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日経グローカル寄稿「議会の存在意義としての討議」

日経グローカルに2013年4月15日号に私が執筆して掲載していただいた記事です。
字数制限のために削除した部分も復活させて掲載しています。

 日本国憲法では、地方議会はdeliberative organ(英文)である。議決機関ではなく、討議(熟議)機関と訳すべき存在だ。討議を尽くすために、多くの地方議会が委員会制を採用している。討議は建前では重視されているが、委員会でも議員同士の自由討議すら行われていない議会が8割以上を占めている。真の討議機関となるためには、委員会や本会議における自由討議の活発化は当然として、会派拘束のあり方などを見直し、議会に討議文化を根付かせていく必要がある。

討論すら行われていない議会もある

 議会における討議というと、よく、本会議や委員会で賛否を決する前に行われる、賛成討論、反対討論のことと誤解されることがある。「賛成や反対の討論が行われているので、自由な討議が実現できている」という見解もある。
 しかし、これらの討論はあくまで、お互いの主張をぶつけ合うだけで、ほぼ決まった結論に向けて、賛成側も反対側も最後通告に過ぎないというのが実態ではないだろうか。
 もちろん、中には討論を通じて、表決における立場を変更したという事例もあるかも知れない。また、ある市議会の例では、討論に対して、その内容についてさらに議論をするという形式をとっているという。こういう方法であれば、本来的な討論にふさわしいといえよう。
 最近驚いたのは、この討論ですら行っていない、県庁所在地のある市議会があることを知ったことだ。どうも、質問をしても話がかみ合わないので、確認したところ、討論を行っていないという。
 その理由を尋ねたところ、「討論をしたところで意見が変わるわけでもないので」とのことであった。
 確かに、討論によって評決結果が変わらないという実態に即せば、討論を省略したくなる気持ちもわからないではないが、こうなると、代表制民主主義や議会の存在意義の自己否定である。

公開と討議という議会の基本機能
 ここで、討議の重要制の議論に入る前に、議会の機能について確認をしておきたい。
 議会の重要な機能は、民意を代表する平等な立場の公選された議員が、公開の場を通じて、立場の違う者同士が討議を行い、より良いあるべき結論に導いていくことにある。
 よって、討議によって、議員がその立場を変えることがあるのは当然あってしかるべきであり、米国議会などは、会派拘束も限定的であるため、議論の過程を経て、法案などに対して、党派を超えて賛成票や反対票が投じられる。
 この考え方の背景には、自由市場が、最適価格を決定するように、言論の府である議会という場の討議を通じて、最適かつ最善な結論が導き出されるという仮説が存在している。
 日本の地方議会も、一応はこの仮説を前提としている。ところが、実際に議会では、議員同士の討議は、戦後の一時期を除き、その後はほぼ行われてこなかったというのが実態であり、あったとしても、例えば、常任委員会などにおける、傍聴者を排除した議事録に残らない協議会などといった場でひそかに行われてきた。
 討議は、公開の場で行われるのが大前提であるので、こうした討議は、討議というより、談合に近い。傍聴者は、協議会から排除され、いつのまにか結論が逆転することに憤慨するなどといったことを、私もいくつか体験している。
 戦後は、いわゆる東西対立を背景にした先鋭的な対立が地方議会にも持ち込まれてきたため、お互いの歩み寄りの余地が少なかったことも討議が活発にならなかったことの一つの要因として指摘できる。
 日本においては、深刻な党派対立が一定程度解消されて以降は、宗教的、民族的対立が先鋭化していないため、討議の環境は大枠で整ってきた。そういう意味からも、いま、新たに地方議会における討議を回復する試みが増えて来ているといえよう。
 
会派拘束は必要か?
 
 自分の考えと異なる意見を受け入れ、表決結果を変えるところまで至るために、障害となるのが、会派拘束という不思議な慣習である。
 地方議会は、国会の議会運営をひな形としてきた歴史を持つ。
 会派という存在も、果たして、地方議会にとって必須のものであるかについても議論があり、最近では小規模の議会を中心に、三重県鳥羽市議会のように会派制をなくす議会も増えている。
 議会の多数派から首長を選出する議院内閣制を採用しない地方議会にとっては、会派を拘束する必然性は弱い。
 現実には、地方議会においても擬似与党が存在してきたのであるから、会派拘束も擬似的に存在してきたということになるのだろう。しかし、本質的に討議を活発化させようとするなら、やはり会派拘束というリミッターは外れていた方がよい。

自由討論の活発化

 そうは、いっても、現実的には、一気に会派の解体や会派拘束の解消には向かわない。そこで、重要になってくるのが、議会における自由討議の活発化である。
 「議会に議論なし」という言葉もあるように、新人の議員が一番驚くのが、公式的な会期日程上、一度たりとも、議員間の討議がないことである。
 やりとりの殆どは、執行部に対する質疑や、質問が中心であり、委員会や本会議の最後に、討論とはいうものの、一方向の主張の機会が与えられるだけである。

 最近では、少し状況は改善の兆しがある。表では、『日経グローカル』第2回全国市区議会改革度調査(2012年4月実施)における自由討議の有無の結果を示している。この結果によれば、常任委員会に限って言えば、ほぼ2割の議会が、自由討議を行い、15%の議会が自由討議の議事録を残している。
 議会基本条例を制定した議会の割合も約2割。自由討議は、議会基本条例の標準装備と言えるので、条例制定をきっかけに自由討議が導入されたのではないか。
 所沢市議会でも、議会基本条例制定を契機に、委員会での自由討議が行えることとなった。
 所沢市議会の議会基本条例制定の最大の誘因は、一問一答制の導入にあった。
 自由討議への渇望はそれほど強くなかった。先進議会の条例案に自由討議尊重が盛り込まれていたので、素直に条文に取り入れたというのが、正直なところである。
 しかし、制定後の最も大きな成果の一つであるのが、委員会における自由討議の実現であったといえる。

 始めて見ると、これまで実施してこなかったことが不思議なぐらい、便利で有効な制度である。
 私の所属する委員会では、廃プラスティックの焼却を巡って大きく意見が分かれていた。
 執行部に対する焼却の利点や問題点の質疑議案が一渡り終了し、論点も出尽くした。その後は、意見を言うための質疑が繰り返されたため、自由討議に切りかえ、お互いに意見を言い合った。結論こそ分かれたが、結論に導く課程では、一致点が見られることも確認できた。小規模家電の回収もリサイクル品目に加えるという副次的効果も見られた。

本会議場の構造も変える必要が
 
 先ほど紹介した、市議会における自由討議の実施状況によれば、本会議場での自由討議を実施している議会は、わずか1.7%。本会議中心の議会における実施と思われる。しかし、議員の条例提案が活発化すると、本会議における自由討議は活発化する。
 所沢市議会でも、議員定数や報酬に関係する修正提案が行われた際には、本会議場で提案した議員に対して提案者に対する質疑という形で、丁々発止の議論が行われた。
 本来であれば、議場は、議員同士が議論することが前提となっている。
 だからこそ、いくつかの議会基本条例では、執行部の出席要求抑制条項が盛り込まれている。
 ところが多くの議会では本会議場は構造的に、執行部対議会という形となっている。
 委員会室は対照的に、議員同士が向かい合い、議論する形だ。本会議場での議員同士の質疑は、お互い体をよじりながら、質問したり答えたりという不自然な形である。本会議場も、名古屋市議会や静岡県掛川市議会のように、半円形に議員が着席する形式に変更していく必要がありそうだ。
 討議を活発化させるためには、議会基本条例制定をきっかけに、自由討論の余地を拡大していくこと、そのためには会派拘束のあり方も見直し、さらには、本会議での自由討論の活発化のためには、本会議場の構造の見直しにまで踏み込んでいく必要がある。
 今回は触れなかったが、議会日程のあり方も討議優先ならば、より余裕を持った日程とし、できれば通年議会も視野にいれていくべきであろう。市議会議員の報酬は、仕事量で評価される事が多いが、討議の質に対するコストパフォーマンスが問われていることも留意すべきであろう。 


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