

より一層重要性をます情報公開

徴税権や税金の無駄遣いを抑制するために必要となるのが情報公開です。例えば、無駄使いを指摘しようにも、情報公開がなければ無駄使いの実態をつかむことはできません

情報公開は請求に基づき公開するという消極的な姿勢ではいけません。12月議会でも、平成17年度以前の行政評価表がかつてはホームページ上で公開されていたにもかかわらず、ホームページリニューアル後に削除されてしまったので、再公開を求めました。
 別に何か隠そうという意図はなかったのしれませんが、行政に関わる情報をしっかり記録することと、求めがなくとも積極的に公開していく姿勢が必要です。この点もなんらかの条項として明記する必要があるでしょう。
また、情報公開とセットで議論しなければならないのが個人情報保護の問題です。私は、個人情報保護以上に重要なのが、だれが個人情報を入手しようとしたかその記録を残すことがより一層重要です。住民票に記載されている事項などの住民基本情報は現在では情報システムで管理運営されています。技術的には、いつ、誰が、どの情報を入手しようとしたかを記録することが可能となっています。韓国では自分の個人情報を誰がいつどのように入手しようとしたかについての情報の公開請求ができるようになっています。
日本でも技術的には可能です。自治基本条例にも「自分の基本情報にいつ、誰が閲覧したか(アクセス)を知る権利があり、アクセス情報が入手できるよう環境を整備する」といった個人情報に対するアクセス開示請求を求める条項も必要になるでしょう。


よく執行部は「住民の行政サービス需要が増大している」と言いますが、どこでどれだけ、どのくらい行政サービス需要が増大しているかを把握するためにも情報公開は必須です。地方分権の進展に従い、これからは課税自主権も拡大していくことも予想されます。もしそうなった場合、場合によっては、カリフォルニア州のように、市民の直接請求によって、徴税権力を抑制する必要が出てくるかもしれません。そうなった場合も考え、やはり、ハードルを高くしても良いので、いちいち住民投票条例を可決しなくても一定の要件をみたせば住民投票ができるようにしておく必要があります。
そういう点からすると、いったいこの基本条例の制定を行政が主導して行うのが本来のあり方かという疑問もあります。しかし、日本国は大日本帝国憲法の時代から、プロシア憲法に範をとった欽定憲法であり、日本国憲法も大日本帝国憲法の改定という形をとっていますので、制定過程においての民主主義的正統性にあまり重きを置きすぎると、なかなか制定に結びつきません。
不都合な点が生じた場合は、住民投票で改正をしていくことで、自治基本条例の正統性が高まっていくという方法がいいのでしょう。そのためにも、住民投票が制度として担保されていることが重要です。

 考えてみれば、英国で1215年に実現できたことが、2010年、この所沢でできるようになったというのも不思議な感じがしますが、是非とも所沢版マグナカルタともいえる自治基本条例制定を実現させていきましょう。私もがんばります。