地殻変動の地方自治 ③
本当は、2回でやめようと思ったのですが、今少しお伝えしたいこともあるので、自治体学関東フォーラム2010のお話をもう少し。
金井教授の基調講演の中で、地殻変動、経済成長の終えんによって、自治体の選択肢は4つに集約されていくだろうというお話がありました。大変重要な論点を含んでいるので、ご紹介しつつ考察してみたいと思います。
1)開発主義 ケインズ主義による公共投資による乗数効果を目指す成長戦略ですね。「20世紀の過疎自治体にもみられた」と金井先生は説明しています。私も、山村の研究で修士論文を書いたのですが、その論文では、開発主義を批判的にとらえています。ダムの問題も、原則はこの開発主義に起因しています。今は、ダム開発は、治水が議論の中心ですが、20年前は、経済波及効果が最大の論点でした。ついでに治水といった感じでしたね。
2)終末主義 シュリンキング(縮小)ポリシーに近いのですかね。退却戦略です。現実には、よっぽどのことがない限りは、この戦略は選択できないでしょう。夕張の場合は強制的終末主義でしょうか。
以前、日本生態系協会が主催するシンポジウムで、シュリンキングポリシーを採用している旧東ドイツの街の事例が紹介されていました。正直、そこまで考えなくてはならないのか、とちょっと気分が後ろ向きになりました。この主義の偽装としては、コンパクトシティの形をとることもあります。
でも、もうそろそろ考える時期にあるのは事実です。
3)高負担主義 財源を賄うために高負担を求めるという戦略です。大きな自治体指向といってもいいでしょうかね。基礎自治体レベルでの選択というのは実際ありえないような気がします。
ティボーの足による投票という仮説が公共経済学、財政学ではあって、住民は行政サービスに応じて居住地を移動するという仮説です。
この仮説に従えばあまり高負担の場合は、居住者が引っ越すというデメリットがあります。また、この場合、スピルオーバー(漏れ出し)問題も検討しなくてはなりません。つまり、たとえば、所沢市が高負担で住民サービスを充実させたとして、近隣市町村の住民に対してその住民サービスを制限できない場合、近隣住民に所沢市の負担でサービスをしていることになってしまうという問題です。
東京都の清瀬小児病院と所沢市の関係がスピルオーバーの具体例としては挙げられます。清瀬小児病院は東京都の病院ですが、病院は基本的には患者を断ることができないので、所沢市の住民の利用が多かったことが問題視されていたようです。
逆に、最近では、所沢市が近隣他市と比較して充実した小児夜間医療体制を構築しつつあります。当然所沢市としては受診を拒否できませんから、今後スピルオーバー問題が発生する可能性もあるかもしれません。
いずれにせよ、受益者と負担者が相違する場合は、本来であれば県が取り組むべきでしょう。
小児夜間医療充実を求めて、引越ししてくる可能性も考えられますが。
保育園など、市内の住民に受益と負担が限定されている場合には、スピルオーバーは発生しませんので、こういった分野では、有効かもしれません。
4)低負担主義 増税をせず、そのかわり行政サービスも削減、小さな政府です。これもティボーの足による投票理論では、場合によっては住民が逃げ出す可能性がありますね。
選択肢にはないのですが、20世紀後半の自治体として例示されていたのが、
5)負担転嫁主義 「低負担高福祉のために民間会社に負担を転嫁」と説明されていました。
この5)の例が、介護保険事業者への負担の転嫁です。厚生労働省は、最初は高い介護報酬で、業者を集めておいて、その後、どんどん介護報酬を切り下げていきました。結果として、介護事業者、定着率も悪く、なかでも、訪問介護系は、施設介護系に比べて、利益率も格段に低くなりました。
施設介護も、特に特養などは、年金だけでは入れない施設になりつつあります。
1)の開発戦略も決して全て、ダメということではないと思います。ただ、リスクは相当高いと思われます。投資に見合うだけのリターンが果たして得られるのか。失敗すると、多額の負債を自治体が背負ってしまう点はとてもリスキーです。
しかし、一方で、何らかの投資を行っていかないと、特に、所沢市のような東京の従属変数都市にとっては、他の従属変数都市に住民を持っていかれます。投資といっても、もちろん環境先進都市を目指すという方法もあるわけで、私だったら、自転車道をもっと整備します。できれば、筑波学園都市のように、都市軸の中心に自転車と歩道をもってきて、可能な限りの歩車分離を図るまちに作り替えるという投資を行います。
いずれにせよ、大変示唆に富む分類であることは確かです。