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札幌市議会で学んだこと②

 昨日に引き続き報告です。
 さて、報告後、所沢市議会に視察にいらっしゃった札幌市議会議員さんに一席設けていただき、さらに本音の意見交換をさせていただきました。
 私がお酒を飲めないことを随分気を遣ってくださいましたが、大丈夫、飲まなくても酔ってますから。

 出席いただいたある議員さんから、「議会基本条例を通じて、別の議会との情報交流の機会が進んだのではないですか?」と聞かれました。
 確かに、議会基本条例のおかげで、視察にお伺いした際にも、視察に見えられた際にも、地方議員の方々と議会のあり方を巡って、意見交換をさせていただき、他の議会の素晴らしい事例を学ぶ機会が多くありました。
 私の手元にも、全国の地方議員の名刺が、この1年で厚さが数センチになっています。
 これまでの議員の視察の場合、議会運営委員会の視察でなければ、視察の相手方はたいてい執行部の担当職員になります。ところが、議会基本条例の場合は、私たちも議員が対応しますし、訪問した場合も議員に説明いただく機会がほとんどです。
 ここで、気づいたのが、議会基本条例の制定がもたらしたもう一つの大きな成果です。議会基本条例の制定が相次いでから、およそこれまでにはなかったような地方議会議員同士の議会のあり方を巡る情報交換が、すさまじい勢いで進んでいるということです。

 これまで地方議員の世界は、それぞれの議会内でも、議員同士の連帯(立場の違いを超えて、手を結べる点は手を結ぶ)を阻害され、首長側から分割統治されていたと私は分析しているのですが、議会基本条例を通じて、不十分ながらも、議員同士が連帯することによって、対首長、対執行部に対して議会力が向上しつつあります。
 そのことには気づいていたのですが、なるほど、いまやその連帯の構造は、一地方自治体内にとどまらず、広く、会派や党派を超えた地方議会間の連帯への発展しつつあるということです。
 なぜなら、共通の話題としての「議会基本条例」が出現したためです。つくづく、議会基本条例を発明していただいた、栗山町議会と神原先生に感謝です。

 これまで、議会の議事運営などについての解釈権は、たとえば市議会であれば市議会議長会が独占してきた印象があります。
 所沢市議会の場合も事務局が、議事運営で何か疑問が生じた際に訪ねる先は、市議会議長会だったようです。私たちも、議事運営上文句があっても、市議会議長会がそういうふうに解釈するなら仕様がないとあきらめたものでした。   
 しかし、直接全国の議会の議員さんと交流をすることで、私たちの想像の範囲を超えて、議会運営については、バリエーションが存在することを知りました。
 先日も、東京都港区議会では、本会議には原則は区長と副区長など公選職とそれに準ずる方々しか出席しないことがわかりました。
 おそらく、市議会議長会は、様々な議会運営のバリエーションについては把握されているとは思うのですが、質問があったらそれぞれの議会に対して他の事例を紹介することはあっても、組織として聞かれもしないことを積極的に公開するということはあまりなかったように思えます。
 ただ、最近は変化も出てきていて、全国市議会議長会研究フォーラムという催しを開催していただいています。昨年の金沢では私も議会基本条例について報告させていただきました。
 なんと、全国の市議会議員の約1割、2千人が参加する催しとなりました。このフォーラムでも、他の市議会の議員さんとの交流が図られました。
 
 一方で油断してならないのは、名古屋市の河村市長に代表される地方議会簡素化論です。
 河村市長に関しては、現時点ではむしろ、地方議会の危機感を高めていただいた点では、議会改革の最大の功労者ともいえます。
 河村市長と名古屋市議会の戦いによって、今年は議会基本条例制定の動きが少し沈滞してしまうのではないかと予想していたのですが、議会改革、議会基本条例制定は、むしろ加速するかもしれません。

 それから、もう一つ。これもその酒席で出た話題なのですが、「議会基本条例」という名称にこだわる意味があるのか、ということです。
 つまり、それぞれの議会ごとに同じ議会基本条例であっても、力点の置き方がちがっています。だとするなら、別に議会基本条例という名称にこだわる必要はないのではないかということです。私もうろ覚えなのですが、所沢市議会議会基本条例制定過程においても、条例名称の議論をしたような記憶がかすかにあります。
 所沢市議会であれば、市民の皆さんの参加に力点をおいていますから、もしどうしてもオリジナルな名称にこだわると言うことなら、「所沢市議会への市民参加を促進させる条例」という名称であってもよかったかもしれません。
 条文には、基本的な事項を定める条例と書き込んでしまえばよいのですから。むしろ、以前ご紹介した、西尾勝先生の講義では、「国は基本法を乱発しすぎではないか」という問題提起もなされていたぐらいですから、基本という言葉にこだわりすぎて、条例制定に支障を来すようであれば、むしろ基本という言葉を外して、実質的に議会基本条例が目指すものを含めた条例を検討する必要もあるのかもしれません。

 いつもながらに、お話させていただく方がむしろ勉強させていただいた札幌市議会訪問でした。関係者の皆様方大変お世話になりありがとうございました。

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