日本も「神風」を期待したが、ドイツも「奇跡」を期待していたとは
昨年(平成22年)12月19日(土)に、池袋ジュンク堂で開催された、佐藤優氏の講演会に参加した。佐藤優氏の本は大抵読んでいる私としては、生の著者に会えるということで大変楽しみにしていた。
やはり書かれている内容も重要だが、どんな声をしているかを確認するというのが重要な作業である。特にテレビメディアにはほとんど佐藤氏は登場しないし、講演もそれほど頻繁になされていないようなので、声をチェックする機会がなかったからだ。
声の判断基準は、声の質と同時にしゃべり方のクセのようなものも含めてのものだ。
想像ではもっと低音な声かと思ったが意外に甲高い声であった。
生著者の声を聞くと、その後同じ著者の文書を読んでも、印象が違ってくることもあるが、今回はあまりそういうことはなかった。
このプラチナチケットは、友人がわざわざ確保してくれたものだ。この場を借りて感謝申し上げます。
さて、その時の講演内容であるが、文藝春秋 2010年2月号に佐藤氏が書かれた内容を枕に話が進んだ。ちょうど原稿を執筆中の講演だったのだろうか。
当然ながら、講演は、さらに神学との関連について話が展開したので、その記事がそのまま講演内容と重なるということではない。
佐藤氏から紹介があったのは、ティモシー・ライバック著 「ヒトラーの秘密蔵書」という本で、ヒトラーの蔵書から、その思想遍歴や人物像をとらえようとする著作だ。
解説を佐藤氏が文藝春秋に執筆している。
この本の要約も掲載されている。要約によれば、ヒトラーは、ロシアからの攻撃に耐え抜き、ロシアのエリザベータ女王の急死によって停戦を勝ち取ったフリードリッヒ大王の伝記を敗戦が濃厚になってからむさぼり読んだそうだ。
そして、米国大統領ルーズベルトの死去により、「ついに奇跡が起こった」と大喜びした。しかし、フリードリッヒ大王のような奇跡は起こらなかったのはご承知のとおりである。
日本も終戦末期、蒙古襲来になぞらえて「神風」が吹くことを期待したが結局吹かなかった。
ドイツでもそのような期待があったことを初めて知った。
私たちは謙虚に歴史から学ばなくてはいけないが、歴史に期待してはいけないということなのだろう。