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「史」と「野」

 論語の雍也第六 16 に次の一節があります。

 子(し)曰(いわ)く、質(しつ)、文(ぶん)に勝(か)てば則(すなわ)ち野(や)、
 文(ぶん)、質(しつ)に勝(か)てば則(すなわ)ち史(し)なり。
 文質(ぶんしつ)彬彬(ひんぴん)として、然(しか)る後(のち)に君子(くんし)なり。

 諸橋轍次先生の中国古典名言事典によれば、「文は養って身につけたもの、すなわち後天的な修養で あり、質は天性の質朴誠実で飾りけのないものである。」

 史とは、今でいうインテリで、まあ、一種理性が本能に勝っている感じでしょうか。
 逆に野は、理性より本能が勝っているということになりましょうか。

 史は都会人、野は田舎者ともいえましょう。現実に、現在は田舎であっても田舎者は少なくなってきました。山形の山奥の集落でも子どもたちは携帯ゲームをしながら友人と歩いています。

 安岡正篤先生の「朝の論語」という書物の第6講に、この一節を解説した文章が載っています。
 安岡先生によれば、「文・質に勝って軽薄になるよりは、質・文に勝つほうが確かに望ましいことであります。」と述べられています。

 官僚はあきらかに「史」であります。一方で、政治家はやはり「野」でなくてはいけないと私は考えています。なぜなら政治家は決断をするのが仕事で、決断は論理的に積み上げていっても最後には「エイヤ」と決めなくてはならないからです。「エイヤ」と決めるのに必要になるのが直感力でしょう。直感力の源泉は質から来るものでしょう。

 もちろん一番いいのはその両者がミックスしていることだと孔子は述べているのですが。
 大変失礼ながら、党首討論をみていて、谷垣さんは大変優秀な「史」ではあるのだけど、「野」が少し不足気味かなと思い、かつて感銘を受けたこの一節を思い出したのでした。

 ちなみに、私が楽しみにしている日経ビジネスオンラインの特集「歴史を見る目の作り方」の今日のタイトルがふるっています。
 「アタマの良さより「ど根性」が、歴史を見るには必要です」

 「ど根性」 つまり 「野」ですね。歴史だけでなく政治家も「ど根性」ある人には勝てませんね。

 

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