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目的のためには欺け?(新民報寄稿原稿)

J・ジェイコブスという米国の思索家がいます。日本でいえば評論家ということになりますか。「アメリカ大都市の死と生」という歴史的名著で、最初の日本語訳(抄訳)は建築家の黒川紀章氏が翻訳しました。この本は車社会中心になったアメリカの大都市を批判し、都市計画の潮流を変えたと言われています。最近になってやっと別の訳者による全訳がでたようです。
 彼女の著書に「市場の倫理 統治の倫理」(日本経済新聞社)があります。市場の倫理と統治の倫理は矛盾しているというのが本書のテーマといってよいでしょう。ふたつの倫理を表す道徳律として、それぞれ15項目があげられています。市場の倫理では、「暴力を締め出せ」「正直たれ」「他人や外国人とも気やすく協力せよ」「競争せよ」「効率を高めよ」「勤勉たれ」「楽観せよ」。
一方、統治の倫理は、「取引をさけよ」「伝統堅持」「復讐せよ」「目的のためには欺け」「排他的であれ」「剛毅たれ」「名誉を尊べ」などが道徳律として列挙されています。
 この区分そのものが絶対的なものとは思いませんが、最も対立する項目が、「正直たれ」と「目的のためには欺け」でしょう。「目的のためには欺け」とは、「目的のためには手段を選ばない」ということになるでしょう。統治は政治と置き換えた場合、統治に関わる人々の中には、「目的のためには欺け」と思っている方もいるようです。
一番わかりやすいのが、選挙です。当選するためにはあらゆることをする。土下座もする。ほかの候補者の活動を妨害する。落選したら元も子もないじゃないか。統治の倫理から言えば当たり前のことですが、「正直たれ」という市場の倫理からすれば問題です。
松下政経塾を創った松下幸之助さんは、ある塾出身の候補者の選挙活動のビデオを見ていた時、その候補者が有権者に土下座をしているシーンを目にした途端、ぷいと席を立ったそうです。当選のために、土下座は有権者を欺くことと見えたのでしょう。
また、演説においても、「相手候補の悪口は言わず、相手候補も素晴らしい方ですとまず褒めてから、でも私はこういう考えでやりますので、是非ご支援をお願いしますと言いなさい」と述べています。
私も松下政経塾の卒塾生として、あまり住民の方々に媚びへつらわないようにと心がけているせいか、「生意気だ」「頭が高い」「えらそう」と一部方面ではまことに評判が悪いのですが、そういう事情だということをご理解下さい。
「えっ、でもくわけんは褒めるのではなくて、あら探しばかりではないか」というご意見もあるかとは思います。しかし、最近はなるべくいいところを褒めつつ、質疑を行っているつもりです。慣れないせいか、下手に褒めると褒め殺しに見えてしまうのが最近の悩みです。
 話を元に戻します。松下幸之助さんは松下政経塾を作ったのも、市場の倫理というものをもう少し統治の倫理にも持ち込むべきと考えていたのではないか、とこの「市場の倫理、統治の倫理」を読んで思ったのです。
 松下幸之助さんはずばり、「生産性の高い政治」ということも言っています。
 市場の倫理でも「効率を高めよ」と言っていますね。
 松下幸之助著作で読者の皆様に最も親しまれている「道をひらく」171p(PHP研究所)にも、事業の場合も「いかに正しい方法で成果をあげるかということが、大きな問題になる」、として、目的達成も大事だがそのためには、手段も重要であるということを説いています。
 さて、J・ジェイコブスは、この対立する2つの倫理を調整するには、江戸時代の士農工商のような制度を選択するか、問題に応じて、二つを使い分けるかどちらしかないと言います。当然、士農工商の時代に戻るわけはいかないので、この二つを使い分けるしか私達の選択肢はないといいます。ただし、もう一つの方法があって、それは、統治倫理で、暴力的に市場倫理を支配するという方法であり、ファシズム、全体主義に近い考え方でしょう。最近、独裁に対する期待感を感じることがあります。例えば、鹿児島県阿久根市長や某愛知県の某政令市の市長などに代表されますが、これらの方々は、最初は、公務員の給料の公開や、議会の報酬引き下げ、定数是正などで、有権者の圧倒的支持をえますが、こういった独裁は、結局最後は、議会を開かない、議会の制定した条例を意図的に公布しないなどの暴力的な行為につながっていきます。確かに、独裁は、ヒトラーや、韓国の開発独裁などの例を持ち出すまでもなく、一定程度、経済の発展に貢献する場合があります。戦前の陸軍主導の大陸進出政策なども、そういう側面があったでしょう。しかし、最後は、独裁は、暴力的な結末を迎えます。なぜなら、それは統治の倫理に乗っ取ったからです。市場においても、ワンマン社長などが存在しますが、市場はもし会社の存続、利益の達成が実現しなければ、いくら一時的に暴力的に社員や会社を支配したとしても、市場からの退出を促されます。
 市場原理を行政に持ち込むことが大きな批判を浴びました。しかし、弱肉強食だけが市場の価値ではないということです。行政や政治に持ち込むべきは、「暴力を締め出せ」「正直たれ」「他人や外国人とも気やすく協力せよ」「競争せよ」「効率を高めよ」「勤勉たれ」「楽観せよ」なのでは市場の倫理なのではないでしょうか。少なくとも、現状においては、国民を欺いても良いという政治が横行する中、来春に向けて、市場の倫理を行政に持ち込むべくさらなる努力をさせていただきます。

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