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新潟県小千谷市レポート その2

 「震災被害の新潟県小千谷市に行ってきました。その1」からのつづきです。
 その後、新潟県立小千谷高校近くにある仮設住宅へ。 余談ですが、初めて訪問する街では自動車のナビゲーションシステムは実に便利です。 効率よく回ることができます。  仮設住宅ごとに集会所が設置されており、そこでは、茶のみ会が開催されていました。 仮設の入居者の方々がお菓子を持ち寄って、お茶を飲みながら語らっていました。 やはり、こうした仮設住宅の住民の方々が集まれる施設震災後だからこそ重要なのでしょう。  その後、小千谷市役所へ。 小千谷市役所の2階には、廃棄物処理の相談窓口が開設されていました。 震災による建物崩壊によって多くの廃棄物が発生します。その処理というのは非常に重要度の高い問題です。 所沢市では、何らかの災害が発生し、もし大量の廃棄物が発生した場合どのように処理するのでしょうか。それでなくても最終処分場も余裕がなくなりつつあります。地域外に持ち出すにしても、やはり、ますは地域内に一旦集積する必要があるでしょう。災害対策の観点からも最終処分場のあり方を考える必要がありそうです。
 震災対策室は、市役所とは別棟のプレハブに移設されていました。  鞍立さんと久しぶりに再会。 鞍立さんは、その1で紹介したブログにも書かれているように震災時ちょうど名古屋出張中で、 あわてて戻ってきたそうです。 ちょうど、自衛隊が退去した翌日ということもあり、開口一番、「小千谷市民の自衛隊に対する認識を新たにしただろう」と力説されていました。阪神淡路大震災の教訓から、震度5以上の場合、自衛隊は自主的に出動できるようになりました。 県知事の自衛隊に対する出動要請も早くに行われたようです(阪神淡路は4時間13分後の午前10時、新潟は2時間30分後の午後9時)。 食料の支援やテントの設営、入浴設備の提供など、は言うまでもないことですが、それ以上に山間地の被災地の情報収集にあたっても、自らの危険を顧みずに、バイクでいけるところはバイクでそこからは徒歩で生存者の確認に当たるなど、その捨て身の行動力に感銘を受けていたようです。 所沢市でも、災害時の自衛隊との連携をどのように考えるのかということは今から整理しておく必要があるでしょう。
 また、市役所の職員の奮闘ぶりにも感激したそうです。職員自身が被災したにもかかわらず、文字通り不眠不休で、公僕として、震災対応にあたっていたそうです。
 一方で、震災中で忙しい時に、被害状況の報告をせよということを言ってくる某地方公共団体もあったとかなかったとか。
 その後、防災服姿で、議長室で待機していた、小千谷市議会議長の吉原正幸氏にも面会しさらにお話を伺いました。続きは、その3で。

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