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オランダ ティルブルグ市の改革と議会との関係

 2月に訪問した、ティルブルグ市の改革と議会との関係についての報告です。 私のつたない英語力で聞き取ったため、あるいは事実誤認等あるかもしれません。 一応英文、和文資料等で確認をとれる範囲でとってありますが、ティルブルグ市に関しては あまり日本語の資料がないため苦労しました。
 ティルブルグ市の改革概要については、べテルスマン財団のホームページに資料があります。
 また、以前にも紹介したと思いますが、ティルブルグ市のホームページにも ティルブルグモデルというページがあり、英文で紹介されています。
 これほど、ニューパブリックマネジメントがブームになっていながら、世界的にも評価の高いティルブルグモデルが日本では殆ど紹介されていないというのは驚くべきことです。
 武田公子著 ドイツ自治体の行財政改革(法律文化社)によれば、ドイツの行財政改革は、ティルブルグがモデルになっているといわれています。 ベテルスマン財団の先駆的な行政を行っている都市を表彰する、明日の都市(city
of tomorrow)や国連のベストプラクティスにも選ばれています。  今回のインタビューは、ティルブルグ市のdrs. Ignatius J.LM. Zaat
氏に対して行いました。 zaat氏は、ティルブルグの改革には初期から関っている方のようです。
 今回は、ティルブルグモデルについて、特に、議会(council)と自治体(municipality)との関係の変化を軸に質問しました。
 以下インタビュー内容です。
 ティルブルグ市の人口は138,000人。 ティルブルグモデルとは、企業の経営感覚で、自治体経営を行うことを徹底的に追求し、実現させた点に特徴がある。それぞれの時代の変化に合わせてモデルも変化している。 議会は、毎月1回、18時~19時に開催される。5つの委員会がある。月給は20万円ほど。39名のメンバーがいる。市長は、国からの任命制である。
ティルブルグモデルと議会(council)  ちょうど20年前の1985年、ティルブルグ市は、これまでの市を支えていた基幹産業の繊維産業が、アジア諸国の低価格戦略により衰退。また、失業も増加し、財政赤字も増大。ちょうどそのころ、議会や執行部(市長、副市長、シティマネージャーなどによる合議体)、シティマネージャーなどが交代。このまま同じやり方では限界があうという認識を共有。 しかし、当時の議会は透明性に欠けていた。オランダの地方議会は日本の地方議会が主に予算や条例の議決権に権能が限られるのと違い、執行権も有している。よって、議会が厳しい財政状況を理解しないと、予算の増加に歯止めがかけにくい。 関係者の間では、米国の著名な経営学者であるミンツバーグ教授(minzberg)のコンセプトを応用することとした。「どのように企業を統治するか」をティルブルグ市に置き換えて考えたという。 そのために、自治体が提供するそれぞれの仕事を製品として捉え、製品のコスト分析を行った。当初は200の製品を提供していたが、その数を120に減らした。製品とは、「街の安全確保」や、「廃棄物収集」「幼稚園の運営」などである。「街の安全確保」のコストには、警察や街燈整備などのコストが含まれる。 こうしたコストについての冊子を作成し、議会に提示した。その結果、議会もコストを知ることによって、無理な要求を抑制するようになった。 84年には10部局を5~6部局に縮小した。そのために、徹底的な業務分析を行った。そのため、ティルブルグ市の公務員は、それぞれ自分たちの仕事を時間ごとに詳細に記録することが求められた。これによって、余剰人員の洗い出しが行われ、余剰人員が40%いることが明らかにされ、余剰人員は10%~20%に減らされた。 予算は、最低限必要とされる額以上に削減された。当時導入したばかりのコンピューターのメインフレームを、あまり役に立たないということで、他自治体に売却した。そうして、蓄積した資金を余剰人員削減費用として活用した。特に従来型の行政についての考え方を持つ職員に退職金の上乗せを提案し、退職勧奨を行った。あるいは、自治体の各部門を十数の別会社として分離し、そこの職員とした。 組織もピラミッド型から、グループ制に移行させた。グループはプロジェクト単位に「活動」と「公務員」と「予算」とを合わせて持ち、そこのグループの責任者は、年に2~3回議会に対して、それぞれのプロジェクトについて詳細なレポートを作成することを義務付けられた。予算が不足、あるいは余剰する場合には厳しく追及され、正当な理由を説明できない場合、その責任者は責任を追及された。このレポートによってプロジェクトに対する「早期警戒(early warning)」の役割を果たすことが期待された。レポートは、シティマネージャーから市長評議会(Board
of
mayor)へ、そして議会へと報告された。 以上のような取り組みを通じて、議会のカルチャーも変化した。「何をするか(what)」から「どのようにするか(how)」に変わった。例えば、「どこに新しい市営バスの路線をつくるか」から「市営バスをより利用してもらうためにはどうすればよいか」に議論の方向性が変化した。議会が「何を決定するべきか」について明確になった。つまり、より戦略的な観点から決定することに集中することとなった。
以上 ティルブルグモデルについては、改めてまとめて外部に投稿しようと思っております。

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