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官僚内閣制から国会内閣制へ

 昨年10月に出版された、法政大学名誉教授で政治学者の松下圭一氏の「国会内閣制の基礎理論」(岩波書店)をこの正月に読んだ。(全部じゃないよ)
 本の帯には、「官僚内閣制から国会内閣制へ」とかかれている。
 内容は、これまでに松下先生がおっしゃっていたことが中心となっている。
 「まえがき」がおもしろい。松下先生が唱えてきた官僚内閣制の転換が政権交代によって、その端緒についたことを受けて、その期待とよろこびと熱狂が文章にみなぎっている。

 最近では、官僚内閣制という言葉は、馴染み深い言葉となっている。たとえば、本日の朝日新聞2面、福嶋我孫子前市長のコメントでも「国政は政権交代でかわりつつある。議員が官僚と結びついた官僚内閣制から、国民の意思を反映させる本来の議員内閣制に近づこうとしている」と現状を分析しながら、述べている。
 やはり昨日の小沢一郎氏をゲストに迎えたTV番組、カンブリア宮殿でもしかり。まさに、官僚内閣制の打倒こそが、「無血革命」(昨日の同TV番組での小沢氏の発言)だったのだ。

 私も知らなかったが、この官僚内閣制という言葉を造語したのは、松下圭一先生だという。
 同書まえがきから、少し長いが引用しよう。「今日ではひろく使われている≪官僚内閣制≫という言葉を造語して、一九九八年、本書第8論考「官僚内閣制から国会内閣制へ」を書いた。時代の新しい課題は新しい言葉を必要とするからである。その後一〇年を経て、この予測はようやく≪政権交替≫をチャンスとしながら、(中略)日本の政治現実にのぼってきた。」
 
 ちなみに、所沢市だって、これまでは、議員と執行部との関係もプチ官僚内閣制であったといえなくもない。一番象徴的なのは、議場における議論である。
 議会制民主主義の本来の姿からすれば、特に本会議場での議論は、選挙で選ばれた市長と、議員のみのはずで、せいぜい議会の同意人事である、副市長や水道事業管理者までで、本来部長などは、地方自治法でいうところの市長の、補助機関にすぎない。(ちなみに日本国憲法でいうところの公務員というのも、公選職が前提である。)
 本来であれば、そういう意味からいっても、多少コストはかかっても副市長は3名ぐらいいてもいいと思う。しかも、地方自治法の改正(第153条、第167条)で、市長が権限委譲すれば副市長が最終的な責任者と位置づけることが可能になった。
 
 所沢市の姉妹都市である、韓国安養(アニャン)市も、部長席は、市長と議員に対して垂直に配置されていた。
 また、一般質問や議案質疑にしても、事前の意見交換は否定しないが、予定調和的な質問と答弁も改めていくべきであろう。やはり、特に本会議場においては、議員同士も含めて、政治家と政治家とのひたむきな議論がもっとなければならない。

 国政における、官僚内閣制から国会内閣制への移行に伴い、地方議会もますます執行部との関係をたとえば、議場における答弁の在り方を含めて変えていかなくてはいけない。

 

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