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2013年05月21日

日経グローカル寄稿「会派と議会改革」

日経グローカル2013年5月20日号掲載の原稿です。議会改革 現場からの提言というシリーズの第4回目です。実際に掲載された原稿とは違いがあります。


 地方議会における会派は、定義を法律で明確にされていない存在である。政務活動費の受取主体としての存在規定しかなされていない。
 しかし、会派は、代議制民主主義と不可分の存在であり、憲法により結社の自由が制度的に保障されていることからも、不合理で不要だから無理になくせばいいというほど単純なものではない。

充実する会派内の議員間の議論
 地方議員にとって、会派ほど悩ましい存在はない。会派の数の力によって、議会の改革を阻まれた事例も、逆に、会派あったからこそ、議会改革が進んだ事例もあると思う。議会改革にとって会派は不要であり、議会改革が進めば進むほど、会派は解消に向かうという考え方がある。
 しかし、会派を無くしたある市議会の方にお聞きすると、「かえって合意形成に時間がかかるようになった」、「結局、別の場所で集まって考え方の似た同士で集まって話し合っている」とも言う。

 地方議会、特に基礎自治体議会選挙では、政党系会派以外の候補者は、候補者選択にあたっては、会派や党派より、その議員の考え方や人柄を支持するから投票しているのが実態であろう。一部には、会派マニフェストを制定し、会派共通マニフェストをアピールする努力も見られる。しかし、当選後に、議会人事のごたごたや首長選挙にからんで、会派そのものが消滅してしまい、マニフェストの存在が消えてしまう例も散見される。筆者も、これまで2回の選挙では、会派マニフェストを作成した。1回目は、会派の枠も維持されて、マニフェストに沿った議会活動を行う事ができたが、2回目は、改選後に会派が消滅。会派と候補者をセットで選択する試みは、なかなかに難しい。 
 しかし、マニフェスト作成を通じて、会派内での充実した議論は、その後の議会活動に役だった。定数が多い議会においては、全員でじっくり議論しあうというのは難しい。その点、会派は議論の単位としては最適規模となる場合もある。自由討論が制度化されてない議会においては会派内の話し合いが最も成熟した議論の場になっているという場合も多いのではないだろうか。

会派に属すべきか、一人会派を選ぶべきか?
 新人議員の場合、まだ議会の右も左もわからない内に、いきなり会派選択を迫られる。議会を変えると声高に主張して当選した新人議員が、いつのまにか、最大会派に所属。すっかり牙を抜かれたようになるのはよくある話だ。
 三重県四日市市議会は議会改革が進んだ議会として知られているが、改革のきっかけは、新人議員だけで会派を結成したことにあるという。長老議員の大量引退とそれに伴う新人議員の大量当選後に、新人議員が、新会派を結成。この会派が議長などの役職選挙の協力と引き替えに議会改革要求が実現したことから改革が始まったという。

一人会派は会派なのか?
 会派は、平成12年の地方自治法の改正によって、初めて法律用語として登場した。政務調査費の制度を設置する議会が増えるにしたがって、政務調査費についての法制化の必要に迫られたことから、地方自治法第100条13項及び14項(現在は14項かつ15項、政務活動費に名称変更)において、政務調査費の規定を整備した。その際に、政務調査費の受け手として「会派又は議員に対し、政務活動費を交付することができる」こととなった。 
 それまでは、旧自治庁の指導もあり、戦後の一時期を除き、法律に基づかない金銭支給は控えることとされたため、別途支給条例を定め、会派支給を原則としてきた。(詳細は、原田光隆著 政務調査費制度の概要と近年の動向 国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 608(2008. 2.21.) を参照のこと)
 そのため、一人会派については、会派と認めない議会では、条例で政務調査費支給を定めたにもかかわらず、議員個人への支給はまかりならんという旧自治庁解釈に阻まれて、政務調査費支給対象外とされた事例がしばしばあった。
 一人会派が果たして会派と言えるのかという議論も根強い。結社とは当然、2人以上が集まって構成される。議会内では、一人会派は結社とはいえない。しかし、たとえ一人であっても、議員が結社を代表して議会に参加しているとみなせば、一人会派といえども、その背景には多くの住民を代表しているのである。一人会派に対する政務調査費の支給問題については、平成12年の地方自治法改正によって、一定の決着をみた。

結局、会派は議会人事のためのもの?
 その後、平成18年頃から、議会基本条例の登場によって、条例によって会派を定義する議会が増えた。平成19年制定の三重県伊賀市議会基本条例では「議会の会派は、政策を中心とした同一の理念を共有する議員で構成し、活動する。」と定義。また、会津若松市議会基本条例では「議員は、議会活動を行うに当たり、会派を結成するものとする」とし、会派の結成加入を原則とした。また、議会基本条例制定をきっかけに、議員の説明責任を果たす点からも、個別議員の賛否公開が標準化しつつある。一見矛盾するような動きである。会派制が基本であれば、厳密に解釈すれば会派の賛否の公開だけでいいはずだ。しかし、最近では、政党会派を除いては、会派内でも、意見が分かれることが多い。政策的な表決で、叛旗を翻して、会派を除名になったという例は、あまりない。たいていは、議長選挙などの議会内人事決定投票において会派の意向に沿わないケースである。議長選挙などで、会派の意向に従わない議員は、会派離脱を促されるか、それが複数の場合は会派の分裂という事態に陥る。会派は、議会内人事の分配組織という側面が実態としては強い。

会派は必要悪か?
 個別議員の賛否の公開が行われている議会では、その公開の趣旨からいっても、政党系の会派も含めて、政策については、会派内でしっかり話しあい、その結果、表決については拘束しないということをもっと進めるべきだ。また、住民からの意見聴取単位としても会派は有効である。現に、会派マニフェスト作成に当たって、2010年度マニフェスト大賞グランプリを受賞した、自由民主党川口市議会議員団は、マニフェスト作成にあたって、住民の方からの意見聴取を行ったことが評価されてグランプリを獲得している。いずれにせよ、会派を無くせば議会は討議がすすむ活性化する、その逆に議会が活性化するほど会派は消滅に向かうということは、必ずしも言えない。当たり前だが、その議会ごとに会派のあり方に違いがあるのは当たり前のことである。
 (文責:所沢市議会議員 桑畠健也)

2013年05月16日

日経グローカル寄稿「議会の存在意義としての討議」

日経グローカルに2013年4月15日号に私が執筆して掲載していただいた記事です。
字数制限のために削除した部分も復活させて掲載しています。

 日本国憲法では、地方議会はdeliberative organ(英文)である。議決機関ではなく、討議(熟議)機関と訳すべき存在だ。討議を尽くすために、多くの地方議会が委員会制を採用している。討議は建前では重視されているが、委員会でも議員同士の自由討議すら行われていない議会が8割以上を占めている。真の討議機関となるためには、委員会や本会議における自由討議の活発化は当然として、会派拘束のあり方などを見直し、議会に討議文化を根付かせていく必要がある。

討論すら行われていない議会もある

 議会における討議というと、よく、本会議や委員会で賛否を決する前に行われる、賛成討論、反対討論のことと誤解されることがある。「賛成や反対の討論が行われているので、自由な討議が実現できている」という見解もある。
 しかし、これらの討論はあくまで、お互いの主張をぶつけ合うだけで、ほぼ決まった結論に向けて、賛成側も反対側も最後通告に過ぎないというのが実態ではないだろうか。
 もちろん、中には討論を通じて、表決における立場を変更したという事例もあるかも知れない。また、ある市議会の例では、討論に対して、その内容についてさらに議論をするという形式をとっているという。こういう方法であれば、本来的な討論にふさわしいといえよう。
 最近驚いたのは、この討論ですら行っていない、県庁所在地のある市議会があることを知ったことだ。どうも、質問をしても話がかみ合わないので、確認したところ、討論を行っていないという。
 その理由を尋ねたところ、「討論をしたところで意見が変わるわけでもないので」とのことであった。
 確かに、討論によって評決結果が変わらないという実態に即せば、討論を省略したくなる気持ちもわからないではないが、こうなると、代表制民主主義や議会の存在意義の自己否定である。

公開と討議という議会の基本機能
 ここで、討議の重要制の議論に入る前に、議会の機能について確認をしておきたい。
 議会の重要な機能は、民意を代表する平等な立場の公選された議員が、公開の場を通じて、立場の違う者同士が討議を行い、より良いあるべき結論に導いていくことにある。
 よって、討議によって、議員がその立場を変えることがあるのは当然あってしかるべきであり、米国議会などは、会派拘束も限定的であるため、議論の過程を経て、法案などに対して、党派を超えて賛成票や反対票が投じられる。
 この考え方の背景には、自由市場が、最適価格を決定するように、言論の府である議会という場の討議を通じて、最適かつ最善な結論が導き出されるという仮説が存在している。
 日本の地方議会も、一応はこの仮説を前提としている。ところが、実際に議会では、議員同士の討議は、戦後の一時期を除き、その後はほぼ行われてこなかったというのが実態であり、あったとしても、例えば、常任委員会などにおける、傍聴者を排除した議事録に残らない協議会などといった場でひそかに行われてきた。
 討議は、公開の場で行われるのが大前提であるので、こうした討議は、討議というより、談合に近い。傍聴者は、協議会から排除され、いつのまにか結論が逆転することに憤慨するなどといったことを、私もいくつか体験している。
 戦後は、いわゆる東西対立を背景にした先鋭的な対立が地方議会にも持ち込まれてきたため、お互いの歩み寄りの余地が少なかったことも討議が活発にならなかったことの一つの要因として指摘できる。
 日本においては、深刻な党派対立が一定程度解消されて以降は、宗教的、民族的対立が先鋭化していないため、討議の環境は大枠で整ってきた。そういう意味からも、いま、新たに地方議会における討議を回復する試みが増えて来ているといえよう。
 
会派拘束は必要か?
 
 自分の考えと異なる意見を受け入れ、表決結果を変えるところまで至るために、障害となるのが、会派拘束という不思議な慣習である。
 地方議会は、国会の議会運営をひな形としてきた歴史を持つ。
 会派という存在も、果たして、地方議会にとって必須のものであるかについても議論があり、最近では小規模の議会を中心に、三重県鳥羽市議会のように会派制をなくす議会も増えている。
 議会の多数派から首長を選出する議院内閣制を採用しない地方議会にとっては、会派を拘束する必然性は弱い。
 現実には、地方議会においても擬似与党が存在してきたのであるから、会派拘束も擬似的に存在してきたということになるのだろう。しかし、本質的に討議を活発化させようとするなら、やはり会派拘束というリミッターは外れていた方がよい。

自由討論の活発化

 そうは、いっても、現実的には、一気に会派の解体や会派拘束の解消には向かわない。そこで、重要になってくるのが、議会における自由討議の活発化である。
 「議会に議論なし」という言葉もあるように、新人の議員が一番驚くのが、公式的な会期日程上、一度たりとも、議員間の討議がないことである。
 やりとりの殆どは、執行部に対する質疑や、質問が中心であり、委員会や本会議の最後に、討論とはいうものの、一方向の主張の機会が与えられるだけである。

 最近では、少し状況は改善の兆しがある。表では、『日経グローカル』第2回全国市区議会改革度調査(2012年4月実施)における自由討議の有無の結果を示している。この結果によれば、常任委員会に限って言えば、ほぼ2割の議会が、自由討議を行い、15%の議会が自由討議の議事録を残している。
 議会基本条例を制定した議会の割合も約2割。自由討議は、議会基本条例の標準装備と言えるので、条例制定をきっかけに自由討議が導入されたのではないか。
 所沢市議会でも、議会基本条例制定を契機に、委員会での自由討議が行えることとなった。
 所沢市議会の議会基本条例制定の最大の誘因は、一問一答制の導入にあった。
 自由討議への渇望はそれほど強くなかった。先進議会の条例案に自由討議尊重が盛り込まれていたので、素直に条文に取り入れたというのが、正直なところである。
 しかし、制定後の最も大きな成果の一つであるのが、委員会における自由討議の実現であったといえる。

 始めて見ると、これまで実施してこなかったことが不思議なぐらい、便利で有効な制度である。
 私の所属する委員会では、廃プラスティックの焼却を巡って大きく意見が分かれていた。
 執行部に対する焼却の利点や問題点の質疑議案が一渡り終了し、論点も出尽くした。その後は、意見を言うための質疑が繰り返されたため、自由討議に切りかえ、お互いに意見を言い合った。結論こそ分かれたが、結論に導く課程では、一致点が見られることも確認できた。小規模家電の回収もリサイクル品目に加えるという副次的効果も見られた。

本会議場の構造も変える必要が
 
 先ほど紹介した、市議会における自由討議の実施状況によれば、本会議場での自由討議を実施している議会は、わずか1.7%。本会議中心の議会における実施と思われる。しかし、議員の条例提案が活発化すると、本会議における自由討議は活発化する。
 所沢市議会でも、議員定数や報酬に関係する修正提案が行われた際には、本会議場で提案した議員に対して提案者に対する質疑という形で、丁々発止の議論が行われた。
 本来であれば、議場は、議員同士が議論することが前提となっている。
 だからこそ、いくつかの議会基本条例では、執行部の出席要求抑制条項が盛り込まれている。
 ところが多くの議会では本会議場は構造的に、執行部対議会という形となっている。
 委員会室は対照的に、議員同士が向かい合い、議論する形だ。本会議場での議員同士の質疑は、お互い体をよじりながら、質問したり答えたりという不自然な形である。本会議場も、名古屋市議会や静岡県掛川市議会のように、半円形に議員が着席する形式に変更していく必要がありそうだ。
 討議を活発化させるためには、議会基本条例制定をきっかけに、自由討論の余地を拡大していくこと、そのためには会派拘束のあり方も見直し、さらには、本会議での自由討論の活発化のためには、本会議場の構造の見直しにまで踏み込んでいく必要がある。
 今回は触れなかったが、議会日程のあり方も討議優先ならば、より余裕を持った日程とし、できれば通年議会も視野にいれていくべきであろう。市議会議員の報酬は、仕事量で評価される事が多いが、討議の質に対するコストパフォーマンスが問われていることも留意すべきであろう。