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 地殻変動の地方自治 ②

 昨日に引き続き、自治体学関東フォーラム2010の報告です。

 金井先生の基調講演ののち、パネル討論に移りました。
 ファシリテーターは大森 彌 東京大学名誉教授
 パネリストは、福嶋浩彦前我孫子市長 当麻よし子所沢市長 青山彰久 読売新聞編集委員
 コメンテーターに松本武洋 和光市長

 やはり、おもしろかったのは大森先生のパネリストへのするどい突っ込みでした。
 でも、かつて所沢市民でもあり、古くから当麻市長の知り合いだった大森先生は、当麻市長にはあまり突っ込みませんでした。大森先生から当麻市長には、「総合計画必要なの」という問いに、「職員の動機付けにはいいのではないか」という答えでした。

 ひとしきり、金井先生の基調講演に対して、激励とも揶揄ともなんとも判断のつきにくいコメントののち、本題に入っていきました。

 以下、時系列に沿ってではなく、論議が盛り上がった話題ごとにそのやりとりを振り返ってみます。

 住民と市民の違いについて

 福嶋先生が市民という言葉を使うことについて、大森先生が市民とはなんぞやと問いかける。市民とは、近代市民社会によって生まれた概念と応ずる。でも、市民というのは法律的には定義がはっきりしていない。憲法は国民、地方自治法は住民。だから私は市民という言葉を意図的に使わないようにしてきたと大森先生。しかし、パネルの最後のまとめ部分で「最近は、熱心に公のためにがんばっている少数の住民を「市民」と読んでいいのかな」と思っているとのことでした。
 
 地域主権の主権について
 大森先生が、「地域主権という表現は憲法から見て適切な表現とは言えないのではないか」と疑問を呈していました。確かに、主権概念というのは、国家の最高権力だからそれが地域主権という場合は、地域に最高権力があることになる。となると、地域主権ということは、地域が自衛権も有することになってしまう。憲法上は問題があるのは事実では。
 大森先生は、「民主党の地域主権法という名称は内閣法制局が許さないのではないか」という見解を示す。福嶋先生は、「地域主権とは、地方分権とは、あくまでも国家権力の配分というイメージ。その点、地域主権といった場合、(EUの地方自治憲章のように)、地域からの積み上げで、補完性原理によって、積み上げられていくイメージを表す言葉ではないか」という。

 実は、同じ質問を地域主権型国家を提唱するPHPのある方にも以前投げかけたことがある。その方は、だから地域主権「型」と「型」という言葉を入れているんですよ、とのことであった。なるほど。

 道州制も、地域主権をベースに考えるのは憲法との整合性がとれないのではという議論があるが、松下幸之助さんは、廃県置州というときには、常に憲法の改正も視野に入れて議論をしていました。連邦制に近いこと、つまり通貨まで別にしようということも構想していました。


 住民は、よい政治であればどっちでもいいのではないか

 今回、もっとも印象に残った言葉。ジャーナリストの青山さんから発せられた。それに対して、大森先生は、「じゃあ、青山さんはそれでいいの」との問いに、「いいわけではないけど、住民は実際そう思っているという人が多いという視点は忘れてはならないということです」と答えていた。

 実に、刺激的なフォーラムでした。

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