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人はなぜ学校で学ぶのか?

 ある同僚議員とお話をしてこの話題になりました。その議員のお知り合いの方が、いわれなきことで行政から被害を受けているということでした。

 その中身については語ることができないのですが、お話をお聞きした範囲でいえば、やはり、世の中のしくみ、というものについての理解が浅いと、被害者になってしまうということでした。

 もちろん、そうしたことが起こらないように世の中の制度を整えていくのが重要なのですが、それ以上に私たちも、よく世の中のしくみというものを勉強しておかなくてはいけません。
 つまり、騙されないように学ぶということが大事なのです。
 
 「砂と霧の家」というアメリカ映画の秀作があります。女性主人公が、税金の滞納を理に住んでいた家を追われ、それによって大きな不幸につながっていきます。

 この主人公が、もし行政のしくみについて理解が深ければ、その先の不幸が防げた可能性があります。そういう時には弁護士に頼めばよいという方もいるかもしれませんが、そもそも、それほど弁護士と接触する機会がない人間が初めて仕事を依頼する場合に、弁護士の良しあしを簡単に判断できません。

 「行政が間違いを起こさないだろう」「弁護士はあんなに難しい試験を受けて合格したのだから誰にお願いしても間違いないだろう」などという安易な考えでは、痛い目にあってしまうこともあります。

 司法とは正義の味方だ、という印象は、さまざまな冤罪事件を通じて必ずしもそうでもなさそうなことが理解されてきたと思うのですが、なかなか自分自身がトラブルに巻き込まれないとわからないとは思います。

 先ほどの映画でも、やはり弁護士に頼むのですがうまくいきません。しかも、苦境に陥っているときには、弁護士費用がなけなしのお金ということになり、さらに状況が深刻化していきます。

 本来であれば、弁護士も、医者のように、民事科 刑事科 行政科 のようにわかれているといいのですが、その弁護士さんにも得意分野があるようです。医者も難しい試験を経ていますが、やはり専門分野があるように、弁護士さんもオールマイティということはあり得ないはずです。

 いずれにせよ、やはり自分の身は自分で守るためにも、勉強はしっかりとしたほうがいいです。いや、学校ではそんなことについて直接学んだことはないぞ、といわれるかもしれませんが、たとえば、国語の授業で、しっかりと本を読む基礎を学べば、多くの知識が本からも得られます。
 
 日本の司法制度や裁判についての実態、本音を垣間見るには、副島隆彦氏と山口宏氏共著の「法律の秘密」「裁判の秘密」がお勧めです。

 勉強は、立身出世、つまりより高い社会的地位を目指すためのものと一面的にとらえられることもありますが、やはり「騙されないために」学ぶということを理解していただきたいです。もちろん、いいかげんなことを言っている政治家に騙されないためにもです。

 以前にもお話したことがあるかもしれませんが、ある勉強が嫌いだという女性と一緒に仕事をさせていただいたことがあり、その方に「勉強は人にだまされないためにするんだよ」と聞いてすごくびっくりされたことがあります。その後、その方は、その言葉で、初めて勉強する意味がわかったといきなり猛勉強をはじめて、さらに上の学校に自ら進学され、無事就職もされました。

 しかし、本来的には、社会が正直者がばかをみないようなしくみになっていることが、一番重要なのではありますが。
 

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