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2005年08月16日

旭山動物園から考える行政経営

昨年同様、本年も新民報に夏の原稿を投稿いたしました。今回のテーマは旭山動物園です。
北海道旭川市にある旭山動物園。昨年7月、8月には、あの上野動物園を抜いて、月間集客数が動物園として全国一になった。NHKクローズアップ現代等、様々なメディアで取り上げているためご存知の方も、あるいは実際に訪れた方もいるのではないか。田中康夫長野県知事も絶賛し、竹中平蔵大臣も地域再生のモデルとして持ち上げている。 私の実家が旭山動物園からほど近いところにあるため、帰省の度に、子どもを連れてよく訪れていた。ちょうど長男が12歳であるから、この12年の変化というのを肌で感じ取っている。 子どもを初めて連れて行ったころは、旭山動物園が、最もさびれていた時期にあたる。現在は120万人を越える来客数を誇るが、96年には開園以来最低の26万人にまで落ち込んでいた。ひどい時には、園内には見渡す限り、私の家族以外にはほとんど人が見当たらないという状態であった。 こういう状態であれば、まず出てくるのは閉鎖論か民間委託論である。旭山動物園は市営であるからなおさらである。議会でも多くの批判がなされ、一時は民間への売却論も出たそうだ。 しかし、旭川市は民間委託には踏み切らず、逆に積極的な投資を行い新しい施設を増設していった。施設の設計の原型は、最もさびれていた時代に、動物園の職員が集まって、理想の動物園像を日々語り合い、描いた数多くのスケッチ画だったという。 もし、「民でできることは民で」という二元論的な考え方で旭山動物園の再生を行ったとしたら、これほどの繁栄はまずなかっただろう。あるいは、指定管理者制度を利用したとしたら?やはり、これほどにはならなかったはずだ。 実は、旭山動物園には、動物園エリアとは別に本当に、申し訳程度の遊園地がある。この遊園地部分は民間委託されている。では、この遊園地が民間委託によって、盛り返したかといえば、そうではなく、適切な追加投資もなされないため、すっかり動物園部分の繁栄から取り残されてしまっている。  旭山動物園の存在は、民でやればなんでもうまくいき、公でやればなんでも非効率という単純かつ二元論的な分類があまり意味のないことを証明している。 旭山動物園の評価を高めた、動物のありのままの動く姿をみせる「行動展示」もやはり現場の職員のアイディアから生まれている。 本当に寂れていた頃も、職員は手作りの看板で、動物の特徴や行動を説明していた。ベンチも、予算がないせいか、おそらく手作りのベンチに、ペンキで動物の絵を描いていた。  そうした絵やイラストが、既成の掲示板などと違って、動物と付き合っている人のぬくもりが感じられて、あちこちにある絵や看板を見つけて読むのも我が家の楽しみの一つであった。  素人にしては随分イラストのクオリティが高かったのが不思議だった。実は、後になってわかったのが、それらのイラストを描いていたのが、当時は飼育係で、後に絵本「あらしのよるに」を描くことになるあべ弘士さんであった。  基本的には現場の職員が熱意にあふれていることが重要であることを旭山動物園は教えてくれる。その熱意を形に変えていく上で、公がいいか民がいいかを判断していけばよい。 まず始めに民間委託ありきだけが、行政経営でないことを改めて肝に銘じたい。
(終)