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変わってしまった世界

 3・11を機に、世界はすっかり変わってしまった。私から見える世界と言ってもいいかもしれない。こういう経験をしたのは、大学1年生の冬休みに初めてインドを訪問してい以来のことだと思う。

 もちろん被災された方々に比べれば、私の受けた衝撃や被害というものはたかが知れたものであろう。しかし、電車が止まり、駅のエスカレーターが止まり、停電があり、信号機が止まった時に、メッキがはがれて地の世界が立ち現れてきて、思わずたじろいでしまった。

 きっと、同じような経験は、敗戦時に、教科書のスミ塗りを経験した方々もされているのではないだろうか。これまで、空気のように当たり前で絶対的だと思っていた世界が、あくまでもそれは一つのお約束ごとの世界であったことを知ってしまう。

 少し、ポジティブな例でいえば、ウィンドウズが発売される以前のマックとの出会いとも似ている。

 インドから帰ってきてから、あくまでも、今見ている日本という世界も、一つのお約束ごとの世界であり、世界には別のOSで動いている世界もあるということを意識し続けて生きるようにしてきたつもりだった。しかし、最近は、海外に出かける機会も少なくなったせいか、いまあるOSが世界のすべてという思い込みが強くなっていたようだ。

 ちょうど、3・11後に、統一地方選挙があった。当然選挙であるから、街頭で訴えをするにも、これまでやってきたことについては訴え易かったが、今後のことについては、前提条件が違ってきすぎて、それまで考えていたことの体系が崩れてしまったがゆえに、難渋した。

 インドから帰ってきてしばらくは、強制的に新たに別のOSが強制的にインストールされたような状態で、2年ほど頭の中の混乱が続いた。
 しかし、所詮はインドにそのまま暮らすわけでもなく、平和で安全な日本での生活が続いたわけなので、世界が変容したとしても、所詮は頭の中の世界でのできごとに過ぎなかった。

 ところが、今回は、相当にきつい。とくにきついのは放射線だ。私だけならまだしも、私のこども達は放射線まみれの世界にこれからも生きていかなくてはいけない。
 これまでの人生において、また議員になってからも、無所属を貫いてきたので、特に東京電力からも東京電力労組からも便宜供与を受けたこともなかったが、やはり原発については、もっと反発しておくべきだったとの後悔は根強い。

 やはり、言うべきときに言うべきことを言っていくということの重要性だけは身に染みた。

 というわけで、ブログもしばらく、3・11の衝撃以来遠ざかっていましたが、再開をします。 

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