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「話を聞く名人」(2005年1月新民報寄稿)

2005年 新民報に寄稿した記事です。いつもは、です、ます体で表現していますが、この寄稿はである体で書きました。また、松下幸之助氏の表記については悩みました。私たち政経塾の卒塾生は、松下幸之助塾主とするのですが、それは、あくまで私たち内輪の論理ではないかと考え、今回の記事では敢えて、親しみを込めて、松下幸之助さんと表記させていただきました。
「話を聞く名人」 あけましておめでとうございます。
私の今年の決意は、人の話をよく聞くようにすることである。毎年決意しているが、虚心坦懐に人の話を聞くというのは実に難しい。特に、おしゃべりな私にとっては難業苦行である。
私は、大学卒業後、松下幸之助さんが私財をなげうって次世代のリーダーを養成するために創った松下政経塾へと進んだ。松下政経塾では松下幸之助さんから様々なことを学ばせてもらった。特に、人の話をよく聞くということについては、身をもって教えていただいた。
松下政経塾には第9期生として入塾した。第9期生は、松下幸之助さんとお会いできた最後の塾生である。残念ながら、そのころの幸之助さんは、体調を崩されていて、大阪府門真市の松下記念病院に入院されていた。春に予定されていた面会も一度は中止になり、秋になってやっと実現した。
私は、北海道出身なので、おみやげの「まりも」と「木彫りの熊」を持っていた。今から考えると汗顔の至りであるが、当時は怖いもの知らず。おみやげをお渡しすると、にこっと笑って受け取ってくれた。その後、参加した塾生が、順番に自分は将来どういう志を持っていてどういう分野で活躍したいかなどを話した。
はっきりいって、まだ海のものとも山のものともわからない若造の話を、本当に深くうなずきながら、聞いてくれる。噂には聞いていたが、心底聞いてくれるのだ。私の番がまわってきた。とても齢97歳とは思えない目で私を見つめる。そして少しうなずきながら私の話を聞いている。幸之助さんは、あまりに聞き上手なので、ついつい余計なことまでしゃべってしまうと聞いていた。なるほどこれでは言いたくないことまでついついしゃべってしまうだろうな。私も上気していて、何をしゃべったかあまり覚えていない。ただ、その場で幸之助さんの逆鱗に触れて、「きみのような人間は、即刻辞めてもらう」と言われるのではないかと恐れていたので、無事語り終えてほっとしたことを覚えている。(私は、何かと政経塾のやり方に反抗していたため、塾の職員の評判は最低であった)さすがに幸之助さんに辞めろと言われると辞めざるをえない。
 とかくリーダーシップというと、リーダーが一方的にしゃべりまくるという印象がある。あるいは、自分の考え方を説いて、説き伏せるというイメージがある。 しかし、幸之助さんのリーダーシップは語るリーダーシップではなく、聞くリーダーシップである。巷間には、松下政経塾と早大雄弁会とを比べる向きもあるが、政経塾は雄弁であることよりも、聞くことにより多くの価値を置いている点では、全く方向性が違う。  松下政経塾でも、幸之助さんは、「私のつくった塾だから私の考え方をまずしっかり学ぶように」ということは一言も言われなかった。「諸君は塾生であると共に塾長である」という意識で学んで欲しいとも語っていた。
 話のおもしろい人、上手な人というのは割合といるが、話を聞くのが上手な人というのが意外と少ない。私は、幸之助さん以上に聞き上手な人にはこれまであったことがない。幸之助さんは、話を聞く名人であったといえよう。
 一時は私も、人の話をよく聞くということを意識していたが、最近どうもその点がおろそかになっていると大きく反省している。2005年は、改めて人の話をよく聞く年にしようと決意している。この記事を読まれた方々は、わたしがしゃべりすぎたときには、ぜひ忠告していただきたい。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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