戦前と戦後の官僚機構の連続性について
以前紹介した、松下圭一法学論集「国会内閣制の基礎理論」(岩波書店)まえがきに、以下のように記述されています。
「敗戦後、ドイツでの直接占領方式とは異なり、戦前日本の行政機構・官僚組織を解体せず、これをつかいこなそうとしたアメリカ占領軍の間接占領方式のため、日本の戦争責任問題がアイマイになっただけではなく、日本国憲法制定後もいわゆる「戦後民主主義」の(外装〉にかくされて、戦前型の官僚内閣制は持続してしまった。」
この文章にふむふむと思っていたところ、今日の日経ビジネスオンライン「歴史の見る目のつくりかた」という記事での加藤陽子東大教授とノンフィクション作家山岡 淳一郎氏との対談でも同じような趣旨の発言があった。
以下引用
「山岡 ひょっとすると日本政府の中枢には、戦前からずっと同じ意識がつながっているんじゃないだろうか、ということです。我々はつい1945年、敗戦の年が1つの区切りになって、新しい体制ができたと思いがちですが、政府の中枢には、「重要な情報は、自分たちが握っておく。依らしむべし、知らしむべからず」という意識が連綿と続いていたのかなと」
これに対して
「加藤 その官僚という視点で切ると、田中角栄の「新しい人」ぶりがよく分かります。佐藤や岸や吉田がすべて戦前のエリート、外務官僚や通産官僚、満州国の官僚ですね。そういう人がやっているときに、彼は一からよじ登ってきた。彼が首相に就く1970年代まで、がっちりと日本の中枢を握っていたのは、やっぱり戦前からの総力戦体制官僚だった。 」
さらに
「山岡 そうですね。極端な言い方をすると、確かに軍隊はなくなった、天皇制も変わった、しかし官僚は生き続けたという。 」
結局、今回の政権交代の歴史的意義は、ここにおいてようやく戦前からの官僚機構の解体がやっと行われるということになるのでしょうかね。しかも、それが、田中角栄の一番弟子である、小沢一郎氏によって成し遂げられるという点に、歴史というものの凄味を感じざるをえません。