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ローカルマニフェストは「鍬」

くわけんは今、ローカルマニフェスト推進地方議員連盟に加入しております。そいった関連で、エッセイの執筆を頼まれました。
http://www.senkyo.janjan.jp/senkyo_news/0803/0803132701/1.php

そのエッセイをここにも再掲させていただきます。

以下本文

私は農学部出身ですので、モノゴトをどうしても農作物になぞらえて考えるクセがあります。稲を例にとれば、よいコメを収穫するためには、「根」がしっかり発育なくてはいけません。「根」をしっかり発育させるには土づくりが重要になります。

 最近は、ほとんどの日本人が農業に関り無く生活していますから、この簡単な理(ことわり)を忘れがちになるように見えます。松下幸之助さんが松下政経塾を創設した際、「できれば最低10年間は塾で学んでほしい」と思ったそうです。(結局、設立当初の修業年限は5年。現在は3年)また、塾生の育成方針として、「多くの上手ではなく、一人でもいいから名人を育てたい」と宮本武蔵を例にとって語っています。

 私流に解釈すれば、松下幸之助さんは、人間としての「根」がしっかり発達した政治家・リーダーを育てたかったということではないでしょうか。「学校」ではなく、「塾」という形態にこだわったのも、「学校」は誰か先生が教えるところ、「塾」は自分から学びとるところ、という意識もあったように思います。

 松下幸之助さんの凄いところは、自分の考えを学べとは一言も言わなかったことです。

 「師なくして、自ずからその道に達すること」「自修自得」が松下政経塾の理念です。私は、松下幸之助さんには、塾生として一度しかお会いすることができませんでしたし、それほど長時間にわたってご指導をいただくということはありませんでしたが、海のものとも山のわからない若僧の言葉に真剣に耳を傾けていただいた経験は私にとって生き方の一つの指針となりました。

 私が入塾した当時は、「前川レポート」が内需拡大と、食糧の輸入関税撤廃を声高に訴えていました。当時、食糧安全保障などを唱えるということは、遅れた考えと見做される風潮がありました。当然、松下幸之助さんも財界人なのだから、食糧はどんどん輸入すればよい、という立場に立っていたように思われるかもしれません。しかし、松下幸之助さんは一貫して、食糧安全保障の重要性を訴えていました。

 松下政経塾の設立趣意書にも、「経済面においては、(中略)食糧やエネルギーの長期安定確保の問題」が日本の課題として挙げられています。特に政治家志望ではなかった私が、松下政経塾を志したのも、この設立趣意書の一文でした。

 その後、紆余曲折を経て、今は有権者の方々の負託をいただき所沢市議会議員を努めさせていただいています。当初の志はどこへやら、農業問題、食糧問題とは縁遠い立場になってしまいましたが、今は、地域で、良き「根」を育てることと、そのための土づくりを、地方議員という立場で実行いたしております。

 私にとっての土づくりのための鍬がまさにローカルマニフェストなのです

本文おわり

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