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 首長の専制化と議会

 つくつぐ、首長の権限は強いなあと実感しています。今回の予算案でもいくつかの予算は、これまでの議論の積み上げを無視して、唐突に出てきたといわざるを得ないものがあります。

 例えば、パークゴルフ場整備事業、美原中のグランド改修事業など、それまでの優先順位づけとは別に横紙破りのように予算計上されました。 もちろん、この二つの事業ともに必要度が高いことも認めますし、地元や関係者の要望も強かったことは理解しています。しかし、同じような重要度の高い事業もあるわけで、しかも、この2つの事業は市長マニフェストにも記載されていません。
 新しい試みに挑戦するのは決して悪いことではないのですが、この2つに、昨日も報告した総合福祉センター暫定利用を加えた3つは、特定のグループや特定の議員に対する利益供与的な色合いが強い印象です。当麻市長も選挙を意識してきたのでしょうか?
 その点については、また議会での中継や議事録を見て確認してください。
 (パークゴルフ場整備事業については、中村議員の議案質疑を、美原中のグランド整備についてはくわけんの先議分の教育福祉常任委員会議事録をご確認ください。)
 
 昨日も報告したように、商工会議所移転後の総合福祉センター整備にむけた暫定利用の決済も、地方自治法に抵触する可能性がきわめて高い決済書でありなが、おそらく市長以外の職員は何も言えない
んでしょうね。今回はたまたま表に出てきたので、問題にすることができました。

 いくら首長であってもやはり法律や条例などのルールに抵触しない範囲での決済が重要です。

 当麻市長は、利権を漁るという気配もないし、議会に対して圧力を加えるということもあまりありません。そういう点は大変評価しています。しかし、今年度予算では、少し専制的(上に立つ人が独断で思うままに事を処理すること)になってきた印象があります。

 専制的になってしまうのは、一部の住民の方の意識も、私を含めた議員にも問題があります。結局、市長はその地域にとっては大統領であり、お願いする住民の方も市長に「私の願いを聞いて下さいね。市長」というように陳情に行きます。
 市長も、そうやってお願いに来られると満更でもなく、時によっては「はいはい、つけましょう」となるのでしょう。私も、何度か市長陳情のお手伝いをしました。

 こういった現象は、水戸黄門症候群とでも言っていいのかもしれません。水戸黄門は司法権も、水戸藩以外、ましてや外様大名の領地においては、行政権も行使できないのに、印籠をみせるだけで、司法権と行政権を行使しています。
 トランプで言えば、ジョーカー(ババ)カードを持っている感覚になってくるのでしょう。
 つまり、いつの間にか市の施設や住民の税金から成り立っている予算を自分のものと勘違いし始めてしまうのでしょうね。

 議会とは、まさに市長が市の資産や予算について、あたかもジョーカーカードが切れるがごとく振る舞うことをさせないための監視役であり、民主主義装置でもあるのです。

 ところが、なぜか、大阪府の橋本知事や名古屋市の河村たかし市長への住民の方々への大きな支持率を見ると、実は民主主義より専制が好きなのかなあと思ってしまいます。よく言えばリーダーシップの発揮なんでしょうけど、悪く言えばこれは独裁であり専制なんですね。まあ、制度設計としては、大統領制や日本の首長制度は、期限付き独裁やを認める仕組みといえなくもないのですが。

 なぜ、二元代表制が採用されているかといえば、大統領制、つまり独裁者である市長などの首長の権力が予算提案権の独占など、強大であるため、その濫用をチェックするために、議会をおいているのです。

 ところが、戦後は、首長と議会の一種の談合関係が存在し、首長独裁を助長してきました。
 経済右肩上がりの時代はそれも可能だったわけですが。

 ここにきて、議会ばかりが「だらしない」、とか「活動が見えない」とか言って糾弾されますが、首長がそもそも、議会を談合に巻き込んだからこそ議会と首長との談合が生まれた訳で(議案への反対を職員総動員で阻止する、恫喝する、反対した場合は、同僚議員も一緒になって干すなど)、その責任の一端は明らかに首長側にもあるわけです。ところが、首長はその点について殆ど糾弾されていないという不公平な現実があります。
 
 幸い、当麻市長は、議会に対してあまり圧力を加えないので、議会も基本条例の制定など活性化しているのですが、やはり首長が本気になって圧力を掛けてくれば、なかなか議会は対抗できません。
 私の訪問した千葉県のある市でも、市長選で応援しなかった議員には、市長命令で職員は陳情を受け付けてはならないとされているそうです。

 こうなってくると、やはり議員もどれだけ組織的な応援から距離を置いて当選できるかが重要になってきます。やはり組織や団体を後援者として抱え、その組織のために働かなくていけないとなると、どうしても追及の矛先は鈍ってきます。しかし、一方で組織や団体の応援がないと当選はおぼつかない。
 この微妙な二律背反に打ち勝っていくしか、首長専制には対抗できないと新ためて思った次第です。
 

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