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介護保険は老いを守るか(岩波新書)批評②

 さて、前回の続きです。
  
 本著は、2005年介護保険の制度改正後の変化を中心に書かれています。
 著者は、2005年~2009年まで社会保障審議会・介護給付費分科会委員として、報酬改定にかかわっていました。にもかかわらず、「適正化」という厳しい給付制限(利用制限)に気がつかなかったと言います。このことも本書を書く動機となったそうです。(244p)
 この著者は随分正直な人だなと思いました。この改正については、ある事情で、リアルタイムでウオッチしていました。ですから、2005年改正はあきらかに給付制限を目指したものであることがわかっていたので、気がつかなかったというのはどうしてなんだろうという疑念も抱きます。よっぽど著者に対する厚生労働省側の情報コントロールが成功したのでしょうか。

 著者もあとで気づいたと述べているように、2005年改正の大きな狙いの一つが、生活援助(家事援助)の大幅な削減でした。家事援助については、私も、ある知り合いのうちに遊びに行った際に、お手伝いさんがいるのでびっくりしたのです。「どうしたの」と聞くと介護保険の家事援助サービスを利用してきてもらっているとのこと。
 また、来ている方に対して、まるで家政婦のように用事をいいつけているのにさらにびっくりしました。当然事業者としては、ご機嫌をそこねて契約を解除されては困りますから、家事援助の本来の趣旨を利用者に対して説明するということもできないでしょう。

 生活援助の制限理由として筆者も紹介しているように、「軽度者が無駄に介護保険を使った」「過剰サービスを組み込んだケアプラン」にあります。このころ、ちょうどコムスンの過剰給付の実態などが暴かれた後ということもあります。
 
 もともと、厚生労働省の狙いとしては、介護保険導入時には、大盤振る舞いで、新規参入を促し、一定程度参入がなされた後に、給付を絞っていくという戦略があったのではないかと、思っています。
 
 現在、私立保育園の新規参入には手厚い補助がなされ、公立保育園については、一般財源化で事実上補助をなくし(実際には交付金に含まれている)、私立保育園えの新規参入誘導を行っていますが、これも時期が来たら、必ず私立保育園の補助率も下げていくことでしょう。案の定、昨年度、補助率の引き下げが行われ、一旦支給された補助金を返還することになりました。

 さて、著書では縷々、生活援助、特に同居家族がいる場合の生活援助が打ち切られたことによる事例が紹介されます。いずれの事例も大変深刻であることはわかります。そして、この著書の目的の一つはそうした介護保険制度の不備に伴う深刻な事例を紹介することに多分主眼が置かれているのだと思っています。そういう意味では大変参考になりますが、では、そのまま生活援助を続けていて介護保険財政は大丈夫だったのかという懸念もあります。

 筆者は、制度5年を経て、家政婦的に生活援助を利用する事例が少なくなってきたと述べていますが、それがマクロ的にみてもそうであったかの説明はありません。

 もし、生活援助抑制の立場に立つ論者が同じような本を書いた場合、こんどは逆に、どれだけ生活援助を本来の趣旨からそれて利用していた事例をいくつも並べることができるでしょう。
 
 では、はたして、どちらが正しいのか。その正解は多分ありません。例えば、生活保護の場合は、不正受給を抑制するために、ミーンズテストといわれるプロセスで、ほぼ受給者の生活実態が丸裸にされてしまいます。介護保険にもミーンズテスト的な要素を導入すればそれは、不正利用は抑制できるでしょうが、実際には、その生活保護ですら不正受給があるのです。

 つづく

 

 

 

 
 

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