2008年07月02日

身近にある奇跡「ふくじゅそう」

 6月30日(月)午後 新所沢ボランティアグループ「ふくじゅそう」の30周年記念の会がありました。

 「ふくじゅそう」は30年前の昭和53年、地域のひとり暮らしの高齢者に集まる機会を提供するために生まれました。

 当初は、民家を借りて活動していましたが、現在は、かつての市営の質屋だった施設を拠点に活動をされています。

 活動内容は、高齢の方々への月2回の昼食会、配食サービスや、茶話会、資金源確保のためのバザーや手芸などを行っています。

 今回、30周年にあわせてふくじゅそうの皆さんが記念誌を発刊されました。
 その記念誌にくわけんが寄稿した内容を以下掲載いたします。

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身近にある奇跡「ふくじゅそう」
桑畠健也
 この30年で、高齢者をとりまく環境も、介護保険制度の誕生で激変しました。
 確かに介護保険は使いやすく便利な制度です。
 先日も民生委員さんとの話合いで、65歳以上の高齢者に対する支援制度は、ずいぶん整ってきたという話になりました。
 しかし、一方でお互いの助け合いの精神のようなものが、薄まってしまったような気もします。
 家族や地域の支えあいや助け合いが前提にあって、その上に介護保険があったはずです。ところが現実は介護保険だけが肥大化してしまったのです。
 本来中心になるべき、支えあいや助け合いの活動は脇へ追いやられてしまった印象です。
 そういう意味でいうとある種の逆風にたえながら、ふくじゅそうの皆さんが、助け合いの精神で地道な活動を30年間も継続できたことは、私は身近にある奇跡だと思います。
 ふくじゅそうの皆様のこれまでの根気強い活動に改めて敬意を表させていただきます。30周年おめでとうございます。そして、50周年に向けて私も微力ながらお手伝いをさせていただきたいとささやかに思っております。
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2008年06月30日

後期高齢者医療制度を通じて考える ③

 6月26日(木) 10時から新所沢団地自治会 高齢者対策委員会主催で、後期高齢者医療制度についての勉強会が開催されました。講師には、所沢市役所福祉総務課で後期高齢者医療制度を担当する、中村氏と渋谷氏でした。中村氏からは、制度創設に至る経緯を、渋谷氏からは、制度そのものの概略についての説明がありました。
 
 その後、質疑の時間になりました。質問項目として多かったのが、かかりつけ医制度についてと、夫婦で後期高齢者医療制度と国民健康保険に分かれた場合の保険料の扱いでした。

 かかりつけ医制度については、別に強制ではなく選択であることが説明されました。
 保険料の違いについては、講師2名が、国民健康保険については部署が違うのでわからないということ
でしたので、私が、急遽国民健康保険課に電話して概略をお聞きしました。

ご主人 75歳、奥様 73歳 のケース 
 例えば、ご主人が75歳以上で奥様が73歳の場合、これまでは、ご主人に国民健康保険の平等割額、1世帯につき17,000円がかかっていました。では、ご主人が国民健康保険から後期高齢者に移行した場合、奥様の保険料はどうなるのでしょうか。

 奥様の国民健康保険料は、まず、奥様の所得に合わせた 所得割額、また奥様名義の土地・家屋を所有されている場合、その資産割、さらに、加入者1人につき年間11,000円の均等割り、そして先ほど述べた平等割額がかかります。

 それに加えて、この4月からは、後期高齢者支援金等分も支払わなくてはならず、これも所得割と金等割があります。

 ただし、経過措置として、世帯にかかる17,000円の平等割については、もし、その世帯がご主人と奥様だけで、奥様一人だけが国民健康保険に残る場合、5年間、平等割額が半額の8,500円に減額されます。

 いずれにしろ、減額措置があったにせよ、前回もお伝えしたように、後期高齢者支援金等分が増額されるので、高齢者支援金の均等割り額が11,000円ですから、その効果は減殺されるケースの方が多いようです。


 
 

2008年06月14日

後期高齢者医療制度を通じて考える②

 わたくしの一般質問も昨日終了しました。一般質問の詳細な内容は、来週以降報告いたします。というのも、一般質問の議事の速記録(速報版)が事務局に届くのが来週になるからです。一般質問の際にはメモはとるのですが、正確な執行部からの回答をお伝えするには、メモでは不十分なので、速記録で確認してからの報告になります。

 さて、後期高齢者医療制度ですが、最近は新聞でも詳しく解説される機会が増えてきました。これまでは、どちらかといえば、批判的な記事が多かったのですが、最近は、メリットとデメリット双方をとりあげるなど、冷静な報道も増えてきたようです。

 日経ヘルスケア 2006年6月の特集記事「揺れる 後期高齢者医療制度」とう特集があり、その中で、「後期高齢者医療制度の混乱の背景」がうまくまとめられています。
 被保険者の不満としては
 1)被保険者の保険料のアップ (これは被用者保険の被扶養者だった方々です。)
 2)保険料の年金からの天引き
 3)保険証の未着問題
 4)75歳以上を別建てとした保険制度への批判
 5)後期高齢者終末期相談支援料への批判
 さらに、後期高齢者という名称への不満も大きかったようです。

 これまでは、75歳以上の被保険者の方々の不満・苦情が多かったのですが、これから、国民健康保険を始めとした支える側の保険税が後期高齢者制度を支えるために、「後期高齢者支援金等」が加わり、国民健康保険税が高くなるため、これらの方々の不満・苦情が多くなりそうです。
 所沢市ホームページ 国民健康保険税の計算例

 たとえば、持家等があり固定資産税10万を納めている家族で
 世帯主(48歳)…給与収入3,000,000円(給与所得1,920,000円)
 妻(43歳)…給与収入1,300,000円(給与所得650,000円)
 子供2人…無収入・固定資産税額0円
 の家族の場合、後期高齢者支援金等分として、保険税93,660円が年間に増額となります。

 7月に保険税額が決定され、20年度分の通知が始まりますので、これまで、後期高齢者医療制度に関係ないと思っていた現役世代の方々も、関心をもたれるようになるのではないでしょうか。
 
  

 

2008年06月11日

後期高齢者医療制度を通じて考える①

 わたくし くわけん自身の今後の日本の高齢者医療や福祉についての考え方を整理する意味も兼ねて、これから、数回に分けて、後期高齢者医療制度を通じて、これからの日本の高齢者政策を考えてみたいと思っております。
(もしかするとこの1回で終わってしまうかもしれませんが)

 まずは、考えるきっかけとして、首相官邸に置かれている社会保障国民会議サービス保障(医療・介護・福祉)分科会 第4回会合(平成20年 5月20日開催)の中での議論で、樋口恵子さんのご意見を紹介します。

□以下引用 □
 ○樋口委員 高齢者へ風当たりが大分強うございますので、このメンバーをずっと見渡して、恐らく私が一番年長の後期高齢者の一人でございますので、一言申し上げます。
 私が大してお金を持っておりませんけれども、恐らく2%の側(くわけん注 65歳以上の年金受給者、老齢年金受給者のうち年収600万を超える方の割合が約2.4%という内閣からの説明を引用)には入っているんだろうと思いますし、多くの後期高齢者が負担するということには全くやぶさかではございません。その意味で後期高齢者からの天引きが諸悪の根源のように言われますけれども、どうしても負担しなければならないものであったならば天引きしてくれるほうが手数がかからなくて気楽な面がございます。
 問題は、きょう矢崎委員がいみじくもおっしゃってくださいましたけれども、後期高齢者医療制度というものが本当に高齢者の身になって、高齢者の望むものとして後期高齢者の意見を聞いて行われたか、厚生労働省さんは老人クラブからヒアリングを行いましたとおっしゃいますけれども、本当に後期高齢者の生活や身になってどのぐらい設計されていたかということが今回の後期高齢者の怒りの根本でございます。
 その制度が我々にかかわりのあるものならば当事者がどんな形であれ意見を聞いてもらいながら参画しながら進めていただきたかった。それがほとんど絶無に近かったというふうに私などは理解いたしております。
 ですから、このように2つに制度を分けるということについて、若い人の負担を思うとこれしかないと言われればそれはそれでもいいのかなと思います。
 ただ、今税金で5割ですか、負担して若い人の負担にならないようにするというこの制度の中で一体後期高齢者医療制度がどこまでやってくれるのか、どこで打ち切られるのか、巷間いろいろ言われるばかりで全く実態が見えてまいりません。その部分に後期高齢者はいささか感情的になっているんだと思います。対象者を感情的にさせるような政策というのは進め方が間違っていたのではないだろうかというのが私の意見でございます。
以上 引用終わり □

 私自身は、後期高齢者医療制度は政策面だけで考えれば、ベストの選択とはいえないとは思いますが、現下の政治的な状況下では一定の合理性のあるしくみだと考えています。(たとえば、高齢化率の高い自治体の国民健康保険の救済など)
 しかし、やはり樋口恵子さんが、制度の合理性をある程度認めつつ、おっしゃっていることに尽きるのだと思いますが、「本当に高齢者の意見を聞いたのか?」「政策形成に当事者である高齢者は参画したのか?」という点が問題になっているのだと思います。
 よく、何か物事を意思決定し進める上で「俺は聞いてないよ」ということを理由に強行に反対されることがありますが、まさしく高齢者の方々にとっては、「そんなの聞いてないよ」という憤りが大きいのではないでしょうか。

 ただ、後期高齢者医療制度を議論する際、この制度だけを取り出して議論するのは、私は正確な議論ができないと考えています。
 つまり、高齢者の医療確保の問題は、医療だけではなく、福祉や年金問題とも密接に絡み合っているからです。だから、タイトルが、「後期高齢者医療制度を考える」ではなく「後期高齢者医療制度を通じて考える」としたのです。
 以下 続く
 

2008年05月11日

北小学校改築時の出来事

2008年5月9日、息子2人がお世話になった、所沢市立北小学校創立50周年記念式典が開催されました。夜には、祝賀会が行われ、改築前の校長先生であった立石様よりごあいさつをいただきました。そのごあいさつの中で、北小学校改築時、当初の建築案が、地域住民への説明会を経て、案が変更になったエピソードを紹介されました。北小の敷地は、長方形で、東西方向が長辺で、南北方向が短辺になっています。50年前に出来た当時は、校舎は北側に、校庭は南側に位置する、理想的な形でした。改築の際、改築前の校舎をそのままに、新校舎を校庭に建てるという計画だったそうです。この方法だと、校庭は使えなくなりますが、プレハブ校舎を建てなくて済むので、約2億円の費用節減になるということでした。しかし、北小学校を訪れたことのあるかたならわかりますように、南側に校舎がたってしまえば、校庭の日当たりも悪くなりますし、校舎からの見晴らしも悪くなります。立石元校長も本音では約2億円かかっても、プレハブを建てて、新築後も、校庭と校舎の配置は変えないようにするのがよいと思っていたそうです。ただ立場上は、表立って主張もできなかったそうです。ところが、地域住民への説明会で、南側校舎案は、反対とされ、北側校舎案に落ち着いたそうです。そういう意味でも「地域の皆さんには感謝している」とスピーチされていらっしゃいました。私も、このエピソードは恥ずかしながらお聞きするのは初めてでしたので、大変驚きました。財政面からみれば、2億円というのは大きい出費ではあります。しかし、学校は、少なくとも20年以上使えるわけですし、小学生にとっては、最も多くの時間をすごす場所のひとつです。そうした大事な場所が、広々と明るくあるための出費として2億円というのは必要な出費だったのではないかと思った次第です。とかく財政が厳しいといいますが、本当に必要なところにお金はしっかりかけることが重要であることは、この10年後の北小学校が雄弁に物語っています。

2008年05月10日

ローカルマニフェストは「鍬」

くわけんは今、ローカルマニフェスト推進地方議員連盟に加入しております。そいった関連で、エッセイの執筆を頼まれました。
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0803/0803132701/1.php

そのエッセイをここにも再掲させていただきます。

以下本文

私は農学部出身ですので、モノゴトをどうしても農作物になぞらえて考えるクセがあります。稲を例にとれば、よいコメを収穫するためには、「根」がしっかり発育なくてはいけません。「根」をしっかり発育させるには土づくりが重要になります。

 最近は、ほとんどの日本人が農業に関り無く生活していますから、この簡単な理(ことわり)を忘れがちになるように見えます。松下幸之助さんが松下政経塾を創設した際、「できれば最低10年間は塾で学んでほしい」と思ったそうです。(結局、設立当初の修業年限は5年。現在は3年)また、塾生の育成方針として、「多くの上手ではなく、一人でもいいから名人を育てたい」と宮本武蔵を例にとって語っています。

 私流に解釈すれば、松下幸之助さんは、人間としての「根」がしっかり発達した政治家・リーダーを育てたかったということではないでしょうか。「学校」ではなく、「塾」という形態にこだわったのも、「学校」は誰か先生が教えるところ、「塾」は自分から学びとるところ、という意識もあったように思います。

 松下幸之助さんの凄いところは、自分の考えを学べとは一言も言わなかったことです。

 「師なくして、自ずからその道に達すること」「自修自得」が松下政経塾の理念です。私は、松下幸之助さんには、塾生として一度しかお会いすることができませんでしたし、それほど長時間にわたってご指導をいただくということはありませんでしたが、海のものとも山のわからない若僧の言葉に真剣に耳を傾けていただいた経験は私にとって生き方の一つの指針となりました。

 私が入塾した当時は、「前川レポート」が内需拡大と、食糧の輸入関税撤廃を声高に訴えていました。当時、食糧安全保障などを唱えるということは、遅れた考えと見做される風潮がありました。当然、松下幸之助さんも財界人なのだから、食糧はどんどん輸入すればよい、という立場に立っていたように思われるかもしれません。しかし、松下幸之助さんは一貫して、食糧安全保障の重要性を訴えていました。

 松下政経塾の設立趣意書にも、「経済面においては、(中略)食糧やエネルギーの長期安定確保の問題」が日本の課題として挙げられています。特に政治家志望ではなかった私が、松下政経塾を志したのも、この設立趣意書の一文でした。

 その後、紆余曲折を経て、今は有権者の方々の負託をいただき所沢市議会議員を努めさせていただいています。当初の志はどこへやら、農業問題、食糧問題とは縁遠い立場になってしまいましたが、今は、地域で、良き「根」を育てることと、そのための土づくりを、地方議員という立場で実行いたしております。

 私にとっての土づくりのための鍬がまさにローカルマニフェストなのです

本文おわり

2007年08月07日

「シムシティ」と自治基本条例 家庭新聞原稿

 「シムシティ」という私の好きなパソコンゲームがある。都市育成シミュレーションというのが、このゲームのコンセプト。米国発のゲームであって、自分が市長になって、未開の荒野に都市を建設していくのだ。詳細を知っていただくには、是非ゲームに触れていただくことが一番である。

 簡単に紹介すると、住宅地域と商業地域と工業地域に用途指定を行う。この辺は日本の都市計画とも一致する。電気や水道を引き、用途指定や税率をコントロールして、多くの住民を呼び込む。
 町の発展の指標は人口と地価と税率である。この3つが基本的にチェックすべき指標である。付随的に犯罪発生率や火災発生率などもある。

 なるほど、米国らしいのは、未開の地から開拓を進めることと、指標を人口や地価に置く点にある。米国の都市計画、都市経営についての哲学が直感的に理解できる。

 実際に、米国では、市町村はあるものではなく、創るものである。市町村の経営が下手な場合、つぶれる市町村もでてくる。
 行政の基本単位は州と郡(カウンティ)である。日本では、すべての行政区画がいずれかの市町村もしくは特別区に属しているが、例えばコロラド州では行政区画が市町村に属さない地域がある。州や郡の行政区画に市町村が点在するといったイメージが正しいだろう。
 カウンティの中で、人口密度が一定規模に達した地域では、市町村を住民自らが発意して創ることになる。その時に、まず最初に創るのが憲章(チャーター)である。今から20年前に、米国のある町シティマネージャーにお前の町にチャーターはあるのかと聞かれたので市民憲章を説明したところ、違うという。チャーターはその町の憲法であり、理念だけでなく、もっと具体的な条文が書かれているものであるという。

 そういうものは存在しないというと、非常にびっくりしていた。私も、まだ分権一括法が成立する前(つまり機関委任事務が存在したころ)だったので、そんなのは無理に決まっていると決め付けていた。

 ここ最近、所沢でも自治基本条例が議論されてくるようになった。なかなか理解が難しいという声を聞く。ましてやまちづくり基本条例というと、ハード面の「まちづくり」と勘違いされてしまうようだ。私は北海道ニセコ町で自治基本条例ができた時、「ああ、これは米国のチャーターだな」と直感した。条文のつくりも、チャーターに似ている。米国のチャーターを理解すると、自治基本条例についての意義がよく理解できる。
 
 あまり知られていないが、マッカーサーの憲法草案には市町村がチャーターを作ることを提起していたが、日本側の反対にあって実現しなかったという。

 私も自治基本条例については基本的に推進するべきだと思っているし、会派のマニフェストにも推進をうたっている。しかし、一方で、最高法規性、つまり自治体の憲法と位置づけることにはいくつかの疑問が残る。
 シムシティのように新たに何もないところから所沢市をつくるならば、まずはじめに自治基本条例ありきとなり、自ずから最高法規として位置づけられるだろう。 
 しかし、すでに市として何十年にもわたって存在してきた自治体が、条文に最高法規であると謳ったところで、実効性はない。
 
 また、条例制定にあたっても議会の議決だけでなく、住民投票で決するぐらいでないと、市民も最高法規としての重みを実感しないだろう。最高法規性の判断は、最終的には自らが吹聴するのではなく、司法判断を積み重ねることで、実態として最高法規に近づいていくべきものだ。
 
 ただ、いずれにしろ、地方分権の主旨から考えれば、ジグソーパズルの埋められていない肝心な1ピースではあるので、あまり堅く考えずに、現状の統治システムを再定義するということで、条例制定に向かうべきだろう。
 ちなみに、わが会派では、議会部分については、さらに議会基本条例の制定も提案している。

 いずれにしろ、この夏は、ぜひとも「シムシティ」を体験して、自治基本条例への理解を深める夏にしてください。

2007年02月10日

議員特権について(費用弁償 政務調査 永年議員表彰)

 昨日、議員特権に関わるワーストが発表されました。
 ご覧になったかたも多いかと存じます。
 調査結果は
 議員特権・全国調査結果
 
 をご参照下さい。

 所沢市は、
 費用弁償     3,300円
 政務調査費   領収書添付が義務
 永年議員表彰  なし

 ということです。

 ちなみに、くわけんの所属する会派「翔」では、マニフェストとして
 【議会改革】
 費用弁償の廃止
 を訴えています。

 付け加えますと、政務調査費では、所沢市議会では、事務所費用の請求は
 認められていません。


 

2006年12月27日

2006年12月議会も終わりました

いきなりまとめて、12月議会の記録を掲載させていただきました。
特に、見ていただきたいのは、一般質問の「談合情報とその対応」です。
正直、執行部の返答にはびっくりしました。
くわけん自身は、談合が悪だ(あきらかな法律違反ですが)、とか、一般競争入札が絶対だ、と声高に主張する気はありません。
ただ、大きな流れとして、ケインズ型の公共投資による有効需要創出があまり有効に機能していないのではないかという立場に立っています。(いわゆる乗数効果がもはや見込めないのではないか)

この点については、地域内の産業連関分析を行って、実証的に分析する必要があると思っています。

この立場に立てば、特に所沢市の場合は、77000人が東京圏に通勤しているわけですから、いわば、
地域経済でみれば、通勤者から得られる給与および、年金や利子、投資分配金などで商業をはじめ、地域経済循環が成り立っているのであって、地元企業への公共投資による地域経済の乗数効果は低いと予想しています。

よって、過度な地域企業への優遇は、公共工事ならびに委託に限らず、地元業者の競争力を奪い、
10年単位でみれば、あきらかに税収が落ち込んでいく中で、結局地元業者のためにならないのではないかと考えています。

そういう点から、やはり、談合はよろしくないし、ましてや、こんなことはよもやないとは信じていますが、
官が主導して、事業を配分するいわゆる官製談合は経済合理的に考えても、納税者の皆さんのためにならないと考えております。

年末に向けて、よいお年をお迎え下さい。

2005年10月11日

不思議の国の地方議会①

「地方自治は民主主義の学校」と言ったのは英国の政治学者プライスです。
 同じように、地方議会も民主主義を学習する上で重要な役割を果たしています。 ただ、国会に比べ地方議会は、その役割やしくみがなかなか理解されていないようです。かくいう私も、地方議員になるまであまり仕組みについて理解していたとはいえません。
 というより、地方議会に関心がなかったという方が正確でしょう。  先日も、ある方に市議会の議場を案内したところ、「国会には行ったことがあるけど市議会は初めてだ」といわれてしまいました。現実には市民の方も国会へ行ったことのある方のほうが、所沢市議会へ行ったことのある方より多いのではないでしょうか。
 現実には、議会では市民の皆さんに直結する議論が数多くなされています。平成17年9月議会でも、市が行う放課後児童預かりの制度である、「生活クラブ」の有料化が決まりました。
 所沢市議会は、本会議も委員会も傍聴が可能ですし、以前は記入していた傍聴者の申し込みも氏名等を記入しなくても可能です。(個人情報保護の観点から)
 平日の昼間に、会議を開催して来てくださいというのも市民の方には失礼なのですが、やはりなかなか来ていただけません。  実際に来ていただいても、話している内容がわかりづらいとも指摘いただきます。 そのわかりにくさの原因は、きまった手順で議論をするため、その手順についてある程度理解がないと「何、まわりくどいことをやっているんだ」というご指摘につながります。
 確かに、様々な回りくどさというのは、議論の公平さや確実さを保証するためには重要です。 でも、そういったことを言い訳にしていて許される時代でないこともまた事実です。
 そろそろ地方議会も変えるべきところと変えなくていいところをしっかりと見分けつつ、わかりやすい議会を目指すべきと考えます。
 この企画はいつまで続くかわかりませんが、地方議会の生の現実をお伝えするとともに、変えていくべき点は大胆に提言していこうという趣旨です。
 本来であれば、「地方議会 こんなこといらない」といったテーマで議員になってからすぐ始めようと思っていたのですが、私自身が地方議会について語れるぐらいに理解するのに時間がかかったためやっと始められるようになりました。
 今後、議会の様々な問題(「議員のなわばり」「与党・野党」「代表者会議」など)について取り上げていきますので、ご意見ご感想を是非お寄せください。

2005年10月05日

続・いよいよ公務員の人員整理が本格化か?

本当は続編を書くつもりもなかったのですが、この問題についての動きがすさまじく早いペースで進んでいるので、続編を。
 昨日「(いずれにしろ子会社や出向先などを有する民間より(役所の)選択肢は少ない。」と書いたが、今日の日経の一面に、政府が「市場化テストにからめて、民間への再就職や出向ができる仕組みの検討を始める」という記事が載っていた。
 市場化テストとは、官と民が、公共サービスの担い手としてどちらがふさわしいかをテストする試みである。よく取り沙汰されるのが、職業紹介事業。ハローワークと民間の職業紹介所を比べて、サービスやコストを実際に比較した場合、どちらが総合的に優れているかをテストする。 もし民間が優れていた場合、公共部門は、このサービスの直接的な供給から撤退することになる。
 職業紹介サービスそのものは、一種の公共サービスだから、サービスがなくなることはないが、そのサービス供給の担い手を公務員から、非公務員へと移管することになる。
 サービスを民間に移管した場合、問題になるのは、それまでサービスに従事していた公務員の処遇の問題である。そこで、新たにサービスを供給する民間企業へ出向、もしくは再就職させるという可能性を検討するというのがこの記事の趣旨である。
 一応、民間への出向、転籍は市場化テストにかける公共サービス分野という限定がついているが、そこから始まって、さらに広い分野にわたる公務員の民間企業への出向・転籍を進めたいというのが政府の本音であるといえよう。
 これで、いよいよ退職勧奨以外の人員整理の方策が準備されつつあると見てよいだろう。
 他にも、今日参議院で、小泉首相が、「地方公務員の政治活動に対しても国家公務員並の罰則規定を設ける」など、まさに昨日くわけんが述べたように「民主党の支持基盤に対する牽制」の発言を行った。
 それに呼応するわけではないだろうが、私の政経塾の1期先輩でもある前原民主党代表が、公務員制度改革などへの対応を求める労働組合側に対して、「主体的に我々が政策を立案をする中で意見を聞くことはしたい」と返答し、労組と一定の距離を置くことを明言した。
 さまざまなモザイクのように現れるニュースを総合すると、公務員の人員整理本格化への流れは私たちの想像を超える速さですすんでいくといえよう。

2005年10月04日

いよいよ公務員の人員整理が本格化か?

 議員になってから、評論家的な文章を書くのは控えていましたが、公務員に対するスト権付与というニュースに接し、自分自身の考え方の整理も含めて今後の所沢、そして日本の行く末を展望してみました。
 10月4日の読売新聞によれば、小泉首相が民主党の浅尾慶一郎氏の質問に答える形で、限定的ではあるが、公務員のスト権付与を検討するとの回答を行ったそうだ。
 もし、公務員に対するスト権を与えるとするならば、名実ともに、公務員の人員整理が本格化すると言ってよいだろう。そういう点から私はスト権付与に賛成である。
 なぜなら、公務員、特に国家公務員は争議権(スト権)放棄と引き換えに、人事院によって、給与水準の引き上げ(場合によっては引き下げ)が勧告される。 地方公務員の給与も人事院勧告に則って賃金が決定される。
 そのスト権を付与するということは、一見労働者としての公務員の権利向上のようにも見えるが、スト権を認める以上、人事院勧告に甘えて、人員削減を猶予されることはないということでもある。
 所沢市でも人員適正化計画を公表しているが、基本的には、退職者不補充で人員削減を行おうとしているようだ。 新行政改革大綱によれば、平成15年度基準で、平成19年度までに100人削減という目標を掲げている。 この目標を達成するためには、人員削減は避けて通れない。
 (ここからは、評論です)
 しかし、現実には民間企業でさえ、解雇はそう簡単ではない。経営不振なら一定の整理解雇も許されるが、そうでない場合は退職勧奨という形で本人の自発的な離職を誘う方法が中心となる。
 まして、公務員の場合、経営不振による解雇は難しい。財政悪化という理由はあるとは思うが、財政の悪化の責任を職員だけに帰するわけにはいかないだろう。
 退職金上乗せによる、早期退職制度の導入か、あるいは、鳥取県のように、勤務評定が2年連続で最低となった職員に対して退職勧奨を行うといったやり方をとるのか。いずれにしろ子会社や出向先などを有する民間より選択肢は少ない。
 ちょっと、うがった見方をすれば、スト権付与は、官公労や自治労などの労働組合の政治への関心を弱め、ひいては民主党の支持基盤に対する牽制という深謀遠慮も見え隠れしている。
 中曽根民活路線によって、社会党の最大の支持基盤であった国鉄や電電公社等の労働組合は、民間労組となり、社会党は最大の支持基盤を失い、歴史の表舞台から消え去って行った。
 唯一残っていた郵政も民営化がほぼ決まった現在、スト権付与により、人事院勧告が形骸化すれば、官公労、自治労も特定の政党を支持する必要性がなくなる。
 ただ、一方において考えなくてはならないのは、公共部門、民間部門を含めた労働争議の増加である。スト権付与によっても公務員はストをしないとタカをくくっているのが大方の見方であろうが、これほど労使が協調し、労働争議も殆ど起こらなくなったのは、ここ30年程度のことである。
 労使協調があまりにも日常化したために、そうしたリスクを雇用者側は除外しているようであるが、労働分配率も低くなり、所得格差をあらわすジニ係数も拡大し、誰の目から見ても分配の格差が明らかになってきている。
 これまでであれば、公務員のストなどとんでもないということであったと思うが、最近の情勢下では、むしろストという選択肢があることを、知らせる効果もあることを考えなくてはならない。
 私などは、ぎりぎり旧国鉄の過激な闘争の記憶がかすかに残っているが、最近の20代の人々が物心ついてから、労働争議は歴史上の出来事になっている。
 今回の小泉圧勝という選挙結果も、20代~30代前半の男性が、小泉首相及び自民党を支持したことによってもたらされたといわれている。その一種、反抗のベクトルが、労働争議という選択肢を発見したとき、大きなうねりを作り出す可能性も考えておく必要があるだろう。
 (以上 評論終わり)  ところで、本当にスト権が付与されたら、人事院は要らなくなるんじゃないですかね。それだけでも、相当のリストラ効果ありだね。       

2005年08月16日

旭山動物園から考える行政経営

昨年同様、本年も新民報に夏の原稿を投稿いたしました。今回のテーマは旭山動物園です。
北海道旭川市にある旭山動物園。昨年7月、8月には、あの上野動物園を抜いて、月間集客数が動物園として全国一になった。NHKクローズアップ現代等、様々なメディアで取り上げているためご存知の方も、あるいは実際に訪れた方もいるのではないか。田中康夫長野県知事も絶賛し、竹中平蔵大臣も地域再生のモデルとして持ち上げている。 私の実家が旭山動物園からほど近いところにあるため、帰省の度に、子どもを連れてよく訪れていた。ちょうど長男が12歳であるから、この12年の変化というのを肌で感じ取っている。 子どもを初めて連れて行ったころは、旭山動物園が、最もさびれていた時期にあたる。現在は120万人を越える来客数を誇るが、96年には開園以来最低の26万人にまで落ち込んでいた。ひどい時には、園内には見渡す限り、私の家族以外にはほとんど人が見当たらないという状態であった。 こういう状態であれば、まず出てくるのは閉鎖論か民間委託論である。旭山動物園は市営であるからなおさらである。議会でも多くの批判がなされ、一時は民間への売却論も出たそうだ。 しかし、旭川市は民間委託には踏み切らず、逆に積極的な投資を行い新しい施設を増設していった。施設の設計の原型は、最もさびれていた時代に、動物園の職員が集まって、理想の動物園像を日々語り合い、描いた数多くのスケッチ画だったという。 もし、「民でできることは民で」という二元論的な考え方で旭山動物園の再生を行ったとしたら、これほどの繁栄はまずなかっただろう。あるいは、指定管理者制度を利用したとしたら?やはり、これほどにはならなかったはずだ。 実は、旭山動物園には、動物園エリアとは別に本当に、申し訳程度の遊園地がある。この遊園地部分は民間委託されている。では、この遊園地が民間委託によって、盛り返したかといえば、そうではなく、適切な追加投資もなされないため、すっかり動物園部分の繁栄から取り残されてしまっている。  旭山動物園の存在は、民でやればなんでもうまくいき、公でやればなんでも非効率という単純かつ二元論的な分類があまり意味のないことを証明している。 旭山動物園の評価を高めた、動物のありのままの動く姿をみせる「行動展示」もやはり現場の職員のアイディアから生まれている。 本当に寂れていた頃も、職員は手作りの看板で、動物の特徴や行動を説明していた。ベンチも、予算がないせいか、おそらく手作りのベンチに、ペンキで動物の絵を描いていた。  そうした絵やイラストが、既成の掲示板などと違って、動物と付き合っている人のぬくもりが感じられて、あちこちにある絵や看板を見つけて読むのも我が家の楽しみの一つであった。  素人にしては随分イラストのクオリティが高かったのが不思議だった。実は、後になってわかったのが、それらのイラストを描いていたのが、当時は飼育係で、後に絵本「あらしのよるに」を描くことになるあべ弘士さんであった。  基本的には現場の職員が熱意にあふれていることが重要であることを旭山動物園は教えてくれる。その熱意を形に変えていく上で、公がいいか民がいいかを判断していけばよい。 まず始めに民間委託ありきだけが、行政経営でないことを改めて肝に銘じたい。
(終)

2005年01月17日

「目的のためには」(財団法人 松下政経塾25周年記念誌への寄稿)

財団法人 松下政経塾25周年記念誌への寄稿文です。駄文ばかりを掲載してしまい誠にすいません。くわけんの心がけている点について、戒めの意味も込めて掲載させていただきます。
「目的のためには」
何らかの目的達成のためには、手段は選ばない、例え手段に問題があっても目的が達成されれば、手段は正当化される。この考え方の行き着く先は今世界を覆いつくしているテロリズムである。 そういう考え方とは一線を画すというのが、私たち政経塾に集ったものとしての共通の守るべき規範ではないかと思っている。  身びいきなものいいになってしまうが、この25年間、たとえば選挙の方法論をとっても政経塾の出身者はそうしたことを比較的大事にしてきたのではないだろうか? 正しき手段を追い求めることで、むしろ多くの人に支持していただき、目的の達成が早くなったこともあった。一方、それによって目的を達成することが遅れた場合もあったように思う。
 しかし、私たちの仲間の誇りうる点は、短期的な損を覚悟で、敢えてそうした手段の正しさを選択した仲間に対して一定の敬意を払うという気風を有していることだと考える。 この気風こそが、私たちがこの25年に築きあげてきたかけがえの無い資産の一つであると思う。
 手段の正しさを追求しながら目的を達成するという営みのたゆまぬ繰り返しの先には、塾主が追い求めた「名人」への道が開けてくるのではないだろうか。-----

「話を聞く名人」(2005年1月新民報寄稿)

2005年 新民報に寄稿した記事です。いつもは、です、ます体で表現していますが、この寄稿はである体で書きました。また、松下幸之助氏の表記については悩みました。私たち政経塾の卒塾生は、松下幸之助塾主とするのですが、それは、あくまで私たち内輪の論理ではないかと考え、今回の記事では敢えて、親しみを込めて、松下幸之助さんと表記させていただきました。
「話を聞く名人」 あけましておめでとうございます。
私の今年の決意は、人の話をよく聞くようにすることである。毎年決意しているが、虚心坦懐に人の話を聞くというのは実に難しい。特に、おしゃべりな私にとっては難業苦行である。
私は、大学卒業後、松下幸之助さんが私財をなげうって次世代のリーダーを養成するために創った松下政経塾へと進んだ。松下政経塾では松下幸之助さんから様々なことを学ばせてもらった。特に、人の話をよく聞くということについては、身をもって教えていただいた。
松下政経塾には第9期生として入塾した。第9期生は、松下幸之助さんとお会いできた最後の塾生である。残念ながら、そのころの幸之助さんは、体調を崩されていて、大阪府門真市の松下記念病院に入院されていた。春に予定されていた面会も一度は中止になり、秋になってやっと実現した。
私は、北海道出身なので、おみやげの「まりも」と「木彫りの熊」を持っていた。今から考えると汗顔の至りであるが、当時は怖いもの知らず。おみやげをお渡しすると、にこっと笑って受け取ってくれた。その後、参加した塾生が、順番に自分は将来どういう志を持っていてどういう分野で活躍したいかなどを話した。
はっきりいって、まだ海のものとも山のものともわからない若造の話を、本当に深くうなずきながら、聞いてくれる。噂には聞いていたが、心底聞いてくれるのだ。私の番がまわってきた。とても齢97歳とは思えない目で私を見つめる。そして少しうなずきながら私の話を聞いている。幸之助さんは、あまりに聞き上手なので、ついつい余計なことまでしゃべってしまうと聞いていた。なるほどこれでは言いたくないことまでついついしゃべってしまうだろうな。私も上気していて、何をしゃべったかあまり覚えていない。ただ、その場で幸之助さんの逆鱗に触れて、「きみのような人間は、即刻辞めてもらう」と言われるのではないかと恐れていたので、無事語り終えてほっとしたことを覚えている。(私は、何かと政経塾のやり方に反抗していたため、塾の職員の評判は最低であった)さすがに幸之助さんに辞めろと言われると辞めざるをえない。
 とかくリーダーシップというと、リーダーが一方的にしゃべりまくるという印象がある。あるいは、自分の考え方を説いて、説き伏せるというイメージがある。 しかし、幸之助さんのリーダーシップは語るリーダーシップではなく、聞くリーダーシップである。巷間には、松下政経塾と早大雄弁会とを比べる向きもあるが、政経塾は雄弁であることよりも、聞くことにより多くの価値を置いている点では、全く方向性が違う。  松下政経塾でも、幸之助さんは、「私のつくった塾だから私の考え方をまずしっかり学ぶように」ということは一言も言われなかった。「諸君は塾生であると共に塾長である」という意識で学んで欲しいとも語っていた。
 話のおもしろい人、上手な人というのは割合といるが、話を聞くのが上手な人というのが意外と少ない。私は、幸之助さん以上に聞き上手な人にはこれまであったことがない。幸之助さんは、話を聞く名人であったといえよう。
 一時は私も、人の話をよく聞くということを意識していたが、最近どうもその点がおろそかになっていると大きく反省している。2005年は、改めて人の話をよく聞く年にしようと決意している。この記事を読まれた方々は、わたしがしゃべりすぎたときには、ぜひ忠告していただきたい。
本年もよろしくお願い申し上げます。

2004年07月30日

生きる力を育むとはどういうことか(家庭新聞投稿)

先日、新民報に夏の特集号の原稿を提出したところ、家庭新聞からも依頼されました。それで、表記タイトルの一文を書いたのですが、他の方は、同じ原稿を提出されているようで、びっくりしました。何はともあれ、ご感想をくわけんまでお寄せください。
以下本文。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。最近は、生きる力を学ぶ、というのが義務教育におけるひとつの大きなテーマになっているらしい。特に、総合学習では、生きる力を育むことが主眼におかれているようだ。 では生きる力は、一般の教科学習で学べないのか?なぜ、生きる力を育むために総合学習なのか? もっと、根本的に問うとするなら、子供は、なぜ学校へ行って勉強する必要があるのか。  いろんな答えがあるだろうが、私が子供に説明するとしたら、「人にだまされず、自分を守るためである」、つまり生きる力を身につけるためだ、と答えるだろう。
 この豊かな日本では、なかなか意味がわからないだろうが、ちょっと開発途上国を旅して、めまいのするような貧富の差に直面した人なら、当たり前にわかるはずだ。 たとえば、私が訪れたインド洋に面した某国。農村部では、水汲みは女性の仕事である。ご多分に漏れずその国でも、食事の煮炊きや暖を取るために、あるいは茶畑を造成するために、森林を過剰に伐採している。森林がなくなれば、井戸は涸れる。かつては、歩いて10分のところにあった井戸がどんどん遠のき、今では片道2時間のところまで、水を汲みにいかなくてはいけない。日本である程度の基礎教育を受けた人なら、その理屈はわかるはすだ。   しかし、学問がない現地の女性は、森林を伐採するとなぜ井戸が涸れるか、その理屈がわからない。茶園の私の尋ねたある村では、文字の読めない女性のために、その理屈を紙芝居で教育していた。井戸を再生するためには、植林が必要だ。その因果関係を教育するのだ。そうして、初めて植林の重要性を理解することができる。  つまり、本来であれば、オーソドックスな教科教育そのものが実は生きる力を育む基礎なのだ。とはいっても、現実に世界でも有数の経済的豊かさを誇る日本では、教科学習と生きる力との関連が子供たちにとって、わかりにくいのが実態だろう。かくして屋上屋を重ねるように総合学習というものが登場したのかもしれない。
 なんでこんなことを言い出したかと言えば、バナナを食べていて、このバナナは、きわめて厳しい生活条件に置かれた農民が作っているのだ、とわが子に教えたときに、めずらしく色めきだって「そんなのうそでしょ」と答え返したからだ。わが子にとっては、そんな悲惨な状態は、お話だけの世界であって欲しいのだろう。 バナナや紅茶に養殖えび、某世界ブランドのスニーカー、これらの身近な商品も、わが子と同じ年代の子供たちが、家計を助けるために学校にもなかなか行けずに作られている可能性がかなり高い。学校に行けなければ、いつまでも安い賃労働に甘んじるしかない。ビートたけしの母も言っていたように、「貧乏の悪循環から脱出するには教育しかない」のだ。 日本の子供達は、学校に行けて勉強できるだけでもすごいことなのだが、言葉だけで説明しても、なかなか納得できないだろう。かくいう私も二十歳以降に世界を旅することで、やっとそのことを理解できたのだから。  現地へなかなか行けない以上、自分が働くために学校に行けなくなった状態を想像してみてもらうしかない。そうした状態を想像するのにうってつけの映画がある。「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督作品)だ。この映画では、少し無気力な少女「千尋」が、親と離れ離れになり、学校へも行けず働かざるを得ない状況に追い込まれることで、生来の「生きる力」を取り戻すというプロセスを描きだしている。そういった視点で、この映画を改めて見直すというのもひとつの方法かもしれない。
 つまるところ、いま日本の大人たちが子供たちに「生きる力」を得てもらうために必要なことは、「与えないということを与える」ということではないだろうか。テレビゲームを与えないということを与える、夜更かしを与えないことを与える、などなど。しかし、これだけモノと情報が溢れ返った日本で、これほど難しいこともない。大人が、というより私があふれるモノと情報のなかで溺れかかっているような状態なのだから。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

もし、所沢市役所が2つあったとしたら。

新民報、夏の特集号に投稿した原稿です。何人の方から読んだよ、とお声をかけていただきました。ご感想をくわけんまでお聞かせください。
言いたかったことは、いまある自治体は、私たちはともすれば代替不能なものとかんがえがちですが論理的には交換可能であること。本当は、米国合衆国憲法修正第2条(国家権力への抵抗権の保証)にからめて話をもっていきたかったのですが、話がややこしくなるので断念しました。
言いたかったことは、国家公益独占主義(日本では公的な活動は国家や自治体に独占されるという考え方)はもう限界でしょう、ということです。 以下、本文
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。選挙中、私は次のようなたとえ話の演説を街角で行っていた。もし、所沢市役所が市内に2つあり、それぞれが、行政サービスを競いあったとしたらどうなるだろう。住民はサービスのいい方の市役所に住民登録を行えるとする。住民登録を行った市役所に税金を納めることとする。そうすれば、より高い税収入を求めて、お互いがよりよいサービスを提供しようと張り切るのではないだろうか。 そんな荒唐無稽なことを、とおっしゃる方もいるかもしれないが、そうした事例は現実に増えている。例えば、最近の郵便局。サービスが、目に見えて向上している。やはり、宅配便業者がメール便を始めるなどしていることが影響しているのだろう。高速道路のサービスエリアも2社に分割したことで、モスバーガーやパンの神戸屋などがテナントとして入店するなど、扱っている商品の選択の幅もひろがった。 歴史をひもとけば、江戸時代の北町奉行所と南町奉行所のように、同じ地域を対象に、一月ごとに裁判権を移動させていたという例もあった。 もちろん、自分たちの住んでいる自治体の行政サービスに不満があれば、選挙での投票という形で意思を表明することができる。しかし、選挙は4年に1回しかない。また、選ばれた人たちが自分たちの望むような行政サービスを提供してくれるとは限らない。陳情や請願といった方法もあるが、それでも行政サービスが変わらないとなると、適切な行政サービスを受けられる自治体へと引っ越すこととなる。いわゆる公共経済学で言うところの「足による投票」(ティボー)を住民は行うこととなる。 最近、「子育てにやさしいまちはどこか」といった雑誌の特集記事をよく見かけることからもわかるとおり、日本ではありえないと思われていた「足による投票」が現実味を帯びてきている。 孟子の母が孟子の教育にふさわしい場所を求めて、引越しを繰り返した、「孟母三遷」などは、「足による投票」の元祖と言えるかもしれない。 しかし、現実には、行政サービスの違いによってわざわざ引っ越すというのは面倒なことである。そこで、市役所を2つ作って、競わせてはどうか、という冒頭の提案をしたわけである。 ただ、2つ市役所がなくても、受ける行政サービスの供給者が市内に2つ以上あれば、事実上競争は発生することになる。もちろん、需要に比べてサービスが一定以上存在することが前提である。この点については、福祉の分野が進んでいる。介護保険のサービスは、複数の会社やNPOから選択が可能になってきている。 行政サービスすべてを、行政が提供する時代ではもはやない。行政サービスを含めた公的なサービスについては、NPO(ここでは広い意味での非営利団体)や民間企業が担い手となって供給するべきであろう。所沢市でも、特定管理者制度の導入によって、ラーク所沢の運営経費が節減できたという。 最近では、福祉の分野ばかりでなく、たとえば札幌市など、窓口業務の民営委託化が進んでいる。いずれにしろ、公的なサービスの供給主体がNPOであれ、民間であれ、複数存在するという状態を作り出すことは重要であり、そうした公的なサービスが増えると、事実上、市役所が市内に2つあることに近い状態を生み出すことができる。 もちろん、住民の行政サービスに対する評価がしっかりと、行政にフィードバックされれば、別に2つ市役所がなくても打てば響くような行政が実現することは言うまでもないことではあるのだが。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

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