« 2004.9月議会 一般質問⑨ 福利厚生委員会交付金について H16.9 | メイン | 米軍所沢通信基地を訪問しました。 »

米軍所沢通信基地を訪問しました。

10月18日、軽油流出事故を起こした、米軍所沢通信基地を視察しました。 議会関係者が基地内に入るというのは初めてのことだそうです。 当日は、所沢通信基地の米軍側の担当者(少尉 26歳)も来ていたので、基地について直接 たずねてみました。
10月19日 新民報に掲載された記事は、若干ニュアンスが違ってつたえられてしまいました。 ですので、実際のやりとりをここで、再現して報告いたします。
 くわけん「これほど通信技術の発達した時代でありながら、こんな大きな敷地とアンテナが 必要なのか?」 少尉「確かに、ここの通信設備ができたのは1960年と古いし、現在では通信に衛星も使っている。 しかし、要員の教育や予算の関係などから、今すぐ全面的に通信を衛星に頼るわけにはいかない ので、やはり、この基地は必要」 「アンテナとアンテナの間隔は一定距離を保つ必要がある。よって、これだけの敷地が必要」
 という話でした。いずれにしろゆくゆくは、通信は衛星に全面的に移管していくと考えるのが自然でしょう。  また、そもそも所沢の通信基地は、新座の大和田通信基地とセットで、B52の爆撃支援に使われていたようです。
(参考)キャンプ座間(陸軍) この基地には、1983年から国防衛星通信システム(DSCS)の地上局が置かれ、ハワイの太平洋軍司令部や米本土、首都圏の米軍基地を衛星を介して結ばれ、さらに所沢通信基地や大和田通信基地をむすんで戦略爆撃機B-52を支える核攻撃システム=「ジャイアント・トーク・システム」を構成していたが、この地上局の巨大なアンテナは、1999年に撤去された
米軍の通信衛星は国防衛星通信システム(DSCS)と言います。(英文) 

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)