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2010年03月29日

 札幌市の監査のページ

 札幌市のホームページを見ていたら、監査のホームページに行き当たりました。
 札幌市の監査

 なかなかよくできているのと、政令指定都市ですから当たり前ですが、包括外部監査の結果も掲載されていたので、包括外部監査ってどんなことをするのかの参考になるのでこちらも見てみてください。

 ちなみに、所沢市の監査のページも秘かに充実しています。
 所沢市 監査
 こちらもご覧ください。
 特に、「市民からの監査請求」というところに、監査請求の手引きや様式が載っています。
 
 ただ、これだけでは、いきなり監査請求は難しいでしょうね。

 こういう場合は、やはり札幌市の「監査の結果」→「住民監査請求監査」の監査報告書をみますと、「請求の要旨」という部分を参考にすると、請求の書面作成の参考になると思います。
 
 所沢市も札幌市のように不受理したものも含めてその結果もホームページにアップしていただきたいものです。

 

2010年03月28日

 札幌市の予算の概要

 札幌市議会を訪問した際に、札幌市の平成22年度 予算の概要という冊子をいただきました。
 詳細は、札幌市の平成22年度予算 をご覧ください。

 大変、よくできた予算の概要です。

 翻って、わが所沢市は、当麻市長が「市民向け財政レポートの発行」をマニフェストに掲げています。
 市長のマニフェストの自己評価である通信簿によれば、この項目については『平成19 年度から「所沢市の財政事情」を半期ごとに年2 回、「財政トークス」を年1 回以上、及び「バランスシート・行政コスト計算書」「所沢市の財政のツボ」「中長期財政計画」について、冊子及び市ホームページで公表。引き続き、よりわかりやすい情報提供に努めていく。』とあり、「達成」となっている。
 でも、ここに掲げられた項目は、別に、当麻市長就任以前からやっていたことばかりで、それで「達成」といわれても、という気分です。むしろ、住民としては、やはり、この札幌市が作成しているような「予算の概要」を求めているのではないでしょうか。

 さらに、札幌市の秀逸な点は、予算編成過程を公開している点です。
 この点については、少なくとも改革派市長を標榜するなら、やって当たり前と何度も指摘していることです。
 例えば、札幌市の平成22年度予算の編成過程というページをご覧ください。
 「平成22年度予算要求の概要(平成21年11月20日公表)」が掲載されています。
 ここでは、各局ごとの平成22年度に向けた重点項目が掲げられいます。

 部長マニフェストも結構ですが、むしろ部ごとの重点項目を掲げていただくことのほうがよっぽどありがたいです。
 私も来年度へ向けて、札幌市並みに所沢市もなるように一般質問等で働きかけていきます。

 
 
 

2010年03月27日

札幌市議会で学んだこと②

 昨日に引き続き報告です。
 さて、報告後、所沢市議会に視察にいらっしゃった札幌市議会議員さんに一席設けていただき、さらに本音の意見交換をさせていただきました。
 私がお酒を飲めないことを随分気を遣ってくださいましたが、大丈夫、飲まなくても酔ってますから。

 出席いただいたある議員さんから、「議会基本条例を通じて、別の議会との情報交流の機会が進んだのではないですか?」と聞かれました。
 確かに、議会基本条例のおかげで、視察にお伺いした際にも、視察に見えられた際にも、地方議員の方々と議会のあり方を巡って、意見交換をさせていただき、他の議会の素晴らしい事例を学ぶ機会が多くありました。
 私の手元にも、全国の地方議員の名刺が、この1年で厚さが数センチになっています。
 これまでの議員の視察の場合、議会運営委員会の視察でなければ、視察の相手方はたいてい執行部の担当職員になります。ところが、議会基本条例の場合は、私たちも議員が対応しますし、訪問した場合も議員に説明いただく機会がほとんどです。
 ここで、気づいたのが、議会基本条例の制定がもたらしたもう一つの大きな成果です。議会基本条例の制定が相次いでから、およそこれまでにはなかったような地方議会議員同士の議会のあり方を巡る情報交換が、すさまじい勢いで進んでいるということです。

 これまで地方議員の世界は、それぞれの議会内でも、議員同士の連帯(立場の違いを超えて、手を結べる点は手を結ぶ)を阻害され、首長側から分割統治されていたと私は分析しているのですが、議会基本条例を通じて、不十分ながらも、議員同士が連帯することによって、対首長、対執行部に対して議会力が向上しつつあります。
 そのことには気づいていたのですが、なるほど、いまやその連帯の構造は、一地方自治体内にとどまらず、広く、会派や党派を超えた地方議会間の連帯への発展しつつあるということです。
 なぜなら、共通の話題としての「議会基本条例」が出現したためです。つくづく、議会基本条例を発明していただいた、栗山町議会と神原先生に感謝です。

 これまで、議会の議事運営などについての解釈権は、たとえば市議会であれば市議会議長会が独占してきた印象があります。
 所沢市議会の場合も事務局が、議事運営で何か疑問が生じた際に訪ねる先は、市議会議長会だったようです。私たちも、議事運営上文句があっても、市議会議長会がそういうふうに解釈するなら仕様がないとあきらめたものでした。   
 しかし、直接全国の議会の議員さんと交流をすることで、私たちの想像の範囲を超えて、議会運営については、バリエーションが存在することを知りました。
 先日も、東京都港区議会では、本会議には原則は区長と副区長など公選職とそれに準ずる方々しか出席しないことがわかりました。
 おそらく、市議会議長会は、様々な議会運営のバリエーションについては把握されているとは思うのですが、質問があったらそれぞれの議会に対して他の事例を紹介することはあっても、組織として聞かれもしないことを積極的に公開するということはあまりなかったように思えます。
 ただ、最近は変化も出てきていて、全国市議会議長会研究フォーラムという催しを開催していただいています。昨年の金沢では私も議会基本条例について報告させていただきました。
 なんと、全国の市議会議員の約1割、2千人が参加する催しとなりました。このフォーラムでも、他の市議会の議員さんとの交流が図られました。
 
 一方で油断してならないのは、名古屋市の河村市長に代表される地方議会簡素化論です。
 河村市長に関しては、現時点ではむしろ、地方議会の危機感を高めていただいた点では、議会改革の最大の功労者ともいえます。
 河村市長と名古屋市議会の戦いによって、今年は議会基本条例制定の動きが少し沈滞してしまうのではないかと予想していたのですが、議会改革、議会基本条例制定は、むしろ加速するかもしれません。

 それから、もう一つ。これもその酒席で出た話題なのですが、「議会基本条例」という名称にこだわる意味があるのか、ということです。
 つまり、それぞれの議会ごとに同じ議会基本条例であっても、力点の置き方がちがっています。だとするなら、別に議会基本条例という名称にこだわる必要はないのではないかということです。私もうろ覚えなのですが、所沢市議会議会基本条例制定過程においても、条例名称の議論をしたような記憶がかすかにあります。
 所沢市議会であれば、市民の皆さんの参加に力点をおいていますから、もしどうしてもオリジナルな名称にこだわると言うことなら、「所沢市議会への市民参加を促進させる条例」という名称であってもよかったかもしれません。
 条文には、基本的な事項を定める条例と書き込んでしまえばよいのですから。むしろ、以前ご紹介した、西尾勝先生の講義では、「国は基本法を乱発しすぎではないか」という問題提起もなされていたぐらいですから、基本という言葉にこだわりすぎて、条例制定に支障を来すようであれば、むしろ基本という言葉を外して、実質的に議会基本条例が目指すものを含めた条例を検討する必要もあるのかもしれません。

 いつもながらに、お話させていただく方がむしろ勉強させていただいた札幌市議会訪問でした。関係者の皆様方大変お世話になりありがとうございました。

2010年03月26日

札幌市議会で学んだこと①

3月26日、札幌市議会で、所沢市議会の議会基本条例を制定した経験をお話させていただきました。議会基本条例ミニシンポジウムの様子を紹介する動画を作成し、これまでのプレゼンテーションも一新して報告させていただきました。冒頭では、同じ政令市である名古屋市の河村市長の暴走に対抗するために、名古屋市が議会基本条例を制定し、活用している事例も紹介させていただきました。札幌市議会はまだ会期中ということもあり、多くの市議会議員の皆様にご参加いただきました。
 何しろ、札幌市といえば、政令指定都市であり、北海道旭川市出身の私にとっては、子どものことは、「都会」とは札幌のことでした。(東京は外国だった)
 そういう点からも大変緊張しましたが、いまさらかっこをつけてもしょうがないですし、所沢市議会が経験したことを素直に飾らずお話をさせていただくしかないと思いを定めて、報告いたしました。
 報告内容の評価は、参加していただいた皆様にお任せするとして、私が、学ばせていただいた点についてまとめてみました。

 報告後の、議会事務局との方との懇談で、所沢市議会基本条例の第12条2「議長は、市長等に対する本会議等への出席要求を必要最小限にとどめるものとする。」について質問いただきました。執行部の出席抑制について局長さんから、「所沢市議会の委員会での対応はどうなっていますか?」と聞かれたので、「とくには考えていません」と答えました。局長さんは「委員会こそ、本来は、議員同士の議論が基本で、だから机の配置も議員同士が向き合う形になっているのですよね」とのことでした。正直、私も全然気づかなかったのですが、確かに所沢市議会の委員会室は、議員席がコの字型に配置されており、執行部席は、議員席とは垂直に向かい合わない形で配置されています。ちなみに、今回報告させていただいた札幌市議会の会場は、委員会室でした。札幌市議会の委員会室は、机の配置が、ちょうど本会議場と同じように、執行部側と議員側が対峙する形で机が配置されていました。これについては、これまでの様々な経緯でこういう形になっているとのことでした。
 特に札幌市議会は予算については予算特別委員会が審議することになっているので、そういう点からすれば、便利な配置であると思いました。
 所沢市議会も期せずして、委員会での議員発議による自由討議を行えるように議会運営委員会で決定しましたが、今回教えていただいた本来的な委員会のあり方からしても悪くない選択であったことを教えていただきました。
 逆に、今回も共産党さんから条例修正案が提案され、本会議場で議員同士の議論になったのですが、本会議場は、議員が一斉に執行部と対面する議場配置になっているんで、自由討議には向かない構造であることを再認識させられました。今後は、本会議場で議論する場合には、自席ではなく、別途、議員席と執行部席にあらたに、対面する席を設ける、あるいは、本会議場も、U字型で、議員同士が対面する形に変える必要があるようです。
 議会にとっては運用も重要ですが、それ以上に、議場や委員会の机の配置も重要であることを改めて認識させられました。

2010年03月23日

 改めて議員年金について②

さて、ここで、年金制度見直し案がいくつか出されていますが、制度存続は限りなく不人気かつ非現実的かつ問題先送りにすぎないので、廃止案だけご紹介しましょう。

 国の案では、一時金は掛け金の63%支給というもので、市議会議長会は80%支給という案です。私としては、当然80%支給に賛成です。実質、80%支給といっても、地方公共団体負担金分を加え、さらに地方公共団体負担金分を、地方公務員共済の雇用者負担金と比例して考えると、80%であっても、実質掛け金の40%に過ぎないからです。

 この80%の根拠は、国会議員年金制度廃止時に、やはり掛け金の8割を一時金として支払った経緯から来ているのでしょう。そもそも、市議会議員共済は市議会議員には自己決定権はほとんどありません。なぜなら、議長しか、共済会の役員になれないからです。法律は国会議員が決めています。
 もし、国会議員は自分たちはお手盛りで、8割返させたのに、市議会議員は63%で我慢しろというのは、憲法で定められた法の下の平等にも反しますし、ちょっと納得できない議論ですね。

 いずれにせよ、私たちのような年金受給資格のない議員より、受給資格のある方にとっては事態は深刻です。かつては、支給開始年齢も55歳からだったこともあったようで、現にどこかの市長さんもすでに市議会議員年金をもらっているとかいないとかという噂も聞こえてきます。問題はすでにもらい始めた方はまだしも、65歳に達していない受給資格者は、そんなことであれば、かつての利子の高い時代であれば、掛け金をかけずに自分で運用させてくれていれば、という声も聞こえてきそうです。
 
 それから、「財政悪化の責任をとって、一時金もすべて没収せよ」という意見の方もおられるとは思いますが、そもそも強制加入で、かつ離脱が現実的に許されない状況であり、法律に基礎を置く共済ですから、法治国家としては、それは、現実的に無理ですし、強行すれば訴訟が乱立します。
 一言でいえば財産権の侵害にあたり、憲法違反です。

 実は、同じ地方議員共済でも都道府県議会共済はまだ制度が安定しています。なぜなら、都道府県は合併がなかったからです。いわば、国が進めた平成大合併の副産物ともいえるこの問題。合併による財政削減効果も大きかったといわれているのですから、その分は国税を投入せざるを得ないでしょう。

2010年03月22日

 改めて議員年金について①

 埼玉県のある団体から議員年金についての是非を問うアンケートが送られてきました。早速回答して返送させていただきました。
 この機会に、議員年金について、何か議員の特権であるかのごとく誤解している方々も多いので、あらためて私の考えと、議員年金について紹介いたします。

 まず、私は議員年金は即刻廃止していただきたいという立場です。
 おそらく、期数の浅い議員は誰しもそう思っているのではないでしょうか。

 議員年金の詳細は 地方議会議員年金のあらましを見ていただくとして、かいつまんでご紹介いたします。

 年金の方式としては、現役世代が受給者分を負担する賦課方式と自分たちが積み立てた原資を年金としていただく積み立て方式があり、市議会議員年金は前者にあたります。
 現役世代が受給世代を支えるためには、受給者が少なく、現役世代が多くなくてはなりませんが、「平成の大合併の急速な進展に伴い、大幅な議員数の減少と年金受給者の増加で、1人の会員が3人の受給者を支える極めて不均衡な状態」(市議会議長会 市議会議員年金財政に対する緊急要望 より)にあり、制度の破たんは目前です。

 それで、様々な年金改革案が提出されているのです。
 ここで、いちおう制度がこのまま存続するとして、議論を進めます。
 私が議員年金をもらうためには、12年間市議会議員をしなくては受給資格は発生しません。
 12年というと、1期4年で3期なのですが、私は市議会議員の公職選挙法違反に伴う大量逮捕及び辞職による補欠選挙で当選したので、1期目は3年しか議員ではありませんでした。
 ということは、私の場合、受給資格を得るには4期努めなくてはなりません。3期目の当選もおぼつかないおじさん非イケメン議員(?)としては、4期など夢のまた夢の世界です。
 では、たとえば、仮に2期目で議員を終えるとした場合、年金はどうなるのでしょうか。続けて市議会議員にならない場合、一時金を請求できます。7年在職の場合は、
 「在職期間が4年をこえ8年以下の場合 」「在職期間に係る掛金総額の100分の57 」の一時金が支給されます。つまり、掛け金はほぼ4割は没収です。おっと、現在の受給者に支払われます。

 現在、私は月89,600円の掛け金を支払っていますが、この額に57%をかけると、51,072円裏返すと38528円は、ほぼ確実に取り戻せない額です。いわば税金と思ってあきらめています。

 本当であれば、この6年で、約630万円支払っていますから、市議会議員年金から離脱したいのですが、事実上できない仕組みになっています。徳島県小松島市も一旦支払いを拒否しましたが、その後復帰しています。
 なぜなら、「地方公務員等共済組合法」により「すべての地方議会議員を対象とした強制加入の公的年金制度」(市議会議長会)だからだそうです。条文には明確に記されているとは思えないのですが。
 
 最大の理由は、もし議員が離脱すると議員の共済金だけでなく、付随して所沢市が支払っている、「地方公共団体の負担金」も共済会に入らないからです。この負担金が、驚くなかれ、月92,400円。議員の負担分より多く支払っているのです。
 ここで、早とちりされては困るのは、議員がもらえる年金や一時金の掛け金総額には、この「地方公共団体の負担金」分は含まれませんからご注意を。
 まあ、ここの部分を誤解して、「特権だ」と叫ぶ人がいますが、この地方公共団体負担金分は何度もいいますが、制度運営のための協力金であり、議員個人の掛け金補助ではないことをご理解ください。

 平成21年度で、所沢市は総額約3700万円を共済会に支払っています。ですから、もし市議会議員年金が廃止されるだけで、約3700万円が財源として浮上してきます。

 

2010年03月20日

 地方議会で否決、修正が相次いでいる

 この3月定例会では、全国的に市長の出してきた予算案や条例案に対しての否決や修正が相次いでいます。
 近隣だけ見ても、3月16日、埼玉県ふじみ野市議会では、市長が提案した3期12年に任期を自粛する多選自粛条例がふじみ野市議会によって否決され、埼玉県富士見市議会では、17日、市長給与の減額のための条例改正案が否決されました。

 また、千葉市でも、19日予算の増額修正案が可決しています。増額修正は地方自治法第97条でも認められています。しかし、私の知っている範囲でも政令市で、増額修正というのはあまり例がないようです。

 首長は、否決された後に、地方自治法第176条に基づき、再議請求をかけることができます。
 再議に付された場合は、今度はハードルが高くなり、議会側は、3分の2で再可決しなくてはなりません。

 今回紹介した3市でも、再議には付さないようです。しかし、いずれにせよ、市長の議会に対する優越性は、この第176条に表れていると言えます。

 多選自粛については、所沢市議会もかつて反対した経緯があります。ふじみ野市の多選自粛の場合は、本人に限らず、今後ずっと多選自粛が定められている条例案でした。一方所沢市の場合は本人限りの多選自粛だったため、3月12日付け埼玉新聞の表現をお借りすると、「『当麻市長に限るのなら条例化の必要はない』、『選挙対策のパフォーマンスにすぎない』と批判的な意見が相次いだ」ことが原因となって否決されました。
  その後のさいたま市でも、昨年、清水市長の本人限りの多選自粛提案は否決されました。

 これらの現象を、議会のいじわるとみるか、あるいは、いよいよ議会も自分達の存在意義をかけて、ようやく動き出したとみるか、意見の分かれるところでしょう。私は、後者だと思います。

2010年03月19日

 泥棒が番犬を選ぶ?!(包括外部監査が継続に)

 今回の所沢市議会定例会において、包括外部監査制度を設けるための条例が、わが会派も賛同して継続審議となりました。このことが、なぜか、マスメディアの皆さんを刺激したようで、久方ぶりに、ある中央メディアの記者の方も、わが会派控室にいらっしゃいました。

 その記者の方の見立てによれば、そもそもこの包括外部監査制度が気にいらない職員(制度推進を進めている職員が気に入らないということか?)の一部が、議員をそそのかして継続にさせたという。
 議員も随分と低く見られたものです。

 わが会派が継続に賛成した、というより、諸手を挙げて賛成とならなかった理由はいくつかあります。

 まずは、表題にあるように、包括外部監査には、それほど期待ができないという点にあります。

 「泥棒が番犬を選ぶ」とは、前神戸大学教授で、行政法の大家である、阿部泰隆先生の著書「行政法解釈学Ⅰ」に書かれている言葉です。阿部先生は包括外部監査制度のことをあまり評価していません。

 どういうことかといえば、監査人の選定を、監査を受ける所沢市が選任するからです。
 また、所沢市では、埼玉県公認会計士協会から推薦をもらうと説明していますが、これは賛成した会派の議員も言っていたことですが、別に埼玉県に限定することもないし、すこしでも、泥棒が番犬を選ぶ仕組みに問題意識があるなら、公募という方法もあるはずです。
 包括というから何か、全ての会計をトータルでチェックする印象をもたれる方もいるかもしれませんが、実態はその逆で、ある特定のテーマについて扱うのが包括外部監査です。

 執行部側にはどういう領域を監査対象にするか腹案があるようですが、実際に決めるのは選ばれた監査人です。しかし、現実問題として監査人は、発注者側の意向を尊重することになります。

 そもそも、外部監査の狙いは、なかなか止めたくても止められない事業に対して、外部の評価を言い訳に止めることにあるようです。内部向けに、事業の改廃を説得するために、わざわざ1500万円以上のお金をかけるのなら、そんな余計なことはせずに、やめるべき事業はさっさとやめればよいだけのことともいえます。

 また、所沢市は、事務事業評価に外部評価を取り入れていましたが、執行部側に都合の悪い結果がでたせいか、事業をやめるのではなく、外部評価そのものを止めてしまった過去があります。もし、万が一監査人が所沢市がやらせたい監査対象とは違った対象を選んでしまった場合、監査はなかったことにされてしまう可能性もあります。

 現実に、包括外部監査はあまり人気がなく、法定でしなくてはならない政令市や中核市を除くと、全国でも14市しか実施しておらず、また、香川県丸亀市のようにすでに止めてしまった市もあるほどです。

 まあ、それほど大きな成果を期待はしていないのですが、わが会派としては、賛成する予定で委員会に臨みました。

 しかし、執行部は、「今回の議案と中核市は直接結びつくものではない」と答えていましたが、一方で委員会では、「これまでも市長からもかなり踏み込んだ中核市移行についての話があり、私どももいずれ議論する課題であると思っている」「平成23年度からの第5次総合計画にも掲げられている自立都市という言葉は限りなく中核市に近い概念であるという認識をもっている」「今後、積極的な議論をしていく必要があると認識している」などの見解が表明されるに至って、包括外部監査を、中核市への一里塚として提案いるのではないかという疑念が高まってきました。
 
 そもそも、第5次総合計画の素案の段階にすぎない自立都市という概念は、まだ、まったく議会の議決としてもなされていないわけで、この包括外部監査の議論を進めてしまうことは、中核市を間接的に認めてしまうことにもなりかねないという判断に傾いていきました。

 つまり、包括外部監査は、中核市では必須要件です。たとえば、市長が今後中核市の議論を提案した場合、その理由の一つとして、「包括外部監査についても議会のご議決をいただいて進めているところでございます。」と言ってくる可能性があるのです。

 中核市移行について、当麻市長は、前斉藤市長のことを引き合いにだして、「前斉藤市長も市長会で提言してきたので、積極的に取り組みたかったのではないか」といったニュアンスの回答をしました。

 これにはちょっとびっくりで、例えば、私の平成17年3月定例会での質疑を見ていただければ明らかなのですが、私が中核市昇格についての見解を尋ねたところ、斎藤市長は「仮に当市が合併を考えた場合、私は、中核市ではなくて政令指定都市を目指すべきだろうと思っておりまして、政令指定都市を目指そうというのが考え方の1つとしてはあると思うんです」と答えています。

 そういった事実でないことまで持ち出して強弁することを見てもよっぽど注意してかからないと、この包括外部監査は、中核市へむけた打ち上げ花火となる可能性が十分あるわけです。 

 私は、所沢市が、より権限の多い中核市になることはそれほど反対ではないのですが、以上のような点からも、やり方がちょっと姑息な感は否めなかったのは事実です。

 正々堂々と、総合計画の議論の中で中核市昇格を議論すべきなのだと思います。

 いずれにせよ、予算は否決しているわけではないので、もう少し精査をして、特に、包括外部監査と中核市の議論は切り離して考えることを再確認しないことには、なかなか議論が次に進めないし進めてはいけないと思った次第です。

2010年03月16日

 キンドルの衝撃!?

 昨日は日本記者クラブで、私の友人の石川幸憲さんが講演しました。本来はクローズドの会なのですが、友人ということでゲストで参加させていただきました。
 
 石川さんとは、石川さんが21世紀政策研究所にいた時代に知り合ってから、いろいろとご指導をいただいています。
 
 以前もご紹介した米国ミネアポリス市も一緒に取材に行きました。

 今回、石川さんは、毎日新聞社から「キンドルの衝撃」という本をこの1月に出版された本です。
 毎日新聞社の「キンドルの衝撃」紹介ページ
 
 キンドルというのは、インターネットで本を販売するアマゾンが発売した、電子ブックリーダーで、米国では大変売れているようです。書籍だけでなく、ニューヨークタイムズの記事も読めるそうです。

 新聞や雑誌関係者の危機感は相当高まっているようです。
 ただ、そうはいっても新聞は、ラジオやテレビの登場の際にも紙メディアはもう無くなると言われてきましたが現実は、むしろ逆で、部数を伸ばしてきましたし、広告出稿額も増えてきたそうです。

 しかし、ここにきてインターネットの普及にともなって、新聞の部数も減少してきたそうです。そこに追い打ちをかけるように、電子ブックリーダーの登場です。

 日本でも、いよいよ日経新聞がネット版を販売し始めました。しかし、米国でも、課金システムで成功しているのは、ウォールストリートジャーナルぐらいだそうです。

 私としても、早く書籍が電子化すれば、本を置くスペースが節約できるので大歓迎です。 

2010年03月14日

 佐藤優氏の講演会に行ってきました。

 13日(土)、「現下日本の危機をフロマートカ神学で読み解く」と題した講演会に行ってきました。いつもながらプラチナチケット獲得にあたってはYさんのご協力をいただきました。

 さて、講演内容についてはいずれ、どこかの媒体で文章化さえると思うのでまたの機会に譲るとして、今回は、私自身が、佐藤優氏の内在的論理の一部が見えてきたのでその点について感想を述べたいと思います。

 ちなみに、少しだけ講演の内容に触れると、講演タイトルの「現下日本の危機」は日本がファシズム化する危機ということのようです。

 さて、私が、これまでの佐藤氏の言説で最も影響を受けたのが、相手方の「内在的論理」を理解するということ、また、国を立て直すにはその国の過去のよきものを通じて再建するというものです。

 今回、佐藤氏が最も影響を受けたチェコの神学者であるフロマートカ氏が、まさにその2つを体現した人生を送っていたということが、今回の佐藤氏の講演や、佐藤氏が訳したフロマートカ自伝「なぜ私はいきているか」(新教出版社 1997年)、会場で販売していた、畠山保男明治学院大学教授「歴史の主に従う、フロマートカの神学的遺産」(新教出版社 1995年)を通読してわかりました。

 フロマートカは、戦後の共産化がすすみつつあった祖国チェコスロバキアに敢えて帰国し、共産主義というものの内在論理を理解することを通じて、無神論を基調とする共産主義者との対話を試みました。また、チェコスロバキアの独立のために、ルターの宗教改革に先んじること1世紀、チェコの宗教改革、フス改革を現代によみがえらせることで実現しようとしました。(相当あらっぽい説明ですのでご容赦ください)

 さて、日本にとって、フスの宗教改革に該当するものはどれに当たるのか。佐藤氏は別の本では太平記に学ぶべきということを語ってますが、それが日本のよきものに該当するかどうかまでは語っていないと理解しています。
 
 私はクリスチャンではないのですが、フロマートカのような人物がこの世に存在したことや、マザーテレサの存在、あるいは、先日新聞でお見かけしたハイチの医療に生涯をささげたという女性医師でありかつ修道女である方など、キリスト教精神というのが2000年を経た今日においても生きた形で息づいていることには、驚かされます。

 いつもながら、様々に示唆を受けた講演会でした。
 

 

2010年03月11日

 市長の専制を防ぐための予算策定過程の公開を!

 本日の高田議員の議案質疑で、予算査定の優先順位ランク付けを、「実施計画検討委員会」という組織で行っていることが判明しました。

 昨日も述べたように、とにかく、今回は予算編成過程において、優先順位づけが恣意的に行われてきた気配が濃厚となってきました。

 やはり、首長の専制的な予算編成を防ぐには、予算策定過程の公開が重要であることに改めて気づかされました。

 千葉県我孫子市では、前福嶋市長時代に、予算策定過程の公開が新規事業を中心に始められたそうです。詳細は、日本経済新聞社から発刊されている、「公会計改革」という書籍の第8章に記述されています。

 我孫子市では、予算査定の結果をインターネットで4回公開し、それに対して住民からのパブリックコメントを募集しました。ランクの区分けは4段階であり、ある事業はAからCに変更になり、ある事業はBからAに変更になっていることが例示されています。

 最近では、埼玉県和光市でも予算編成経過の公開を始めました。

 所沢市も予算策定過程の公開が必要になってくるのではないでしょうか。
 ただし、政策会議の会議録も公開したところ、結局大事なところは、表に出てこないので、やってもまた別のところで大事なことは議論されてしまう心配はありますが。


2010年03月10日

 首長の専制化と議会

 つくつぐ、首長の権限は強いなあと実感しています。今回の予算案でもいくつかの予算は、これまでの議論の積み上げを無視して、唐突に出てきたといわざるを得ないものがあります。

 例えば、パークゴルフ場整備事業、美原中のグランド改修事業など、それまでの優先順位づけとは別に横紙破りのように予算計上されました。 もちろん、この二つの事業ともに必要度が高いことも認めますし、地元や関係者の要望も強かったことは理解しています。しかし、同じような重要度の高い事業もあるわけで、しかも、この2つの事業は市長マニフェストにも記載されていません。
 新しい試みに挑戦するのは決して悪いことではないのですが、この2つに、昨日も報告した総合福祉センター暫定利用を加えた3つは、特定のグループや特定の議員に対する利益供与的な色合いが強い印象です。当麻市長も選挙を意識してきたのでしょうか?
 その点については、また議会での中継や議事録を見て確認してください。
 (パークゴルフ場整備事業については、中村議員の議案質疑を、美原中のグランド整備についてはくわけんの先議分の教育福祉常任委員会議事録をご確認ください。)
 
 昨日も報告したように、商工会議所移転後の総合福祉センター整備にむけた暫定利用の決済も、地方自治法に抵触する可能性がきわめて高い決済書でありなが、おそらく市長以外の職員は何も言えない
んでしょうね。今回はたまたま表に出てきたので、問題にすることができました。

 いくら首長であってもやはり法律や条例などのルールに抵触しない範囲での決済が重要です。

 当麻市長は、利権を漁るという気配もないし、議会に対して圧力を加えるということもあまりありません。そういう点は大変評価しています。しかし、今年度予算では、少し専制的(上に立つ人が独断で思うままに事を処理すること)になってきた印象があります。

 専制的になってしまうのは、一部の住民の方の意識も、私を含めた議員にも問題があります。結局、市長はその地域にとっては大統領であり、お願いする住民の方も市長に「私の願いを聞いて下さいね。市長」というように陳情に行きます。
 市長も、そうやってお願いに来られると満更でもなく、時によっては「はいはい、つけましょう」となるのでしょう。私も、何度か市長陳情のお手伝いをしました。

 こういった現象は、水戸黄門症候群とでも言っていいのかもしれません。水戸黄門は司法権も、水戸藩以外、ましてや外様大名の領地においては、行政権も行使できないのに、印籠をみせるだけで、司法権と行政権を行使しています。
 トランプで言えば、ジョーカー(ババ)カードを持っている感覚になってくるのでしょう。
 つまり、いつの間にか市の施設や住民の税金から成り立っている予算を自分のものと勘違いし始めてしまうのでしょうね。

 議会とは、まさに市長が市の資産や予算について、あたかもジョーカーカードが切れるがごとく振る舞うことをさせないための監視役であり、民主主義装置でもあるのです。

 ところが、なぜか、大阪府の橋本知事や名古屋市の河村たかし市長への住民の方々への大きな支持率を見ると、実は民主主義より専制が好きなのかなあと思ってしまいます。よく言えばリーダーシップの発揮なんでしょうけど、悪く言えばこれは独裁であり専制なんですね。まあ、制度設計としては、大統領制や日本の首長制度は、期限付き独裁やを認める仕組みといえなくもないのですが。

 なぜ、二元代表制が採用されているかといえば、大統領制、つまり独裁者である市長などの首長の権力が予算提案権の独占など、強大であるため、その濫用をチェックするために、議会をおいているのです。

 ところが、戦後は、首長と議会の一種の談合関係が存在し、首長独裁を助長してきました。
 経済右肩上がりの時代はそれも可能だったわけですが。

 ここにきて、議会ばかりが「だらしない」、とか「活動が見えない」とか言って糾弾されますが、首長がそもそも、議会を談合に巻き込んだからこそ議会と首長との談合が生まれた訳で(議案への反対を職員総動員で阻止する、恫喝する、反対した場合は、同僚議員も一緒になって干すなど)、その責任の一端は明らかに首長側にもあるわけです。ところが、首長はその点について殆ど糾弾されていないという不公平な現実があります。
 
 幸い、当麻市長は、議会に対してあまり圧力を加えないので、議会も基本条例の制定など活性化しているのですが、やはり首長が本気になって圧力を掛けてくれば、なかなか議会は対抗できません。
 私の訪問した千葉県のある市でも、市長選で応援しなかった議員には、市長命令で職員は陳情を受け付けてはならないとされているそうです。

 こうなってくると、やはり議員もどれだけ組織的な応援から距離を置いて当選できるかが重要になってきます。やはり組織や団体を後援者として抱え、その組織のために働かなくていけないとなると、どうしても追及の矛先は鈍ってきます。しかし、一方で組織や団体の応援がないと当選はおぼつかない。
 この微妙な二律背反に打ち勝っていくしか、首長専制には対抗できないと新ためて思った次第です。
 

2010年03月09日

 委員会に市長を召喚!

 本日は、4常任委員会の平行審査の日でした。平成22年度予算を中心に、各委員会に分割付託された議案を審査します。

 私は、教育福祉常任委員会に所属しています。基本的に常任委員会では、答えるのは課長以下が中心で、次長や部長は出席しますが、指名しないと答えないという形で進みます。

 ですから、各委員会には召喚しなければ、市長はやってこないのです。
 私が知る限りでは、3年前に、当麻市長就任直後の総務常任委員会に、市長の給与引き下げと任期制限を議論する委員会にご出席いただいたのが近年では最後です。

 今日は久しぶりに、当麻市長が教育福祉常任委員会に出席して質問に答えました。
 本来であれば、わざわざ市長が委員会に出席しないのは、委員会前日に開催される議案の全体質疑でいくらでも市長に聞く機会があるからです。
 今回は、委員会の中で暫定利用に関する決済書提出を要求。その決済書提出で、新たな事実が判明したために、市長の説明が必要となったためそれから先に審議が進まなくなる可能性が高くなったためお呼びしました。

 問題となったのは、(仮称)総合福祉センター建設検討期間旧庁舎暫定使用事業 についてです。

 この事業は、新規事業概要調書によれば、総合福祉センターについては、(仮称)所沢市総合福祉センター建設検討懇話会からの提言を受け、住みやすい地域社会を目指す地域福祉の活動拠点として、第4次所沢市総合計画にその建設が位置づけられており、現在、建設に向けた検討を進めているが、供用開始までの間、旧庁舎の一部を暫定的に利用し、障害者団体、福祉関連ボランティアの活動の場とする。

 というものです。昨日のわが会派の中村議員も議案質疑のなかで、旧庁舎の暫定利用というのは、転貸(又貸し)にあたらないという指摘もされたところです。

 以下、決済文書が提出されてからの委員会のやりとりです。
(新民報3月10日記事を参照させていただきました)
 桑畠 「昨年7月の市長決済文書を読むと、「旧庁舎から商工会議所移転後のスペース使用」に関し、『所沢に総合福祉センターをつくる会に所属する障害者やボランティアの活動の場として、暫定的に商工会議所移転後の旧庁舎空きスペースを活用』とあり、さらに、使用目的には『つくる会に所属する障害者やボランティアの行う会議・講習会・研修会・障害者のための翻訳作業などに使用するため』とある。旧庁舎は行政財産であるので特定の団体の使用だけを認める決定はおかしい」

 所沢市「決済を行った段階ではそのような形となったが、その後、議会からの指摘や様々な市民の意見等を考慮した結果「つくる会」かでに使用を認めることはしないことにした」

 桑畠「市長決裁はそうなっていない。今の答弁の内容はいつどこで決まったものなのか」
 「部長がいくらいったところで納得できない、市長に確認したい」

 ここで、市長を召還することが決定。

 当麻市長 「総合福祉センターについては、昨年十二月に旧生涯学習センター跡地建設の方針をきめたが、それまでの暫定措置として旧庁舎の使用を認めることにした。利用できる対象者についてはもちろん特定の団体だけという訳ではない。その旨を改めて市長決裁の文書として出す」

 くわけんより
 決済書の内容には一同あ然としました。委員会全員一致で市長の委員会召還が決定しました。
 それにしてもびっくりなのは、あきらかな地方自治法、条例違反でありながら、決済書には、10人以上の押印がなされていたことです。

 まったく、チェック体制は機能していないことに慄然としました。

2010年03月08日

 あの人に会いたい「松下幸之助」から

 先日、たまたまインターネットを見ていて、NHKに松下幸之助さんが出演したビデオを再編集した、あの人に会いたい「松下幸之助」編を発見しました。

 統率力について
 「こうすればよい、ああすればよいというのを聞いてさんこうにするのはよろしいが
 本当に身につけるのは自分で体験して悟るしかしょうがない」

 人のまねはいけない
 「あなたはあなたの生き方、私は私の生き方というものがおのずとあっていいわけですな。
  同化するというのは危ない。自分をしっかりにぎってないといけない。自分はこうだと。」

 もうけについて
 「もうけというのが先にたつと、事が汚くなる。もうけは一番あとの精算です。奉仕を先にもってこないといけないのです。結果がもうかると。」

 先憂後楽
 「政治家だったら先憂後楽です。先憂後楽というのは何にでも通じます。その志のないものは上にたてません。」

 戦後の復興は本当の復興ではない。
 「今まではうたかたの繁栄だったわけです。だいたい戦後30年は高度成長に経済が発展してきました。それは外国の援助やったわけです。日本の国民の自力によって戦後復興したわけではないです。
ぼくが考えるにね、3年も4年も戦争して負けた。昔であれば民族が奴隷になったり非常に苦しみを味わいます。ところ日本は戦争に負けたその日から救済されているわけです。早く言えば。ひとつ技術もあげましょう。食べ物も一つ援助しましょうと。政治の方も教えましょう。そういう結構な負け方はないわけです。
 そこにそもそも甘えがあったわけです。その甘えが積もり積もって今日、つけを払わなきゃならないです。物資は豊かだけど精神的には貧困であると。戦後30年にしてようやく日本は精神的な敗北をしたわけですな。日本の持てる精神です。日本人の古来の。そういういいものがあるとするならここらで精神復興せにゃいかんですよ。精神復興即、それは日本の本当の復興でんな」

 私は、松下政経塾に入塾が決まるまで正直、それほど松下幸之助に関心があったわけではありませんでした。しかし、入塾が決まって、松下幸之助さんの書かれたものをよんで、松下幸之助さんが、ひとのまねはいけない、と強調しているように、自分というものをしっかり持つことの重要性を強調していることに大変驚きかつ、安心しました。
 私の最も大事にしている言葉であり私の基本的な行動原理になっている言葉があります。それは、お釈迦様入滅前に弟子たちに語った言葉です。
 「誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでいる人々がいるならば、かれらはわが修業僧として最高の境地にあるであろう」
 大パリニッパーナ経 中村元 訳 岩波書店

 

2010年03月06日

 北教組の違法献金資金提供問題

 議会中ということで、金曜日の議案質疑の報告はまた、改めてさせていただきますが、本日は北教組(北海道教職員組合)の違法献金問題について。

 いやいや、今日は休日ですので、違法献金がけしからんとかそういったことではなく、その違法献金の原資とされたと現在伝えられてている、主任手当についてです。

 北海道出身者、在住の方ならご存知の通り、そして、それ以外の方は全く知らないと思いますが、毎年確か、年度末だったか年末だったの北海道の風物詩は、北教組が、北海道教育委員会(道教委)にその年とそれまでの主任手当を現金の束で持ち込み、それに対して、「受け取れないから持っていけ」と道教委が返答をし、北教組がそのまま置いて帰るというシーンがテレビで報道されることでした。
 
 確か数年繰り返していた記憶があります。その後19歳で、北海道を離れてからは、東京のメディアでは報道されることがなかったのですが、テレビを見ていたら、全国放送で久しぶりにそのシーンが流れました。

 子ども心に、表現は不謹慎ですが、すごく痛快で面白いものを見させてもらった印象がありました。
 当時で、億単位のお金ですがら、お金の束が、そうですね、3000円のカルピスギフトセットを2段か3段重ねたぐらいの大きさがありました。

 不思議だったのは、あのお金はどうするんだろうかということと、その後主任手当の扱いはどうなったのかということでした。その後、何かのきっかけで現金の束を持ち込むという儀式は取りやめたらしいことはわかりました。主任手当の扱いはどうなっていたのかは疑問だったのですが、今回の一連の騒動で、実は主任手当はやっぱりプールしていることが判明しました。
 2010年2月19日付け産経新聞の報道によれば、その主任手当のプール金とその運用利子が違法献金に回されている疑いが強いとのことでした。
 北教組は現在でも主任手当は年間1億円程度ためているそうです。
 
 久しぶりに主任手当の謎が解けました。

 

2010年03月04日

講演「政権交代と地方自治」の論点と私の考え②

 時代認識

 冒頭で、現在がどういう状況かというお話があり、現在は、明治維新、戦後改革に続く次期であり、昨年の政権交代は明治維新に相当するという話でした。1995年~2001年は幕末に相当した。ただし、明治維新になぞらえれば、明治維新から明治憲法制定まで約20年かかっているので、現在のこの混乱も収束を見るまでに、10年~20年ぐらいはかかるのではないかとのことでした。

 途中から加わった地方分権改革推進委員会についての評価と総括では、政権が安定しなかったため最終勧告がでてから政府側が対応すると終始したため、実効性が得られなかった。本来であれば、提言ごとにしっかりと実現を図っていくよう促すべきだったということでした。

 西尾先生の地方分権改革推進委員にかかわっての成果は、「都道府県から基礎自治体への権限委譲」、「義務付け・枠づけの見直し」を地方交付税総額の抑制とは切り離して勧告できたこと、「出先機関の原則廃止」を修正し、ハローワーク以外の都道府県移管を阻止できたこと、「地方税財源の充実確保」をまとめることができたこと、だそうです。

 民主党政権についても、様々な問題はあるが、「義務付け・枠づけの見直し」には取り組もうとしている点を評価していました。

 3月3日の地域主権戦略会議では、4つの課題を重点的に取り上げることとなりました。

義務付け・枠付けの見直し
主査 小早川教授

基礎自治体への権限移譲
主査 前田理事長

ひもつき補助金の一括交付金化
主査 神野教授

出先機関の抜本的改革
主査 北川教授

 基礎自治体への権限移譲については、西尾先生は、質問に答えて、「委譲については一律に行うのが望ましい」との意見でした。私も、現在の基礎自治体への権限移譲は、中途半端だと思います。
 県が条例で権限委譲項目を決めて、基礎自治体がそれを選択する形になっていますが、所沢市でもあまり選択していません。所沢市の自治の気概が弱いのですが、県も人やお金と一緒の権限移譲というより、行革のための権限移譲としか見えないからです。
 
 やはり委譲項目を選ぶアラカルト方式より、財源なども含めて、一定の権限移譲を、中核市、特例市など規模別に、強制的に委譲する方法が現実的なのかもしれません。

 

2010年03月03日

 「療育支援センター創設」に関する提言(教育福祉常任委員会)

 閉会中に特定事件として、「療育支援」について審査いたしました。
 せっかく、審査したのだから、委員会からも提言を行おうということになり、
 一昨日の浅野委員長が、本会議場で、提言全文を読み上げました。

 私も、少なからず提言案作成に関わりましたので、以下、ご報告申し上げます。
 また、私の素案作成にご協力いただいた、Gさんにもこの場を借りてお礼申し上げます。 


「療育支援センター」に関する提言
教育福祉常任委員会
1.療育センターの3つの機能
療育センターとして以下の3つの機能を有することを要望する。
 ① 通園機能
地域の保育園に通っている子どもが利用できるように、並行通園(小学校でいう通級)ができるようにすること。高機能自閉症、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の子どもに、直接支援を行える場を再整備すること。
② 診療・療育機能
将来的には、医師による診療・投薬等や、臨床心理士、ST(言語聴覚士)、OT(作業療法士)、PT(理学療法士)など専門家による個別・集団訓練を行うこと。
③ 相談機能(発達相談(来所)、巡回相談)
早期発見を早期療育につなげる為の保護者への支援を行うこと。保護者の障害受容により早期療育が可能となる。保護者の障害受容を促すため、個別相談だけでなく様々な支援メニューを用意して実施すること。例えば、ペアレントトレーニング、ピアサポート(親の会の相談会)、レスパイト(ショートステイ)、家庭訪問による相談などである。さらに、子どもの評価を行い、保育園等に子どもの支援方法についても助言を行うこと。
2.支援対象者の個別データの一括管理と活用
出生時から就労・自立までの個別データ・カルテ(心理検査結果、過去の支援情報、アセスメント、対応履歴、診断、所見など)をセンター及び保護者が共有するとともに、保育園、幼稚園、市や県の教育委員会(就学支援委員会、生涯学習推進センターの教育臨床エリア)、就労支援センターなど関係機関にも情報を提供すること。なお、関係機関への情報提供にあたっては、保護者に承認を得ること。

3.既存施設やサービスの有効活用と有機的連携
愛知県豊田市のような各機能と提供場所が一体化した施設が理想的であるが、場所を決めようとすると時間がかかり、今ここにある問題への対応が遅れるので、センターそのものが具体的な療育を行う場所となることには必ずしもこだわらない。コーディネーターを置き、医療療育や就学、高等教育との連携を行うこと。ハコモノではなく、コーディネーターなどの人に重点的に投資すること。現状においても、各機関がそれぞれ出来ることを精一杯取り組んではいるが、地域の機関全体で役割分担をすること。そして、療育センターがそれらを取りまとめること。

4.個別ケア会議、地域支援ネットワーク会議の定期開催
療育支援センターが地域のコーディネーターの役となり、支援対象者に対する個別ケアおよび地域支援ネットワーク会議を取りまとめること。

以上で、教育福祉常任委員長報告を終わります。

2010年03月02日

反対しました。コミュニティセンター条例の一部を改正する条例

 昨日、議案第24号 コミュニティセンター条例の一部を改正する条例に会派で反対しました。
 
 反対討論も行いました。

 以下、反対討論です。

 本議案は、旧生涯学習センターおよび中央公民館建て替建設工事に伴う暫定施設として設置された中央公民館を、中央公民館建て替え終了後も、継続的に利用できるよう提出された議案です。
これまでも住民の方から、同様な条件での利用継続の請願がだされておりました。ところが、今回この施設が、教育委員会所管の公民館から、市民経済部所管のコミュニティセンターと位置づけが変えられることによって、利用目途や利用者の範囲が市長決裁に基づく利用基準の違いによって、変更せざるを得ない状況になってしまうことが議案質疑および委員会での議論を通じて明らかにされました。
 市長決裁に基づく利用基準、および市執行部が提出した市民活動支援センター開設検討委員会資料でもあきらかなように、例えば、政治団体・宗教団体は、公民館では目的外使用が認められますが、コミュニティセンターの場合、目的外使用も認められません。またコミュニティセンターの場合、公民館では目的外使用の対象にならなかった「職業能力開発」「雇用促進」「消費者保護」は目的外使用になります。さらに、コミュニティセンターは、使用にあたっての優先順位も定められており、「コミュニティ」「街づくり」「ボランティア」の3つが優先して利用できる項目となっています。

 条例や規則に基づかず、市長決裁のみで利用基準を定めることの是非は別としても、市長決裁を所与として考えるなら、請願の趣旨である継続利用には支障が出てくることは必至であります。

住民の皆さんの請願趣旨に沿うのであれば、コミュニティセンター分館としてではなく、社会教育法 条にも明確に定められているように、中央公民館分館として設置をすべきでした。それを不可解なことに、コミュニティセンター別館として整備する。しかも、今年度に複合施設開設で業務繁多となることが当然に予想できる新所沢コミュニティセンターの別館とするなど、常識的に考えても誤った判断としか思えません。

また、一部には教育委員会の判断だから仕方がないとの意見も聞かれますが、そうであれば、例えば、ラーク所沢、男女共同参画支援センター、と同様の別の施設としての設置の可能性もあったはずです。
以上の理由から、改めて中央公民館別館として位置づける、もしくは、公民館でもなく、コミュニティセンターでもない施設としての設置を求めて反対意見といたします。各位の反対へのご賛同をよろしくお願い申し上げます。

 以上

2010年03月01日

 講演「政権交代と地方自治」の論点と私の考え①

 さて、昨日に引き続き、私が、気になった西尾勝先生のご講演の論点を、それに対する私の意見を、順不同でまとめてご報告いたします。

地方議会制度改革について

 私以外の別の方の質問で、地方議会がどうあるべきか、という質問が出ました。その質問への答えと講演の最後でお話された、3.小沢一郎民主党幹事長の政治改革の構想 では、小沢氏は国会改革の後は、公職選挙法・政治資金規正法の抜本改正を意図しており、最後は、原口改革がこれに合流する、というものでした。

 つまり、地方自治法の抜本的な見直しによって生まれる地方政府基本法では、地方議員を決める公職選挙法は射程範囲には入らない。公職選挙法は国会議員、地方議員、さらには、各種行政委員会や地方議会議長選挙までを対象にしている通則的な法律であり、いくら地方政府基本法でいじっても、地方議員制度改革に手をつけるには、公職選挙法と政治資金規正法に手を付けざるを得ない。
 ということで、原口改革は、最後は小沢改革と合流するという見立てでした。

 さて、ここからは私の意見。
 原口総務大臣や現民主党政権の地方制度改革については、原口一博著「民主党が日本を変える!地域主権改革宣言」を丁寧に読むと、その意図は大体読み取れます。地方議会制度改革については、原口大臣を含めた、5人の議員の座談会、「地域主権時代に求められる議会のあり方」と、橋本大阪府知事と原口大臣の対談における議会改革の部分を読むとより一層像が結びやすくなります。橋本知事は現職議員を部長に据えようとしてできなかった事に問題意識を持っているようで、この点に原口大臣も共感しています。どうやら、この二人の議論のなかから、以前ご紹介した、平成22年1月11日日本経済新聞「地方自治法抜本改正」「議員を行政要職に」が出てきたものと思われます。

 話を、もどして、西尾先生の考える議会制度改革ですが、地方議会は、その組織構成においては必ずしも住民を代表していない。大体が50代以降、男性が多く、そして、職種も自営業が中心という認識でした。そのためには、いわゆるサラリーパーソンも議員に兼職できる仕組みを担保する必要があり、そのためには、「大多数の欧米の地方議会のように」議員はほぼボランティアで、夜間に議会を開催すべし、ということでした。
 ただし、都道府県議会議員は除く、とのことでした。
 行政学の権威の西尾先生が「欧米はボランティア議員がほとんど」と言われるので私どもも風評被害をうけているのですが、以前にも紹介したように、たとえばこの例ばかりで恐縮ですが、米国ミネアポリス市の議員は数は少ないですが、しっかり専業で有給で(約750万円)、さらに専属スタッフが1名ついています。ちなみに、アメリカの場合行政の守備範囲も分割されており、たとえば教育委員会に相当する学校区では独自の財源と独自の議員を抱えていたりします。ですから、数も少なくても可能です。

 私は、そういう点からいっても、基礎自治体も規模によって、制度は変えるべきであり、たとえば、所沢市議会の場合は、先生が指摘したような代表制という点で言えば、女性議員が3分の1を超え、議員の年代も30~40代が中心ですし、自営業者も3分の1以下で専門職議員がほとんどです。

 これは所沢市に限らす、西尾先生がお住まいの東京都武蔵野市も、以外に住民構成比と議員構成議が類似しています。東京周辺部は、共通する現象かと思います。それは、やはり、いいかどうかは別にして、専門職議員としてなりたつだけの議員報酬があるからです。

 どちらかといえば、私は、議員の任期制限が必要だと思います。今後の地方政府基本法には首長の任期制限が盛り込まれてくると予想していますが、地方議員こそ任期制限を設けるべきです。特にひどいのは都道府県議会議員で、中途半端に小選挙区ですから、いったん議員になると、二人区などはもうすみ分けができてしまい、無投票も多いような印象です。
 そしてそういう議員に限って、守旧派となって、県政改革や議会改革を妨害している印象です。

 ですから、もし、都道府県知事の任期が3期と法定された場合、都道府県議会議員は私も先輩がいらっしゃっていいにくいのですが、4期に制限すべきでしょう。同様に地方議員についても、市長任期が3期なら、4期に制限すべきです。
 その絡みで言えば、当然議員年金などはさっさと廃止をしてもらわないといけません。

 地方政府基本法に、首長だけでなく地方議員の任期制限を盛り込むことができるかどうかが、私は議会改革を進める大きな論点だと考えています。

  勝手な私の考えですが、いわゆる中核市要件を満たす市以上と、それ以外の市では、議会制度の在り方も変えていく必要があります。実際に、中核市未満の市では、これもいつかはしっかりと調べようと思っていますが、市議会議員選挙の定数に対する立候補者の数が低い印象があります。ちなみに所沢市は、定数36名に対して、50を超える立候補があります。この辺が判断基準の一つとなってくるのではないでしょうか。いくつかのパターンを地方政府基本法では用意して、それを住民の皆さんに選択していただくのがいいと思います。

つづく