細川元首相の「私の履歴書」を読んで
日本経済新聞 平成22年1月の「私の履歴書」は細川元首相が取り上げられている。本人が書いているのか記者がかいているのかはわからないが、当初の期待とははずれてあまりおもしろくない。
そもそも、細川元首相は、もうこういう場所には出てこずに、陶芸と農業に専念するのかと思っていた。それが、いまさらながらに登場して、じゃあ、もう最後の遺言とばかりに、「本当の話」をしてくれるのかと思ったら、意外な話はほとんどなく、新聞や雑誌に載っていた話をたんたんとなぞるばかりだ。
いよいよ政権交代も実現して、かつての政権交代で、予算を仕上げないままに、ずるずると自民党の政権復帰を許してしまった過去もこれで精算されて禊が済んだということなのだろうか。
それとも、日経として、細川元首相を「私の履歴書」として連載することで、それまで私から見れば政権与党よりだった日経が、現政権のご機嫌を取るための人身御供としての連載なのか。
確かに、現場で政治家からコメントを取る日経の記者にとってみれば、民主党の特に期数を重ねた議員との会話の糸口をつかむには「私の履歴書みていただけましたか」とか「今度、連載まとめてお持ちします」とか、近づく口実にはなるのかもしれない。
文中にもやたら小沢幹事長のことが出てくるのが気にかかる。当然、悪く書かれてはいない。どちらかといえば武村元大蔵大臣や村山元首相が批判的に書かれている。
それにしても笑ってしまったのは、あのボールペンをさす写真を再録したことだ。本当にあの姿が新しい政治を象徴しているとでも本気で思っていたのだろうか。
政治から引退して、晴耕雨読、陶芸の日々を送り、政治的な発言を一切しないことにそれなりの好感をもっていたのだが、今ここにきて、このタイミングで登場するのはどういうことなのだろうか?
民草には理解しにくい人だという印象を改めて抱いた。