被災地支援(茨城県高萩市)に行ってきました②
②現地入り編
17日朝5時30分、板橋区のスーパーよしやさんの物流センターでくわけんと加藤さんが合流。スーパーで、支援の食料を積み込み現地へ出発。タンクローリーとドラムカンを乗せた20トントラックは、別ルートで現地へ。ちなみに20トントラックは、三和石産の中田泰司社長自らの運転で、現地まで向かいました。千代田PAで合流し、現地に。
水戸からは緊急車両のみの通行となるため、通行証を検問で提示。道路は、既に応急修理がなされていた。途中、片側一車線の部分があったり、おおきな段差があったりしたが、東京からほぼ3時間で高萩市に到着。まずは高萩市役所に向かい、ここで、ドラムカン5本を降ろし1000リットルを給油。また、1000リットルの給水所に利用するポリタンク2個も降ろした。ここで、ある職員の方から「もうポリタンクはいらない」とのことでしたが、よくよく聞いてみると「午後には来るはずだが、現在はまだ届いていない」とのこと。「本当に届くかどうかわからない」とのことでしたので、当初の予定通り、置いていくことにしました。
市役所の敷地の一角には、前日「日本を創新する会」によって運び込まれた食料などが堆く積まれていました。
前日、運び込まれた救援物資
よしやさんからご支援いただいた、食料とサランラップは市民体育館へ運搬。軽油と残りのドラムカン15本は、消防署へ運搬。
市民体育館では、自衛隊が給水活動を行っていました。
16日時点では、「軽油を保管する方法がないので、ドラムカンも持参して欲しい」という事でしたが、消防署には1500リットル入タンクがあることが判明。また、実際に消防署は軽油がほとんどなく、消防車が活動できない状態でした。救急車はガソリン対応で、ガソリンもほとんどないという状態でした。
最後に、高萩市役所に合流し、草間市長から被害状況の説明を受けました。昭和35年に建設された高萩市役所は震災による被害のため立ち入り禁止になっていました。
草間市長から説明を受けるくわけん(一番右)
念のためヘルメットをかぶって市長室などを草間市長に案内していただきました。市役所に隣接する施設も、ほとんど使えないということで、市役所機能を比較的最近できた総合福祉センターへ移さざるを得ないだろうということでした。「耐震補強はしていなかったのか?」と聞いたところ「来年度予算で耐震診断を行う予定でした」との答えでした。
役所の中枢機能がほとんど壊滅してしまったことに大きな衝撃を受けました。
市役所別館も甚大な被害
帰りは、行きと違い、いわきナンバーの乗用車を数多く見かけました。多分福島の緊急避難地域から待避された方々のようで、料金所で、私達の車両同様、料金徴収を免除されていました。
常磐道を走る一般車