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自治基本条例は所沢のマグナカルタたり得るか?

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくご指導お願い申し上げます。

 さて、下記の文章は、日刊新民報に寄稿した文章です。
 テーマは自治基本条例についてです。
 今年は、自治基本条例と、総合計画の基本構想+基本計画が議決事項として
 議会に上程されます。

 以下 本文です。

今年は、順調にすすめば所沢市では(仮称)まち
づくり基本条例(以下自治基本条例)が制定されます。先日も私の近所の公民館でパブリックインボルブメントが行われていました。ちょうど、同じ時間に別の行事も控えており、その行事の主催者の一人でもあったので、開始前のわずかな時間に旧知の市民委員をされている方とお話をさせていただきました。

 率直にいって、これまで、自治基本条例については、自分なりにどうあるべきかという像が描けていなかったので、議会内で議論が行われていた際にもあまり積極的ではありませんでした。反省しています。
 しかし、昨年来の議会基本条例の制定に特別委員長として関わり、その後、議会基本条例について、所沢市に視察にこられる方々への説明、あるいは、全国市議会議長会研究フォーラムなどでの発表などを通じて、基本条例いかにあるべきか、について必要に迫られ重ねて勉強をしていくなかで、自治基本条例についてもいかにあるべきかという点がおぼろげながらに見えてきました。

 基本的には、本年9月に予定されている、議会への上程を待って議論をすべきでありますが、自分の考えをまとめる意味でも、自治基本条例がいかにあるべきかについて広く市民の皆様にも一緒にお考えいただきたいと思い、先日少し話し足りなかった点も踏まえて、書かせていただきます。
ただし、今回は、現状の議論をあまり踏まえずに書かせていただきましたので、既にそういった議論がなされているのでしたら、ご容赦ください。

基本条例の最大の役割は、徴税権力の抑制にあり

 いまなぜ自治基本条例が必要かを、2000年の地方分権改革に貢献した行政学者の方々の見解にしたがって整理すると、「国からの団体自治は、機関委任事務の廃止や、国地方等紛争処理委員会の創設などにより分権改革でほぼ成し遂げた。残るのは住民自治である。
 この住民自治は、住民が主体的に取り組んで欲しい。住民自治を本格的に実現するには、自治基本条例で自治のあり方を住民によって再定義して欲しい。」ということだと私は理解しています。しかし、一方で自治基本条例は、自治体の憲法ともいわれています。そうであるなら、行政学者の見解を超えて「憲法とは何か」から考えていく必要があります。
では、憲法は何のためにあるのか。通説に従えば、憲法とは、「憲法によって政治権力を拘束する」ものといわれています。その立場に立つなら、所沢市自治基本条例も、所沢市という地方公共団体(以下、所沢市という)の権力を抑制するということが、第一に重要な論点と思われます。 
なかでも一番抑制すべきは、税金を徴収する権力、つまり徴税権力です。日本に限らず徴税権力は強大です。ご承知の通り、国税徴収法により税金の取り立ては、民事とは違い、裁判によらず直接執行できることになっています。アル・カポネを刑務所に送り込
んだのも殺人などではなく、脱税の罪でした。ですから、脱税をした脳科学者は本来公共放送では即座にレギュラー司会者を降りなくてはいけないはずなのです。
1215年に王の権力を抑制する目的で英国で制定され、憲法の起源とされているマグナカルタ(大憲章)でも、第12条で王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができないと徴税権の抑制が定められています。第38条では、自由なイングランドの民は国法か裁判によらなければ自由や生命、財産をおかされないとしています。(ウイキペディア「マグナカルタ」より)  
マグナカルタでは、徴税権の抑制と並んで、個人の財産権の保障が憲法の重要なテーマとなっています。個人の財産権は、日本国憲法第29条にも保障されているところです。
 

経常比率制限条項を

住民による徴税権の抑制の例としてよく知られているのが、カリフォルニア州の州民が住民提案で成し遂げた「提案13号(プロポジション13)」と呼ばれるカリフォルニア州憲法改正提案です。ここではその詳細をご紹介することはできませんが、「固定資産税の最高額は時価の1%を超えてはならない、不動産に関しては、いかなる新税も認められない、市町村などの地方政府は地区有権者の2/3の承認がなければ特別の税を課することができない」などが提案されており、カリフォルニア州民の直接住民投票により特票率64.8%、得票総数400万票以上という圧倒的多数で可決されました。
 このカリフォルニアの例は極端ですし、日本では地方公共団体の課税自主権は制約されていますので、実際の自治基本条例では、徴税権力の抑制より、無駄遣いをさせない条項や、財政規律を所沢市に課するための条項の方が現実的でしょう。
 例えば、流山市の自治基本条例では、第23条5項(財政運営)に「市長は、歳入における市税の2割を超える地方債を発行する事業を実施する場合は、市民投票などの多様な方法によって必ず市民に意見を求め、その結果を尊重しなければなりません」と数値目標も掲げています。
 具体的には、流山市のように市債発行制限条項や、「歳出予算の経常経費比率が8割を超えてはならない」、といった条項を加えてもいいでしょう。どうしても所沢市に限らず行政は、施設の建設でも、維持管理コストを考慮しない体質が身にしみついています。本年竣工する中央公民館も図書館などと合わせ、なんと年間約5,000万円の維持費がかかることが議会で明らかにされました。これも建設にあたって、維持管理コストについての配慮があまりなされていなかったことの証左でしょう。
経常経費の抑制条項があれば、まさに経常経費の代表ともいえる、維持管理費にもより一層注意を払うようになるのではないでしょうか。
基本条例ということなので、8割という具体的数字は抜いて、経常経費比率を抑制することにつとめるものとする、といった表現でもかまいませんが。いずれにせよ、なんらかの経常経費に関する歳出抑制の条文は必要になるのではないでしょうか。

予算を伴う事業はすべからく条例にもとづくべきか

 もう一つの論点が、条例制定についての原則です。例えば、国の場合は米軍へのおもいやり予算を別として、一応法律の裏付けにもとづき予算が支出されています。
 ところが所沢市の場合、条例の裏付けのない予算事業が結構あります。例えば、高齢者介護をなさっている家族に対する手当は、条例に基づかず要綱によって支出しています。
これまでの代表的な考え方としては、市民に支出を求める、義務を課す、不利益となる、権利を制限する行為については条例を制定すべきであるということでした(侵害留保説)。
 本来的な意味での住民自治を求めるなら、権利制限以外についても条例化を図っていく方が行政の透明性が図られることになります。もっとも、予算事業すべてに条例の裏付けを求めるとなると、行政の機動性が失われる可能性も指摘できます。条例の量が増大して、どこに何が書かれているか探すのが大変になります。
 残念ながら、議会も通年議会ではありませんので、緊急な予算の執行のために、条例をいちいち可決して同時に予算を可決するというのでは、ちょっと大変です。
総合計画に位置づけられていない予算も多くあります。一般会計歳出の830億円のうち、総合計画に基づく支出が約300億円しかないことが議会で明らかにされました。
 ですから、「予算支出にあたっては、条例もしくは総合計画に基づくこと」という条項は検討されてもいいかもしれません。

より一層重要性をます情報公開

徴税権や税金の無駄遣いを抑制するために必要となるのが情報公開です。例えば、無駄使いを指摘しようにも、情報公開がなければ無駄使いの実態をつかむことはできません

情報公開は請求に基づき公開するという消極的な姿勢ではいけません。12月議会でも、平成17年度以前の行政評価表がかつてはホームページ上で公開されていたにもかかわらず、ホームページリニューアル後に削除されてしまったので、再公開を求めました。
 別に何か隠そうという意図はなかったのしれませんが、行政に関わる情報をしっかり記録することと、求めがなくとも積極的に公開していく姿勢が必要です。この点もなんらかの条項として明記する必要があるでしょう。
また、情報公開とセットで議論しなければならないのが個人情報保護の問題です。私は、個人情報保護以上に重要なのが、だれが個人情報を入手しようとしたかその記録を残すことがより一層重要です。住民票に記載されている事項などの住民基本情報は現在では情報システムで管理運営されています。技術的には、いつ、誰が、どの情報を入手しようとしたかを記録することが可能となっています。韓国では自分の個人情報を誰がいつどのように入手しようとしたかについての情報の公開請求ができるようになっています。
日本でも技術的には可能です。自治基本条例にも「自分の基本情報にいつ、誰が閲覧したか(アクセス)を知る権利があり、アクセス情報が入手できるよう環境を整備する」といった個人情報に対するアクセス開示請求を求める条項も必要になるでしょう。


よく執行部は「住民の行政サービス需要が増大している」と言いますが、どこでどれだけ、どのくらい行政サービス需要が増大しているかを把握するためにも情報公開は必須です。地方分権の進展に従い、これからは課税自主権も拡大していくことも予想されます。もしそうなった場合、場合によっては、カリフォルニア州のように、市民の直接請求によって、徴税権力を抑制する必要が出てくるかもしれません。そうなった場合も考え、やはり、ハードルを高くしても良いので、いちいち住民投票条例を可決しなくても一定の要件をみたせば住民投票ができるようにしておく必要があります。
そういう点からすると、いったいこの基本条例の制定を行政が主導して行うのが本来のあり方かという疑問もあります。しかし、日本国は大日本帝国憲法の時代から、プロシア憲法に範をとった欽定憲法であり、日本国憲法も大日本帝国憲法の改定という形をとっていますので、制定過程においての民主主義的正統性にあまり重きを置きすぎると、なかなか制定に結びつきません。
不都合な点が生じた場合は、住民投票で改正をしていくことで、自治基本条例の正統性が高まっていくという方法がいいのでしょう。そのためにも、住民投票が制度として担保されていることが重要です。

 考えてみれば、英国で1215年に実現できたことが、2010年、この所沢でできるようになったというのも不思議な感じがしますが、是非とも所沢版マグナカルタともいえる自治基本条例制定を実現させていきましょう。私もがんばります。

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