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もし、所沢市役所が2つあったとしたら。

新民報、夏の特集号に投稿した原稿です。何人の方から読んだよ、とお声をかけていただきました。ご感想をくわけんまでお聞かせください。
言いたかったことは、いまある自治体は、私たちはともすれば代替不能なものとかんがえがちですが論理的には交換可能であること。本当は、米国合衆国憲法修正第2条(国家権力への抵抗権の保証)にからめて話をもっていきたかったのですが、話がややこしくなるので断念しました。
言いたかったことは、国家公益独占主義(日本では公的な活動は国家や自治体に独占されるという考え方)はもう限界でしょう、ということです。 以下、本文
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。選挙中、私は次のようなたとえ話の演説を街角で行っていた。もし、所沢市役所が市内に2つあり、それぞれが、行政サービスを競いあったとしたらどうなるだろう。住民はサービスのいい方の市役所に住民登録を行えるとする。住民登録を行った市役所に税金を納めることとする。そうすれば、より高い税収入を求めて、お互いがよりよいサービスを提供しようと張り切るのではないだろうか。 そんな荒唐無稽なことを、とおっしゃる方もいるかもしれないが、そうした事例は現実に増えている。例えば、最近の郵便局。サービスが、目に見えて向上している。やはり、宅配便業者がメール便を始めるなどしていることが影響しているのだろう。高速道路のサービスエリアも2社に分割したことで、モスバーガーやパンの神戸屋などがテナントとして入店するなど、扱っている商品の選択の幅もひろがった。 歴史をひもとけば、江戸時代の北町奉行所と南町奉行所のように、同じ地域を対象に、一月ごとに裁判権を移動させていたという例もあった。 もちろん、自分たちの住んでいる自治体の行政サービスに不満があれば、選挙での投票という形で意思を表明することができる。しかし、選挙は4年に1回しかない。また、選ばれた人たちが自分たちの望むような行政サービスを提供してくれるとは限らない。陳情や請願といった方法もあるが、それでも行政サービスが変わらないとなると、適切な行政サービスを受けられる自治体へと引っ越すこととなる。いわゆる公共経済学で言うところの「足による投票」(ティボー)を住民は行うこととなる。 最近、「子育てにやさしいまちはどこか」といった雑誌の特集記事をよく見かけることからもわかるとおり、日本ではありえないと思われていた「足による投票」が現実味を帯びてきている。 孟子の母が孟子の教育にふさわしい場所を求めて、引越しを繰り返した、「孟母三遷」などは、「足による投票」の元祖と言えるかもしれない。 しかし、現実には、行政サービスの違いによってわざわざ引っ越すというのは面倒なことである。そこで、市役所を2つ作って、競わせてはどうか、という冒頭の提案をしたわけである。 ただ、2つ市役所がなくても、受ける行政サービスの供給者が市内に2つ以上あれば、事実上競争は発生することになる。もちろん、需要に比べてサービスが一定以上存在することが前提である。この点については、福祉の分野が進んでいる。介護保険のサービスは、複数の会社やNPOから選択が可能になってきている。 行政サービスすべてを、行政が提供する時代ではもはやない。行政サービスを含めた公的なサービスについては、NPO(ここでは広い意味での非営利団体)や民間企業が担い手となって供給するべきであろう。所沢市でも、特定管理者制度の導入によって、ラーク所沢の運営経費が節減できたという。 最近では、福祉の分野ばかりでなく、たとえば札幌市など、窓口業務の民営委託化が進んでいる。いずれにしろ、公的なサービスの供給主体がNPOであれ、民間であれ、複数存在するという状態を作り出すことは重要であり、そうした公的なサービスが増えると、事実上、市役所が市内に2つあることに近い状態を生み出すことができる。 もちろん、住民の行政サービスに対する評価がしっかりと、行政にフィードバックされれば、別に2つ市役所がなくても打てば響くような行政が実現することは言うまでもないことではあるのだが。
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